いじめ、不登校、発達障害の発覚!その時親子は?

著者: 清水 美希


おばあちゃん、今日は楽しかったよ。ひ孫の顔を見るまでは長生きしてくれよ!
祖母
そんな優しいこと言ってくれるのは、お前だけだよ!ありがとうね

家族で行った実家への年始の挨拶。帰り際に、実家の玄関で気むずかしい私の母に長男の翔が掛けた言葉は、私を驚かせた。

いつの間にこんな気遣いのある言葉を言えるようになって居たんだろう・・・

母に対してクールに接している私は新年早々子どもから学習させられる思いだった。

親に対しては、反抗期ながらも穏やかな高校生の息子・・・とは言えこれまでの様々な紆余曲折は、母たる私にとって挫折と葛藤の日々、そして翔にとっての七転び八起きのジェットコースター人生だった。


私事で恐縮ですが、今いじめや不登校に悩まれている方も、こんな親子もいるのだと励みにしていただけたら幸いです。


生まれてからの日々

赤ちゃんの時から育てにくい子だった。おっぱいを飲むのが下手でアレルギーがあり、そのため私は授乳中食事制限をして翔のアトピーと闘った。おっぱいには食べたものの成分がダイレクトに出てしまう。そのため動物性タンパクと甘いものは御法度!!たまに、甘味の誘惑に負けてこっそりまんじゅうを半分だけ食べてしまうと、その後の授乳で翔は湿疹で真っ赤になった。私の食生活を見た実の母親に

祖母
私には出来ない!自分を犠牲にする子育てなんて!

と言わしめた。

夜泣きもした・・・でも、何故泣くのかわからない、寝不足の日々。飲み下手で、おっぱいを与えても直ぐにフミフミと泣き出した。そんな息子のためにおっぱいは出しっ放し・・・うたた寝なんかしてしまった日には、宅急便が来ると大慌て・・・

ピンポーン

はーい、少し待って下さい!!


寝癖でくしゃくしゃの髪をとかし、ブラジャーを着け、まくし上げていたシャツを整え出ようとすると、翔が泣き始める・・・玄関が一階、生活スペースが二階の我が家で、翔を抱き上げて、抱えながら階段を駆け下り宅急便を受け取る。いつも眠くてだるかった。一番かわいい盛りだったのに、私にはその事を楽しむ肉体的余裕はなかった。

辛くて、夜中泣きながら夫に

もう無理!この子捨ててきて!!眠りたい!!!

そう言って夫を困らせて事もあった。軽い育児ノイローゼだったかな・・・


幼稚園は登園拒否!!泣いて、泣いて、無理に背負って連れて行こうとするとのけぞっていやがった!主人が背中に負ぶって、暴れる翔の背中を私が押さえつけて二人がかりで幼稚園に行くと、今度は園長先生が夫の背中にしがみついて離れない息子を引きはがす、そして園長室に連れて行かれる。泣きわめく息子!!数ヶ月はその状態が続いた。

次男が生まれる頃ようやく翔のアレルギーも治まり、幼稚園生活にも慣れてきた。ほっと一息つきつつも、いつも気がかりなのは、どうも集団をいやがる息子。お友達を呼んで複数人で遊んでいると、始めは仲良く遊んでいても、いつの間にか翔だけが一人ぽつんとみんなと違う事をしていた。

翔くん、みんなと遊ばないの?

そう聞いても、何も答えない息子だった。

小学校に入る頃夫が、そんな翔のためにと自分も好きだった少年野球のチームに入れた。そして、自分もコーチとして野球に拘わった。週末は家族で野球、3つ下の弟も後を追うように小学校入学と同時に野球を始めさせた。

このまま順調にいくと思われた矢先、事件が起きる。


意外ないじめの始まり方、そして不登校へ

翔、小学校4年生、野球のママ友と子ども連れの飲み会が定期的にあった。親は美味しいモノをつまみに飲んで歓談、子どもたちは仲良く遊んでいた。楽しい日々はこのまま続くと思っていた矢先、翔が行くのをぐずるようになる。この時点で私はまだ、翔の心の傷に気付いていなかった。

