第3章 軌跡~600gの我が子×2と歩んだ道 1

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いよいよ父の退院が決まり、母を一人病院に残しまずは病み上がりの父が家で生活が出来るように私がサポートする。父の体調では祖父母の面倒をいきなり見るのは無理だった。シイタケの仕事も全く稼動できず、弟以外の兄弟でお金を出し合い何とかやりくりしていた。産休中の私は、Tに夜昼なく生活を支えるために働いてもらわなければならなかった。

子供達は乳児院の生活にも慣れ、病気をしながらもたくましく生きている。Tは乳児院に通ううち、ここにいる子ども達とも心通わせるようになった。迎えに行くと、我が子だけでなくほかの子供達も「パパ」と言って喜んで迎えてくれるようになり、一緒にしばし遊んで帰ったりしていたようだ。2人には迎えに来る人がいるが、この中には迎えに来てもらえない子も大勢いる。

「なお、乳児院にスイカを買って持っていってもいい?子ども達が大好きなんだって。俺には何もできないけど、好きな物を1個位持っていってやりたい。」

「いいよ。子供達を喜ばせてあげて。」「なお、ありがとう。」そう言って喜ぶTの綺麗な気持ちに心洗われるようだった。

大好きだった祖父母。しかし年老いて変わっていく祖父母。まるで子供に戻っていくようにできないことが増えていく。動けない乳飲み子は母に全てをゆだねるしかない。だから抱っこで抱き上げれば母のいうことを聞いたり素直だ。ところが年寄りは違う。あるところでは感情が働き、羞恥心から排尿を隠したり、プライドがあったり、子どもとは違う。介護をずっと続けたら私はくるってしまうかもしれないなと思った。ついイライラすると声を荒げてしまう。Tの姿を感じて自分を反省する。


父が帰ってくると、自宅で祖父母と父の食事の準備や身の回りの家事をこなし、母の介助とリハビリに付き添うため病院に通う毎日になった。来る日も来る日もひたすら。父は少しずつ生活のリズムを取り戻しつつあった。しかし、自営の仕事に関しては全く自分の身体の状況と頭の中の空想とは大きくかけ離れているらしく、まだまだバリバリと働ける気持ちでいる。現実の状況を把握することが何より父にとって難しいようだった。

私にはもう時間がなかった。長い間とっていた産休もいよいよ終わり。9月からの仕事復帰に向けて準備しなければならず、お盆を最後に帰ることを決めた。

祖父母に話すと、祖父母は毎日「なおこ、お願いだから帰らないで。」と言って私にすがって泣く。心苦しく思いながらも帰れる日が来ることを安堵する自分もいた。


故郷にいる最後の日、私は朝から慌ただしく準備をしていた。なるべくおかずを多く作って置いて行ってやりたいと料理をしたり、掃除洗濯なるべく当面父の負担がすくなくなるようにしてやりたかった。そんな中突然弟が私を訪ねてきた。

「どうしたの?私もう産休が終わるから家に帰らなきゃならないの。これで帰ったらなかなか次は来ることが出来ないかも。Sはお父さんとお母さんの一番近くに住んでいるから、もうあと少し手助けしてもらえると助かる。お父さんの借金のことは私達も月々少しずつ全員でお金をだすから。」

どんな話をしたのか、今となっては断片的にしか覚えていないけど、話しているうちに言い争いになってしまった。余りの私達の剣幕にたまたま来ていた近所の人が止めに入った。するとSは

「大丈夫だから。姉ちゃんと話しをさせて欲しい。」そう言って近所の人を振り払った。

「俺は本当の父親になりたかった。」そう私に言った。

「俺はEと二人で本当の家族を作りたかった。」SとEの間には、常にEの母の存在があり、EはSに相談するより先に常に母に相談していたのだはなかったかと思った。常に大事な決定事項はSの気持ちは問題外だったのではないかと。

「子供が生まれた頃、俺は抱っこすることも許されなかった。首が座らない子どもを俺が抱っこするのが不安と言って触らせてもらえなかった。父ちゃんと母ちゃんにも子どもを見せになかなか連れてくることが出来なかった。もうEとはずっと前から一緒にいるのも苦痛な位うまくいっていなかった。でも別れられない。子供の親権は俺には100%ない。別れたら子どもに会えなくなる。それが辛くて別れることができない。子供はかわいい。本当にすごくかわいい。」

