24歳ニートの僕が、謎にインドネシアに行って社長になるまでの話。前編

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■人生を変える縁。パートナーとの出会いはパソコン教室。



インドネシアに限らず、海外で商売をするにはどこの国でも当たり前のようだが、

外国人が商売をするには"ローカルパートナー"という人が必要だ(もちろん僕はこんなこと知らなかった)。



儲かりだすと、そのローカルパートナーに騙されるというケースも多々あるらしいので、パートナー選びは慎重にした方がいいらしい。




僕にできることって、なんだろう。

僕が日本人としてインドネシアにいる優位性ってなんだろう。



毎日毎日、そんなことを考えていた。




ある日、僕に日本語を教えて教えてほしいという友達もいっぱい居たので「日本語教室はどうだろう」と思いついた。



受講料はどの位取れるのか。どれくらいの人数が受講してくれるのか。

競合になるところってどのくらいあるのだろうか。



あれこれ考えていると、いつも行っているモールにパソコン教室があることを思いだした。


語学学校とは違うけど、パソコン教室はどのくらいの料金体系なんだろう?



パソコンの勉強はしたいと思っていたし、時間も持て余してるからこの機会に勉強してみるのもいいかもな。とりあえずスーパーで買い物がてら料金聞きに行こーっと。


そんな軽い気持ちで行ったパソコン教室が、僕の運命を変えることになった。



パソコン教室に到着し色々聞こうと思ったのだが、

僕のインドネシア語が未熟なせいで全く会話を成立できず、恥ずかしくなって帰ろうとした時、


ジャパニーズ?


と聞かれ、

イエスイエス、アイムジャパニーズ!

と答えた。すると、


※○×+▽?&*!(訳:ちょっと待ってて)


とのことで待っていると、

どーもはじめまして。日本の方ですか?何かお困りですか?






と、体の大きい優しそうな日本人登場。



あ、はい日本人です、はじめまして
そうなんですか、僕で良ければ通訳しましょうか?

あ、申し遅れました、私はアントンと申します。


アントン???


インドネシア人?いや日本人とのハーフ?




日本語が上手な外国人には会ったことがあるけど、日本人と変わらない語学レベルで話せる外国人はそうそういない。


日本語をつかう機会がなかったので、日本語を話せるだけでも嬉しかったのと、

第二言語の習得に苦しんでいた僕は、第二言語をここまで極めている外国人と話してみたいと思い、


あの、突然ですがちょっとお茶しません?


と見ず知らずの人をいきなり誘ってしまった。

呆気にとられていたアントンくんだったが


アントン
え、あ、はい。大丈夫ですよ。


と誘いに乗ってくれた。


色々と世間話をしてみると、アントンくんは早稲田大学・大学院を卒業し、日本人の彼女もおり、インドネシア語のほかに日本語、英語、中国語も喋ることができるというハイパースペックの持ち主だった。



僕と年齢が1個しか違わないのに、しかもぽっちゃりのくせにめっちゃ天才じゃん。




とにかく素敵な人だったので、「仲良くなりたい!一緒に仕事をしたい!」そう思った。

別れ際に

連絡先聞いても良いですか?

と聞くと、


アントン
是非宜しくお願い致します


そういって出された名刺には"代表取締役CEO"の文字。



・・・・・・え?




僕は大きな勘違いをしていた。彼は従業員ではなく社長だったのだ。

しかもパソコン教室の方ではなく、その隣にあっためっちゃ綺麗なオフィスにあるゲーム会社の社長。


そんな出会いから4年。今では、一緒に会社を経営している仲だ。




■ついに起業!転んでもタダでは起きない、たこ焼き屋と脱毛サロンをオープン!


ほぼ同い年でありながら、優れた経営者であるアントンとの出会いに触発された僕は、自分の事業を起こす事に意欲を燃やした。


当時、インドネシアに来たばかりだった僕は、日本食がとても恋しかった。日本食の文字を見かけてはのれんをくぐることが多かったのだが、どれもこれも名ばかりで、味も見た目も僕が慣れ親しんだ日本食とはかけ離れていた。店員さんも中国人の方だった。


この事をアントンに伝えてみると、


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