翔が、集まりをいやがるようになった訳は、直ぐにはっきりした。

ある日、野球の練習の休み時間、翔の仲良し友達3人が水飲み場でたむろしていた。

その日お茶当番で子どもたちの練習に付き添っていた私は、子どもたちが飲んだお茶のカップを洗おうと水飲み場行くと、2人の少年が私の存在に気付いた。彼らはいつも子ずれ飲み会をしているママ友の息子達だ。しかし、一人は私に背を向けていたため私の存在に気づかなかった。

背を向けていた少年が言った、

少年A
やっぱ翔って、なんかうざいしむかつくよな
えっ?!


私は耳を疑った・・・家の息子の名を少年Aははっきりと言ったのだ!!

すると、そこで私の存在に気付いている仲の良いはずの少年BとCが言葉を発した。

少年B
えー、そうかな~
少年C
そうだよ、あいつだって良いとこあるし

やっぱり仲の良いお友達は、違うわ!!

そう思った次の瞬間、さらに私の耳を疑う事を少年Aは、のたまった。

少年A
何いってんだよお前ら、いつもあいつのことぼこぼこにしてるのお前らじゃん!!


え?! え~~~~~


声を上げる私の存在に気づき、少年Aが振り返りぎょっとした顔・・・3人はそそくさとその場を立ち去った。

い、い、いじめ?!うちの子が?!何が何だかわからない私は、彼らを問い詰めることも怒ることも出来なかった。

確かに、ちょっと変わったところのある子だ、不器用で人に合わせるのは苦手かも、でも根は優しい子なのに・・・何で?

家に帰って、翔に話を聞くと、いじめの事実をあっさりと認めた。愕然としたが、いじめの一端は私の一言にあった。以前から仲の良かった子との上下関係が気になっていた私、使いっ走りのような子分のような関係性に疑問のあった私はある日翔に言った。

本当のお友達関係は対等だと思うな、翔君とA君は何だか親分子分みたいだよ

その言葉を受けて、彼はA君に

僕は君の子分じゃない!!

とカミングアウト!!その事がA君心に火を点けた!

少年A
あいつ、今まで面倒見てやったのに生意気だ!!

それから、翔へのいじめが始まった。そんなこととは、つゆ知らず、楽しく飲み会に参加していた私・・・

当然、ママ友との飲み会へは、行かなくなり、何度か親たち同士で話し合ったが解決糸口が見えない。そりゃそうだ、みんな自分の子どもが一番かわいいのだから・・・我が家はこぞってその少年野球チームを辞めることにした。

私と夫は、これで大丈夫と思っていたが、甘かった。同じ小学校に通う子どもたちのいじめは、野球チームから学校へといじめの場所を移動したに過ぎなかった。翔への執拗ないじめは、その後も続いていくこととなった。

担任の先生がしっかりしている時は良かったが、目の届かない担任になると翔へのいじめは激化した。

だましだまし、行き続けた小学校!!そんな中、自分の立ち位置を挽回しようとした小学6年の秋に翔は、修学旅行で班長を買って出た。しかし、注意力を欠いた不器用な翔は、先生の話を聞き取り損ね、その班だけが集合に遅れたり指示通りに動くことが出来ずみんなからの不評を買い、名誉挽回ならぬ傷口を広げる結果に終わる。あえなく撃沈!!

修学旅行から帰ってきた明くる日、発熱と嘔吐で翔は学校に行けなくなる。

そして、翔は言った、

母さん、僕に「死ね!!」って言う人がいるところに行けって言うの?