本当にSは子煩悩で、実家に帰って来ると子どもの喜ぶ顔が見たいとカブトムシをとったり沢カニを捕まえて子供に持って帰ったり、子どもと遊ぶ時間を何より大切にしていた。心が痛かった。弟がこんな追いつめられた生活をしているなんて思いもしなかったから。監視と追及の生活を。

「私はただSに普通に幸せになって欲しかったよ。家族が全員健康で仲良しで、そういう幸せを掴んで欲しかった。今だってそう思ってるよ。Sに幸せになって欲しいってそう思ってるよ。」

「姉ちゃん、俺にはもう居場所が無いんだ。もうどこにも俺の居場所はないんだよ。」

叫ぶようにSは私の前で激しく泣いた。腹の底からの本心だと思った。一人で背負ってしまった苦悩、苦しみ、孤独。分かち合う人には憎しみを抱かれ、愛したはずの人にも家族にも追いつめられていく。私も一緒に泣いた。二人で声を張り上げて泣いた。兄弟だから喧嘩もする。でも兄弟だからお互いの幸せを願う。ずっと一緒に暮らしてきた兄弟だから。Sがこんなに苦しい思いをしていたなんて。姉ちゃん、気が付いてあげられなくてごめんな。


祖父母は「帰らないで。おいて行かないで。」と最後の最後まで涙を流し、父も悲しげな顔で私を見送り後ろ髪ひかれながら、私はお盆で実家に帰省しているTと合流すべく高速に乗ってひた走ること12時間。やっと家族のもとに帰った。まずはTの家族にお礼を直接言いたかった。嫁の立場でありながら我がままを言ったことに理解をしてくれ、その上協力をしてくれた。この上なく感謝でいっぱいだった。家族団らんの時間が夢のように幸せだった。

すると私の携帯が鳴った。着信は弟からだった。

「姉ちゃん、無事に着いた?今日はありがとう。話を聞いてくれて本当にありがとう。ありがとう。姉ちゃん。ありがとう。」一体何回お礼を言うんだ?

「つい喧嘩腰になってしまって。ごめんね。でもずっとSの幸せは願ってるよ。兄弟だから困ったことはまず話して欲しい。」

「うん。ありがとうね。ありがとう。」そう言って電話は切れた。変な電話。そんなにお礼を言われるようなこともしてないし、言ってない。その上父の事をもう少し気にかけてもらえないかと喧嘩腰になってしまったのに、こんなにお礼を言われると何だか後味が悪い。

寝顔を見ていると子供達がたくましくなったように感じる。家族がバラバラになりながらも全員がそれぞれの場所で精いっぱい頑張った。こんな小さな二人でさえ。私はやっと安心してTと子ども達の傍で爆睡した。


それからは忙しい毎日だった。保育園に行くための準備は全くできていない。買い物や縫物。たまった家事をこなし、2人の世話をする。故郷から持ち帰った荷物を整理していると、ふと黒い割烹着が目に入った。母の荷物を整理している時、黒い割烹着を見付け、近所のお葬式のお手伝いに行くとき母が使ったものだと思うが、もう母は使えないなと整理した荷物がここに交じってしまったことに気が付いた。仕方ないので洗濯をして干すことにした。

故郷から帰省して一週間。お天気が良くて洗濯物が乾きそうな気持の良い朝だった。すると妹からの電話だった。

「姉ちゃん....。」泣いてる...?

「どうしたの?何かあった?お父さん具合悪いの?」

「違う。Sが死んだ。」

「え???何??よくわかんない。」頭がパニックになった。

「今お父さんが警察に呼ばれて検死に行ってる。遺体はお母さんが入院している病院に運ばれてる。お父さんがいつもと違う時間に病院に行ってるから、お母さんに不審に思われないように見つからないように行くって。海で首をつって、今朝遺体が見つかって犬の散歩をしていた人が通報したんだって。」

