24歳ニートの僕が、謎にインドネシアに行って社長になるまでの話。前編
アントンによると、インドネシアの人は日本が大好きで、日本をモチーフにした縁日祭というイベントすら毎年開催されているとのことなのだが、その縁日祭でさえ、エセ日本食が多いということだった。
ずっと考えていた「日本人であることの優位性」。
アントンの言葉がきっかけとなり、僕は
5月に行われる2日間の縁日に、たこ焼き屋を出店してみることにした。
簡単なテストマーケティングの位置付けだ。
結果は、まさかの朝から晩までずーっと行列。
家庭用コンロで1800個ものたこ焼きを焼くという事態に。
商売繁盛で準備していたタコがなくなり、たこ焼きが作れなくなる事態にまで発展。
炎天下にもかかわらず並んでくれているお客様が可哀想なので、
近くの日本食スーパーでタコを購入し、次から次へとたこ焼きづくりを続けた。
日本食スーパーのタコは高すぎて、売れば売るほど赤字になっていくのは分かっていたのだけれど、気づかないふりをして続行した。
疲労困憊、商売繁盛。途中から分かっていたけれど、当然赤字。
しかし「たこ焼きが売れる」ということはこのお祭りでわかった。
たこ焼き最高ー!
やっぱたこ焼きだよな?
たこ焼き御殿!
と、完全に有頂天になっていた。
メンターのTさんからは「いいビジネスがあればお金は心配するな」と言われていたので、思い立ったが吉日、おおよその初期投資&収支計算をはじめた。
とりあえず3カ月契約で、ロッテマートの食料品売り場の前にスペースをゲット。
スタッフ探しやポスター、レシピ作成など、
小さなお店一つでも大変なんだなあと実感した。
たこ焼き出店と同時並行で、脱毛サロンというものにも興味を持った。
理由は単純明快、インドネシアに日系のIPL脱毛がまだないから。
(※IPL脱毛=インテンス・パルス・ライトという特殊な光を使用して行う施術方法)
この半年くらいのインドネシア生活で、疑問に思ったことがあったのだ。
インドネシアでは、髪の毛はもちろん、毛という毛の伸びるスピードが異常に早い。僕だけでなく、インドネシアに住んでいる人の多くが同じことを言っていた。
インドネシアは常に常夏なので、肌は露出の機会は多い。
女性はムダ毛処理などが大変ではないのか?
調査したところ、日系の脱毛サロンはなく、あるのはガムテープみたいなもので脱毛をしているサロンばかり。
ガムテープ脱毛は1回あたりの値段は安いが、永遠にやり続けなければならない。トータルでかかる金額で見ると、IPL脱毛のほうがはるかに手軽でお得だ。
まだ概念が無いものをスタートさせるので、インドネシア人に認知されるまで少し時間がかかるだろうが、日系の脱毛サロンができればインドネシア在住の日本人は来てくれるだろう。
ほとんどが中心部に住んでいるだろうから、それだけマーケットあれば十分だ。
調べれば調べるほど(今考えれば、こんなのでよくできたなという調査だけど)、脱毛サロンはやった方が良いという方向でしか考えられなくなっていった。
たこ焼き半分、脱毛サロン半分。徐々にインドネシアでビジネスが出来そうな光が差し込んできたのは、ジャカルタに来て半年が過ぎたころである。
それからというもの、たこ焼き屋オープンの為に一生懸命たこ焼きの焼き方を工夫したり、色々教えたスタッフにバックレられたり、言葉が全然伝わらなくて絵を書いて説明したり、ボロボロになった辞書使い倒してみたりと、とにかくできることは全部やった。
値段は4個で200円。
無事にオープンした時は、とても小さな屋台だったけれど涙が出るくらい嬉しかった。
肝心の売り上げはというと、僕の給料は出なかったものの、なんとか赤字ではなかった。
ただ、縁日で出店したときよりも全然売れなかった。
何が悪いのか、いろいろ考えながら営業を続けた。
たくさんの人に支えてもらいながら、新たな出店場所を探す日々。
そんな日々を過ごすうちに、地域最大チェーンのコンビニから「うちの店の57店舗全部で出店しないか」という声がかかった。
交渉に交渉を重ねた結果、屋台1台スペース月5000円でOKしてもらえた。
数週間かけて店舗のほとんどを回り、57店舗の中から6店舗を選定しオープン。
しかし僕のマネージメント力や語学力の不足で、売り上げをごまかされたり、スタッフがすぐ辞めたり、
なかなか思うように進まなかった。
そんな理由がいくつも重なってたこ焼き屋は撤退、事実上の倒産をした。
今の僕にできるのは、失敗したことを前向きに解釈することくらいだ。
・店舗が増えると目が行き届かなくなること
・仕組み作りの大切さ
・スタッフとの人間関係の構築
・人材採用の難しさ
初めてのこと尽くしで貴重な経験となった。
サラリーマン時代は色々な人が支えていてくれたから業務に集中できていたのだ、と改めて実感した。
そして脱毛サロンのほうも無事にオープン。
投資額も大きく、準備にかけた時間も長く、オープン前から広告宣伝もしっかりしていた為、たこ焼き屋のほうよりも一層緊張感があった。
きっと大丈夫。何度も自分に言い聞かせた。
オープン初日、お客様は0だった。
まだこの国に無い文化を広めるというのは、そう簡単ではない。
閉店時間になり店を閉めをしようとした時、新聞社の清水さんという方とカメラマンの女性が来てくれた。この清水さんは、オープンにあたり無知な僕にたくさんのことを教え、サポートをしてくれた方。
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