ある小さな女の子の生きた姿

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面会はお昼からなので

待って待ってやっとのことで娘に会いに行くと、

夜間泣き通したのでしょう、

両目がぷっくりと腫れていました。



笑いながら、

「がんばったんだよー」みたいなことを話してくれて、

妻も私もまたポロポロと泣いてしまいました。



それからは面会時間が終わる20時までに、

なんとか寝かしつけるように配慮しました。



だって20時までに寝られなければ、

私たちがバイバイしてまた大泣きで分かれるのです。

あんな切ないことはできるだけ経験させたくないと思い、

妻も頑張って寝かしつけました。



娘はいつも妻の手を触って寝ていました。

必ず白い手袋をしてもらい、

さわさわしながら寝るのが娘の安心できる寝方でした。



パパではダメ。

妻でないとダメでした。



そういえばその時は四人部屋でしたが、

隣の女の子はパパが大好きな子だったそうです。



夜パパが会いに来ると、

パパに帰って欲しくなくて絶対寝ようとしなかった。

そのうち20時が来て、帰らなければいけません。



当然女の子は大泣き。

それではと、

20時までにママが女の子を寝かしつけます。

その間パパは別室で待機。



そして眠った後、

パパが女の子の寝顔を見に来ていました。



会いたいけど、

自分が会いに来ると泣いてしまう。

パパの思いやりがとても温かく切なかったです。



四人部屋の時は、

必然的に同室のこどもたちや親御さんたちとの交流が生まれ、

緊張感のある入院生活に

少しの安らぎを生んでくれました。



ある時は病室がプレイルームになったかというぐらい

おもちゃが散らばって、

キャアキャア言いながらこどもたちが遊んでいた時がありました。



入院していると言っても、

まだ体調が良い状態だと、

体力もありあまっていますから、

そこはこども。

もう思いっきりやりたい放題になります。



水疱瘡が流行り病室から出てはいけないとなった時は、

見かねて看護師さんが病室の一角に畳を敷いて、

プレイルームのように遊び場を作ってくれたことがありました。



こどもたち同士だけではなく、

付き添いのお母さん同士も交流することで、

自分のこどもがどうなるか分からない不安を打ち明けあい、

時に愚痴ったり時に励ましあうことで、

お互いを支えあっていました。



とにかくこんな環境は特殊ですから、

普通に元気に過ごしていたら、

絶対に経験しないようなことをしている。



他人には言ってもなかなか響かない部分も、

同じような境遇の人と交流することで、

気持ちを分かち合うことができ、

緊張の紐を緩ませることができたのだと思います。



思いやりのある方たちばかりでした。

この時妻は下の子を妊娠していました。



お腹が大きくなりつつある中、

娘の病気が分かり、

毎日病院へ通い詰める日々でした。



ある時お母さんが「お腹大丈夫?」と

話しかけてきてくれました。



少しの立ち話でしたが、

ふっと気持ちが軽くなったそうです。



後から、そのお母さんのお子さんが

危険な状態にあったことを知ります。



自分のこどもが大変な時に、

そうやって他人を思いやることのできる姿に感動しました。

そしてここはそういう優しい空気に包まれている、

そんな病棟だったと思います。

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