「なんで?噓でしょ?だって一週間前会って話したときはそんなこと...」体ががくがくと震えた。

私のせいだ。あの時私は、父の事が心配で弟を責めるようなことを言ってしまった。私が弟を追いつめた。殺したのは私だ。ごめんなさい。ごめんね。S。

「一昨日突然お母さんの病院に現れたんだって。それでご飯を食べさせてくれたり、トイレに連れて行ってくれたり、リハビリも一緒に付き添ってくれたって。一日お母さんの傍にいたみたい。お母さんは、こんなにここにいていいの?Eに怒られないって何度もSに聞いたみたいなんだけど、Sは大丈夫だからってずっと傍にいてくれたってお母さんがすごく喜んでいたみたい。それから昨日職場を無断欠勤して、皆がSを探してて。朝パチンコ屋さんでフラフラするとこを見たっていう人がいたみたいだけどそれ以降誰も行先を知らなかった。」

「そうか。S、お母さんに会いに行ったんだね。」

「うん。もうずっと家に帰っていなかったみたい。この半年、当直で勤務先に泊まる以外はずっと車中泊だったみたい。お父さんの借金の連帯保証人になったことが家族に知れ、あの家の中にはSの居場所はなかったみたい。多分もう体も気持ちも限界だったのかもしれない。Eの家族には相当責められただろうし。それに、秋から救急救命士の資格を取るために、家族と離れ東京で一年研修に行く予定だったらしいけど、行く前に色々勉強しなきゃならないのにお父さんとお母さんが倒れて、いきなりお父さんがの替わりに地域の仕事とかもやらなきゃならなくなって。成績も悪くて、勉強する時間も無くて、結構追いつめられていたと思う。」

「私も実家で暮らしてSが苦しい思いをしてるってすごく感じた。でも車中泊は知らなかった。実家に帰ってきたこともあったけど、夜中に帰ってきて朝は私が起きる5時前にはもう家にいない事が多かった。何で言ってくれなかったんだよぉ。こんなことになる前に。」妹と二人で泣きながら電話をした。電話だけど、妹がいてくれることが心強かった。

「これからお父さんがSを家に連れて帰るから、私もすぐに向うね。」

「わかった。私はTに連絡して、なるべく早くそっちにいけるように段取りしたら出発するから。」

電話を切ると、底知れぬ怖さが襲ってきた。かと思うと本当の事なのだろうか。本当にSは死んでしまったのだろうかと全く現実味がない。考えてみると、あの川の傍に立っていたS、私に何かを伝えたがっていたのに、余裕のない私はSの気持ちを聞いてやることさえしなかった。Sの心が壊れ始めていたことにさえ気が付かなかった。

Tと家族全員で故郷に向かうことを決めた。Sは子どもが大好きだった。自分の子供だけじゃなく妹のこどももとても可愛がっていた。Sに私の子ども達も会わせたかった。


暗闇の中にぼーっと浮かぶ忌中の提灯の明かりを見た瞬間、やっぱり現実なんだと打ちのめされた。呼吸が苦しくなる程心臓が激しく動いていると思った。Sは静かな顔で胸元で手を組んで横たわっていた。父と妹が一緒に近くで眠っていた。そっと触れてみると、その肌の冷たさに驚いて手を引いてしまった。ここにSの体はあるのに、私と違うことといえば心臓が動いているかどうかということだけなのに。私の手は温かくて赤みをおびている。でも弟の手は透き通るように青白くて氷のように冷たい。体はここにあるのに動かない。どんなに呼んでも動かない。どうして。私達はSの傍から離れられなかった。皆で身を寄せ合うようにしてSの傍で休んだ。


父と妹でSの体を大切に手入れをして、葬儀屋さんが時間をかけてマッサージをしてくれ苦しんだ顔の表情をとり、手を組めるまでに硬直した腕をマッサージしてくれた。私達が到着した時には静かに眠るSの姿になっていた。もしもSの苦しむ顔を間に当たりにしたら、私は一生自分があの時Sの話を聞いてやらなかったことを許せず、苦しみ続けたかもしれない。

葬式が立て込んでいてなかなか火葬も告別式も日が取れず、結局葬儀は5日後に決まった。皆口々にまだSが家にいたいのだろうと言った。子供達は無邪気。死の意味も分からず横たわっているSの傍にある仏具で遊んだり、Sをしげしげと見たりする。でもきっとSならすぐそこで、喜んで子ども達と遊んでいるだろうと思う。賑やかに大勢で集まるのがSは大好きだった。ここは田舎。都会のような簡素な葬儀と違い、まだまだ地域色が色濃く残り昔からのしきたりを大切に重んじる。この地域独特の葬儀なのだ。準備も近所中の人が集まって行う。

