【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語 第二章
ちゃんとプレゼント開けてくれたんだ~。
しかも気に入って、着けてくれてる~。
(ಥ﹏ಥ)
Rogerと一緒に写真を撮ったあと、
ご一行様はチェックインカウンターへ。
それを遠巻きに見ていたけれど、
ご一行様は何を待っている様子で動かない。
まわりに追っかけも取り巻きもいない。
・・・考えるより先に体が動いてました。
ふたたびRogerのもとへ行って、
「サインしてください」とマジックと背中を差し出した。
その時着ていたTシャツはShadow Queenで作ったオリジナルRogerTシャツ。
その背中にサインをしてもらいました。
なんか、やりたい放題になってきた。(^_^;)
「英語が話せる」という自信は、行動までも大胆にするように思えます。
85年にQUEENに遭遇したときは、英検2級も取れてなかったわたしは
メンバーを目の前にしても、とっさに言葉が出てこない状態だった。
それが、
この時はすでに「英語脳」になってたので、思ったことがそのまま英語で言える。
スラスラと英語でコミュニケーションできるので、
Rogerや、まわりのスタッフにも気軽に声をかけることができる。
結果、大胆になっちゃうんですね。(^_^;)
その後も、Rogerは空港内をウロウロ。
これまで「雲の上の存在」で、
ちらっとでもお姿を垣間見れたらラッキー♪ぐらいに思っていた人が、
一般の人達と同じように振舞っているのが何だかとても不思議で新鮮でした。
そして、わたし達は、
そんなRogerがラウンジに入るところまでついて行って、
最後のお見送りをしたのでした。
初めて本格的に追っかけをして、
これほどまでにRogerにアプローチできたのは本当にラッキーでした。
「英語」という最強のツールと仲間を得て、
「QUEENのメンバーと会って話をする」
という夢は、ひとまずこうして実現したのです。
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翌年1995年1月17日
阪神・淡路大震災発生
この地震で元夫の会社が壊滅状態となり、
営業再開のめどが立たなくなったため
娘の卒園に合わせて、6年住んだ神戸を
離れて名古屋へ戻ることに。
そのため、自宅でやっていた英語教室も
いったん閉校することになりました。
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フレディの死によって、
残されたメンバーも、わたしたちファンも、
一度「死んだ」。
でも、こうして残されたメンバーが相次いでソロ活動で復活の狼煙を上げ、
わたしたちファンも生き返った。
そして1995年には、
残された音源でQUEEN名義最後のアルバム
「Made In Heaven」がリリースされた。
こんなふうに、QUEENの活動が徐々に活発になってきている状況に反して、
渡辺プロが運営するオフィシャルファンクラブはまったく「やる気」がなく、
遂には消滅。
そんな状況に憤りを感じたわたしは、
イギリスのオフィシャルFCへ入会し、
私設FCの活動に段々とのめり込み、
情熱を注いでいくのでした。
第2章おわり。
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