伝説のメイドインJAPANゲーム「スペースインベーダー」が世界を侵略した日【後編】
再び、古巣タイトーへ
時は経ち、2016年。都内某所でインタビューに答えてくれていた西角はこう言った。
今はまた個人的には、いろいろな物を考えたり創ったりして楽しんでいます
名刺交換で彼から受け取った名刺には、
「株式会社タイトー アドバイザー」とあった。
西角は、再び古巣タイトーでゲーム開発のアドバイザーに就任していた。
現在、72歳。西角の表情はとても明るかった。
最後に、インタビューの締めくくりとして、西角にいろいろな質問を投げかけた。
昨今話題になっているVR技術、これまで創り上げた思い出のゲーム、そして、未来のゲームクリエイターへの一言をもらった。
西角友宏が今思うこと
実際には進まないけれど、ドアを開けながら歩いている感覚になるような仕組みですね。あくまでゲームセンターでやれるレベルで、楽しいものをやってみたいです。
でも、バーチャルリアリティも、やり続けると、また、どこかで飽きが来るのかもしれませんね(笑)
とにかく誰もやっていないことを、自分の感覚や知識を得ていくことで創り上げるという、ゼロをイチにするような仕事が楽しかったことをよく覚えています。
『サッカー』以降の7年間で、ビデオゲームを12機種余り開発しました。
それらが全て商品化されたことも、当時だから出来たことだと思っています。
また私が開発した作品が商品になったのは、試作の開発だけでなく、生産する部署や販売する部署のお陰で商品になったと思っています。改めて、パシフィック工業やタイトーと、関連した人たちに感謝したいと思っています。
※岩谷 徹 氏。パックマンなどのヒット作品を開発したナムコのクリエイター
しかし、時代の移り変わりもあり、今のクリエイターの人たちは、そのような子供遊びの経験をしていないように思うんです。極論すると、ビデオゲームを見て、ビデオゲームを創ってるんじゃないかと思います。
だから、行き詰まる事があると、根本的な面白さが出てこないという気がします。
例えば、メンコ。メンコ一つにしても、地域によってルールが違うんです。町ごとに独自のルールがありました。子供達が遊ぶ中で、他の町の違うルールに出会う中で、もっとゲームが面白くなるように工夫されていきます。こういう風に、ルールは時に改良され、面白くなって行くことがあります。
そう語る西角は実に楽しそうだった。
戦後モノがない中、父の仕事道具と身の回りにあるものを使って、工作遊びを楽しんでいた少年時代。インタビューでゲームの話を実に楽しそうにしてくれる西角には、今も自分自身で何かを考え、何かを作りたいと思っている岸和田の西角少年の面影があった。
関西の母へ、東京から届けたもの
進学を機に故郷・大阪を離れてから、西角が東京で働きはじめ「スペースインベーダー」などのヒット作を連発していた30代の半ばごろ、職人だった父親は、80歳を過ぎて亡くなった。
残された母親は岸和田市堺町の実家の玄関先で駄菓子屋を開業した。玄関先にあった亡き父親の作業スペースを改築したものだった。
教育者だった母親が晩年、子供たちとの交流の場として選んだのが、駄菓子屋であった。
西角は会社に頼み、安価な業者価格で、母親の駄菓子屋に「スペースインベーダー」を納入してもらうことにした。
さらに設置の手数料も多少安くしてもらったら、関西営業所の所長が「なんでオペレーターと同じ値段で売らなきゃいけないんだ!」と後でブツブツ文句を言ってたと聞きました。
そうして、西角自身が支払いを済ませ、何とかスペースインベーダーのマシンを母の駄菓子屋に導入することができた。西角にしてみれば親孝行をしたはずだったが、
母親からは
と言われた。
西角は嬉しそうに笑った。
以下、西角さんの半生を投稿するに当たって、今回参考にした資料と、協力してくださった皆さんのお名前を記します。
参考資料・文献 )
それは「ポン」から始まった / 赤木真澄 アミューズメント通信社
20世紀 雑誌アーケードTVゲームリスト/ アミューズメント通信社
セガ ゲームの王国 / 大下英治 新潮社
協力 ) *敬称略
タイトー 石原正巳 / 熊島真理 / 佐藤直哉
株式会社イード 土本学
株式会社ムーンライト 三田秀雄
インタビュアー 黒川文雄
協力 宮本博一
文・編集構成 清瀬 史
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タイトー(パシフィック工業)は戦後日本の復興とともに誕生し、日本の産業、工業の成長とともに発展を求められた企業だ。おそらくそれは他のゲーム関連企業も同じだろう。何もなかった焦土の日本にゲームという娯楽を提供し、人々に余暇の楽しい過ごし方と笑顔を届けたことは大きなライフスタイルの変化に貢献したと言ってもいい。
高度成長、日本列島改造論、などの時代背景を経て、それらを求められた企業のひとつであり、モーレツを社是としたような企業人の在るべき姿が、西角のような「無いものは創る、切り開く」という姿勢だったのかもしれない。
今から20年ほど前の(確認)西角の出演したテレビ番組を観たことがある。自分の創って来た作品、機器への自信を強く感じさせる。
成長を求められた時代とそれを託された人の人生の、重なりがあった。
取材者・黒川文雄 西角友宏 近影
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