初めて父が泣いている姿を見た。「俺のせいでSを死なせてしまった。」そう言って拳を握りしめて震えながら泣いた。「俺に今出来ることは、最後までSを丁寧に弔ってやり、天国に逝けるように精一杯葬儀の喪主を務めることだ。それまでは何としても倒れるわけにはいかない。」そう言って涙をぬぐって、父はそれ以降涙を見せなかった。母にはまだSの事を話していない。入院中の母は余り良い調子ではなかった。皆でどうするかを話し合った。近所の人も家族も全員で祖父母と母には交通事故で亡くなったと言おうと決めた。祖父母はSの傍でおいおいと泣いた。

「どうしてこんなおいぼれの年寄りが死なないで、Sが死ぬんだ。私が代わりに死ねばよかった。死にたくても死ねなくて苦しい。Sがかわいそうに。かわいそうに。」

そしてSの体中を舐めるように観察し

「本当に交通事故なの?どこに傷があるの?交通事故でどこをけがしたの?傷が無くて変だなあ。」などと言ったりする。

母に弟の姿を見せなければ死は理解できないだろうと思った。病院の先生に事情を話し外出許可をもらった。余り長時間の外出は出来なかったが一目でもSに会わせたかった。

「父ちゃんが変な時間に病院に来ていたって同じ病室の人が言っていて変だと思っていたんだよ。それに毎日病院に来ていた父ちゃんが来ないから、何が起こったのかと思っていた。」と母は何かを感じていた。

歩けない母を皆で支え弟の傍まで連れて行った。

「S。痛かっただろう。喉が渇いただろう。」そう言って、母は何度もSの口元に濡れた綿棒で水を運んだ。動く手で何度も何度も。愛おしそうに弟を見つめ、愛おしそうに丁寧に唇に水を運んだ。


Eが葬儀の準備に顔を出すことはなかったが、EとEのお母さんが二人でSに会いに来てくれた。Sが最後に言った言葉、「俺はEと二人で本当の家族を作りたかった。」だったとEに伝えた。すると突然Eの母が金切り声をあげて叫んだ。

「あんたはどこまで私を裏切れば気がすむの。この裏切り者。」とSの遺体に向かって鬼の形相ともいえる顔で叫んだ。死んでもなおまだ責め続けられるS。全ての視線がEの母に集まった。その場から逃げるようにEとEの母は立ち去った。それ以降EがSに会いにくることはなかった。

私に電話が入った。Eからだった。「私達家族をこれ以上苦しめないでください。あれからは母は体調を崩してしまって。」強い口調で私への抗議の電話だった。私は正直にSの気持ちを伝えただけだ。私達家族...その中に弟はいないのか....。弟は家族ではなかったのか....。話をする気になれなかった。こんなに誰かに憎しみを向けられることなど今まで生きてきた中で一度もなかった。一度は愛し合った関係ではないのか、それなのにこんなに心底憎しみをむけることが出来るなんて。何故、結婚などしたのだろう。何故、離婚をしなかったのだろう。弟は思い通りに動くロボットではない。感情のある一人の人間だ。そんな弟の良い所も嫌なところもみんなひっくるめて好きなったんじゃないのか?悲しかった。


Sはお盆からの一週間の間に死に向かって整理をしていたんだ。私への電話。母の看病。そして車の中にはE宛とEの母宛と父宛の3通の遺書があった。父には「命をかけて、父ちゃん母ちゃんを守ってやるからな。」そう一言書かれていたと父が話してくれた。どういう意味だったのか。もしかしたらこの呪縛ともいえるこの関係を命を懸けて断ち切ったのではないかと思った。

祖母が最後にみたSの姿は、異常ともいえる姿だった。時間ボケなのか、夜中二時に必ず起きて朝だと勘違いしていた祖母がいつものように起きて土間の電気をつけると、土間にうつぶせに倒れている人が。