私は、返す言葉を見つけることが出来なかった。

その日、私は翔を連れて映画に行った。『猿の惑星・創世記』を観た。主人公のサルに息子が強くなって欲しいという一抹の希望をのせて・・・

翌日から不登校。でも引きこもりにならぬよう、翔の居場所を探した。フリースクール、自治体の相談室などに翔を連れて行った。結局家から歩いて30分以上はかかる場所にある、小学校に併設された相談室内の特別教室に通うことになった。ここは、翔が通っていたのとは別の小学校の裏手にあって、登校時間が他の子どもたちとかち合うことのないようにずれている。今までの倍の距離を歩いて彼はその相談室に通い続けた。

その頃の翔は、かつて自分が通っていた小学校に近づくだけで、顔面蒼白してしまうようになっていた。彼の傷は思いの他大きかった。この頃、チックという精神障害から来る症状もあって、シュタイナー系のカウンセリングに関東から岐阜まで通った。薬で脳内をコントロールすることに私も夫も抵抗感があったからだ。

そこで、私も夫も翔に地元の学校に行くこをを強要せず、翔が生きやすい環境を選ぶことにした。

どうすることが彼にとって良いのか、親として日々葛藤した。夫と話し合い、喧嘩し、また話し合い・・・そうこうして、中学校は私立に入れるべきか悩んでいた。

この頃翔は、医者が大の苦手だった。特に注射を異常に嫌った。小学校の4年までは予防接種を逃げまくり保健室の隅でうずくまって拒絶した。その後も、40度近い高熱があっても注射の時は暴れた。病院から電話して主人に来て貰ったことも一度や二度ではない。二人がかりで押さえつけて、やっと注射が出来る。温厚で有名なかかりつけの医者が、翔を怒ることもあった。夫が自営業だったことがどれほど有難かったことか・・・ちなみに今もかかりつけの病院では注射嫌いのやっかいな患者ということで有名である。

この尋常ではない医者嫌いの話を、進路相談していた教師に話したとき、その教師から意外なことを言われた。


教師
彼は、発達障害かもしれませんよ。ちゃんと医師に診せた方が良いと思います。

発達障害?!なんじゃ?そりゃ~

私と夫は本を読みあさり、パソコンで調べ始めた。

新しいことに適応が難しい、こだわりがある、事前に分かっていないことや急な変化に対応できない、注意力に欠ける、言葉の発達が遅い、感覚に対して過敏すぎるところがある・・・思い当たる節が多くあった。

私は早速小児精神内科に連れて行き、翔の発達障害をしらべてもらった。WISCⅢという検査を受けた。

ビンゴ!!!軽度発達障害、注意欠陥性障害との診断を受けた。振り幅は小さいモノの、確かに翔のデータは健常児と違う数値を出していた。

医師
このタイプのお子さんは、小学校4年頃から中学3年までいじめの対象となります。
この年頃の子どもたちには、異物と理解されるため、彼には受難の時期となるでしょう。

先生の仰るとおり、翔のいじめとの戦いはもう既に始まっていた。

私と夫は、卒業式出席も中学の入学式も諦め、真剣に翔に会う学校を探し始めた。

そんな時、翔は通っている特別教室で卓球に出会った。元々身体を動かすのが好きな子だったが、野球という団体競技は、翔には向いていなかった。それに引き替え、卓球は個人競技、卓球教室に入りたいというので通わせると、めきめき上達した。

そこで自信をつけた翔は、改めて地元の中学校に通うと言い始める。地元の中学の卓球部は比較的強いチームだった。卓球を通してもう一度やり直せると考えたらしかった。

私達夫婦は迷ったが、今回も翔の要求に従うことにした。

卒業間近の3月、慌てて地元の中学校の制服を作った。

中学校側に小学校の時の不登校の事情と、翔の発達障害を話した上で、重ねてお願いしに行った。

一年の時は、しっかりした担任の下、問題を抱えつつも何とか学校に通うことが出来た。その間、注意力散漫の翔は、熱湯を浴びる大やけども経験する。この時も大変だったが、この話はいずれまた。そして、二年に上がるとき、頼りになる教頭が替わり、担任が替わったとたんまた問題が勃発、いじめの火が再燃した。

そのいじめが、心理作戦にまで及んできた。

ある日曜日、翔が珍しく嬉しげに学校に行こうとしていた。

日曜日なのに、学校に行くの?
うん、ちょっと・・・

あまり説明もせずに、出かけていったかと思うと、数時間もせずに顔面蒼白させて帰ってきた。

私は、心配のあまりすぐさま彼を問い詰めるも、何も答えようとはしなかった。

気になりながら様子を見ているたが、ちょっと目を離したとたん、隣の部屋で次男が大声で泣き始めた。慌てて部屋に行くと鼻血を出して泣いている次男!!どうやら翔に裏拳を食らったようだ。

いくら気に入らないからって、ここまですることないでしょ!!