「S?」

驚いて名前を呼ぶと、だるそうに起き上がったのはやっぱりSだった。

「何だ。ばあちゃんか。疲れて寝てた。布団に行って寝るわ。お休み。」そう言って立ち上がって布団に向かったS。そもそも土間になど通常なら絶対寝ない。もう気力さえ残っていなかったのだと祖母の話を聞いて悲しくなった。


火葬場までの道のり。小さな頃この辺でSが飴を喉につまらせて祖母と兄弟で慌てて足を持って宙ずりにしてたたいて飴を出したよね。この辺でSがハチの巣に石を投げて遊んで、その後に通った妹が何十か所もさされて救急車騒ぎになったよね。小学校まで毎日この遠い道を通ったよね。ずっとずっと思い出が続いている道。父は最後にEの家の前を通って火葬場まで行くように運転手さんにお願いした。Eの家の前を霊柩車はクラクションを長く鳴らして徐行し、父はSの代りをするように頭を深々と下げた。

葬儀には大勢の職場の人や友達が来てくれた。仲間を大切にしていた弟らしい。火葬場にはEだけが来てくれた。Sの顔を見て花を棺の中に入れてくれたが、本当にあっさりとさっぱりとした別れだった。「Sの遺書には私以外に好きな人がいたと書かれていました。」Eが私にそう告げた。しかし今更どんなことを思ってもSは戻ってこない。Sが他の誰かを好きになったとしたら、誰かを好きになる心のすきがSにはあった。それは孤独か?逃避か?遊びか?もしかしたらそれが本当の愛だったのかもしれない。告別式にはとうとうEもEのお母さんも来ることはなかった。

Sの2人のこどものうち、5歳の長男は父の死を受け入れきれず、布団の中で声を殺して泣いていたり、かと思うと「お父さんなんか嫌いだ。」などと言って強がったりする。もう一人はまだ生まれて数か月。Sの記憶など全く残らず育つのだろう。将来どんな風にSの事を聞いて育つのだろうか。Sがどんなに2人のこと大切に思っていたのかをせめて伝えてやりたいと思った。


父を残して帰るのは心苦しいことだったが、帰るとすぐに私の仕事が始まる。Sの葬儀を無事に終え私達は帰途についた。


育児と家事と仕事の両立。生活は一気に激変した。配属先は元の部署から異動になり新しい部署へ。新しく立ち上げたプロジェクトを作り上げていく部署だった。課長二人に私だけの部署。営業周りをする二人をサポートするのが私の仕事だった。慣れない仕事。覚えることもいっぱい。家に帰れば食事にお風呂寝かせ付け×2。毎日をこなすのが精いっぱいだった。でも弟のことはいつも頭の中から消えなかった。忙しいことはありがたいこと。何かをしているときは夢中で後のことは考えられないが、ふと気が付くと弟の死について考えている。突然仕事中にそのことが頭に浮かぶと涙がこみ上げてくる。情緒不安定な状態だった。妹達も同じだった。皆それぞれの場所で弟の死という現実にまだ心がついて行けず苦しみもがいていた。私は日増しに弟を助けられなかった後悔の念が強くなり、自分自身を責め続けて泣いた。そんな中での小さな体で困難を困難とも思わない力強さで生きている二人の姿は唯一の希望だった。


同じ課の課長がある日自宅で骨折をした。暫らく入院するとのことで、営業周りが出来なくなりそのフォローなどに奔走する日々が続いた。骨折以外は、元気なので病室で仕事をし、メールで指示をもらいながらフォローすることになった。メールで連絡を取り合うようになってから、課長と仕事以外の話もするようになり、会社に出社するようになると、私の様子から時々辛くなる気持ちに気が付いてくれていた。

「何をそんなに苦しんでいるのかよかったら話してみないか。」

そう言ってくれた。苦しい気持ちを吐き出したかった。私が弟を殺した。あの時話を聞いていれば救えたかも。鬱ではないかと気が付いていれば対処できたかも。弟を責めたあの瞬間に弟は自分の死期を決めたのではないか。そんな思いがずっと私を捉えて離さない。私は正直に課長に夏に起こった出来事を話してみた。

「そうか。そんなことがあったんだね。俺には君の気持ちがよくわかるよ。俺もずっと大人になるまで自分を責め続けてきたから。俺の弟は小さい頃死んだんだ。俺のせいで。あの日学校から帰ってきてから二人で近くの線路に遊びに行ったんだ。線路はお気に入りの遊び場だったから。そして夢中で遊んでいたら電車が来て、逃げ遅れた弟が死んだんだ。親父とお袋が駆けつけ、お袋は電車に惹かれてグチャグチャになった弟を見て半狂乱になって泣き叫んだ。俺はどうすることも出来なかった。俺のせいだ。俺がここに弟を連れてこなければこんなことにならなかったのに。俺が死ねば良かった。そう思ったよ。弟は素直で優しくて、優秀で成績が良かった。親父の後を継いで医者になるのが夢だった。でも俺は勉強が嫌いで成績も悪くて、おやじの後を継ぐなんて無理だったし、俺には俺のやりたいことがあった。俺が弟を殺したんだっていう思いがずっとずっと消えなかった。本当にずっと苦しんできた。でもいつしかその想いが変わってきたんだ。俺が親父やお袋、自分の家族を幸せにできるよう張れば、天国の弟は安心するんじゃないかって。それが俺に出来る事じゃないかって。俺に出来ることを精一杯やって、弟が安心して天国で休めるようにしてやろうって。今君にこんな話をしてもすぐに気持ちを切り替えることは出来ないと思う。でも覚えておいて欲しい。そしていつか弟さんが安心して天国で休めるようそれが供養だって思えるようになっていって欲しい。」

大切な話を私にしてくれた課長の誠実な気持ちが伝わってきた。本当に有難かった。どん底の中に光が差し込んだような気持ちになった。狭い地元ではSのことはうわさになっていた。飛び降りる瞬間、人気のない海岸に獣なのか人間なのか分からない叫び声が響いたのを海の近くに住む人が何人も聞いたのだと。弟の胸の中はどんなだっただろう。叫び声にはどれほどの苦しみと悲しみと孤独と絶望が込められていたのだろう。もう今となっては弟の本当の気持ちを聞くことはできない。


母が倒れた時から借金の返済は止まったまま。父は大変な状況になっていた。私達も出来る限り支援をしようと働いて仕送りをした。残業が出来る時は何時まででも働いた。夫婦交代で子どもの面倒を見ながら、家で会話する時間が無いほど働いた。しかし、小さく産まれた子ども達は集団に入るとすぐに病気をもらってくる。肺の弱い二人は特に風邪をもらってくると大変なことになる。普通のこどもがひけばなんてことないRSウィルスも二人が掛かれば即入院。肺炎を起こし入退院の繰り返し。付添をしながらハードな仕事をこなす毎日だった。休む時間がなく、体はいつも疲れを感じていてイライラが募る。それなのにうまくご飯を食べてくれない、着替えに手間取る、子育てにはイライラ要素ばかり。つい声を荒げてしまう日々。

そして弟亡き後は長女である私に農協からの借金返済を迫る連絡がくるようになった。私は連帯保証人ではない。返済義務などないはずだ。長女だからという理由で取り立てるのはおかしい。農協から手紙が届くようになり、そこには父自身が、私が返済の肩代わりをすることを望んでいる事、だから速やかに残りの金額を支払って欲しいというような内容が書かれていた。しかし私にはそんな義務もなければ支払えるお金もない。手紙が届いても無視していた。

すると今度は自宅に電話がくるようになった。農協からの電話とは知らず取ってしまった。

「長女のなおこさんですね?お父さんが借金をあなたに支払って欲しいと望んでいます。ご本人が言いにくいというので私が代わりに電話しています。残金は手紙でご案内した通りです。つきましては返済期限までに現金の準備をお願いします。」

「私は父からそんなこと頼まれた覚えはありません。それに私には支払う義務もないので支払いません。父が支払えないなら自己破産申請して全てを失うしかもう方法が無いと思います。私はそれでいいと思います。」

「自己破産したらもうあなたの故郷もなくなるんですよ。どんなにあなたのお父さんが大切に故郷を守ってきたことか。それをあなたは全てうばうんですか?」

「致し方ありません。父が自分で決めて作った借金ですから。自分で何とかするほかありません。」

「あなたは本当に冷酷な人だ。」

「冷酷で結構です。私には私の家族を守り抜く責任があります。父のためだけに生きてるわけじゃありません。」


次のストーリーに続く。

























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