と次男の手当てをしながら翔を叱ると、

俺だって辛いんだ!!母さん何も分かってない!!

そのまま、翔は部屋に閉じこもってしまった。後で夫を含めて話し合い分かったことだが、

女の子3人から告白したいからと呼び出された翔。喜び勇んでその場に向かうと、いじめの首謀者とその仲間達、その後ろから女の子三人があかんべーをしながら顔を出した。

A子
ばーか、アンタなんか好きになるわけないじゃん!!
A君
お前マジあほじゃねー、だっせー簡単にだまされてヤンの

笑い声の中、耳をふさぎ走って帰ってきた息子・・・そんな翔を何も知らずに叱ってしまった私・・・

後に主犯格の女の子は、いじめ首謀者のガールフレンドだという事が分かった。

その頃には、卓球部内でも卓球教室に通いながらの部活動の両立が難しくなり、上達も頭打ちで部活内での人間関係も上手くいかなくなり、また学校に通えなくなった。かくして、小学校時代お世話になった特別教室に返り咲く。その後、翔は二度と地元の中学に行くことはなかった。

そんな中、高校をどうするのか?!次のハードルがやってくる。

公立では目が届かないから私立が良いんじゃないのか、いや、いっそのことフリースクールにするか・・・いろいろな学校を観に行った。

相談室の先生から、東京文理学院という普通の高校に非常に近い学校があると勧められて、息子を連れて観に行った。彼は一目でその学校と先生方が気に入った。その学校の校長先生からも

校長
うちの学校なら必ず彼にとってプラスの結果を出すことが出来ます。お任せ下さい。


心強い言葉だった。

何より、本人にとって、もう一度自分の学生生活をリセットさせてやり直したい。そんな強い思いが生まれたようだった。

校長室での中学の卒業式を終えて、翔の小中学校における受難の時代は収束を迎える。


高校に入学、翔に友達が出来た!!友達同士でディズニーランドに行ったり、カラオケに行くようなる。翔の顔に心からの笑顔が戻ってきた。さらに、自信を取り戻し穏やかな顔つきになってきた。

今までの小中学校時代では、運動会や文化祭さらに発表会など、自発的に親に知らせることのなかった子が、自分から体育祭のチラシを持ってきて、私たちに見せた。自分の出場種目にいくつもアンダーラインが引いてある。隣に住む祖父母の元にまで行き、体育祭に誘っていた。私たちは家族総出で体育祭を観に行った。

そこには、信じられないほど生き生きした彼の姿があった。走る、踊る、ジャンプする。輝いてる息子がいた。

私の目からは涙が止まらなかった。グスン、ズルズル・・・あれ?気づけば隣の人もそのまた隣の人も

親たちは熱い目頭をハンカチで押さえている。そうだったここは、不登校だった子どもたちの集いの場だ!

みんな、目を輝かせた子どもたちに涙していた。それぞれの親子達がそれぞれに戦い、今こうして子どもたちの勇姿を目に焼き付けながら、感涙にむせていた。何も言わなくてもお互いにそれが分かった。


この先、翔の人生にはやっぱり色々あるだろう。でも、母としてどきどきはらはら、そしてやきもきしながら見守っていくのだろう・・・

私のガン発病、摘出手術の翌月、翔の新たな病の発現・・・その病のことはまた時間があったら触れさせていただけたら幸いです。

神様ってやつは、どうやら私たち人間を鍛えるために課題を出すのが大好きらしい!!

今年で、親子が病に襲われて2年目、そこに翔と次男坊主の大学高校W受験!!!

試練は続くよ~どこまでも~(線路は続くよ~の音階で)あらエッサッサ~!


それでも、大笑いしながら、いろんな事笑い飛ばして、家族でタックを組んで我が家は仲良く生きていく!!!


最後まで読んで下さってありがとうございましたm(--)m




著者の清水 美希さんに人生相談を申込む