ある小さな女の子の生きた姿

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娘のためならと、

妻はお弁当作りに励みます。



作ってから2時間以内に食べることが決まりなので、

いつも前日に下準備をしていて、

面会が始まる12時ぎりぎりに作り始め、

娘にはホカホカのあたたかいお弁当が届けられるようにしました。



幸い娘は妻の弁当を食べてくれて、

大好きな野菜の肉巻きや鶏肉のみそ焼きなど、

病院の食事を食べないことが嘘のように、

美味しい美味しいと頬張っていました。



桜が咲く時期になると、

ベビーカーに乗って

病院の周りの桜を見に行ったこともありました。



風に舞う桜の花びらを見て、

「さみしいよー」と泣いていました。

桜が大好きだった娘。

一年中咲いていればいいのに。



それから暫くして、

また厳しい状態が続きました。

体が大きいことが自慢だった娘の脛はほっそりして、

骨が折れてしまいそうでした。

肌もガサガサになり、

ベッドの上が剥がれた皮膚でいっぱいになりました。



自分で呼吸することが難しくなり、

顔全体を覆う酸素マスクをつけるようになりました。

それでも生きようと懸命だった娘。



私たちみんながもう一度奇跡を信じていました。

でも・・・。



何度目かの集中治療室で

先生や看護師さんたちと話をしました。

これから娘にどうしていくか。



大変厳しい状態であることは分かりました。

娘に何ができるのか。



混乱している妻と私に、

先生が

「娘さんに聞いてみてはどうですか?」と投げかけてくれました。



このまま集中治療室で治療を続けるのか、

それとも以前の病棟に戻って慣れた環境、

慣れた職員さんたちと一緒に過ごすのか。

また病棟なら妻も私も泊まることができると。



妻から娘に話をしました。

泣きながら話をする妻を見て、

娘はティッシュを手に取って妻の涙を拭いてくれました。



自分も苦しいのに、

まだ人を思いやることのできる優しい子でした。

そして娘は病棟へ戻ることを自分で決めました。



病棟では、ベッドを二つ並べてくれて、

妻と私も一緒に寝られるようにしてくれました。



骨髄を分け合った弟も会いに来てくれました。

お姉ちゃんの名前を呼んで嬉しそうでした。

この一年ぐらい、

外泊をしてちょこっと会っただけだったので、

こうやってゆっくり会うのはなかなかないことなのです。



大好きだったあんこも食べることができました。

喉が渇いたら砕いた氷を食べました。



お世話になったみんなが娘に会いに来てくれます。

夜は私に抱っこして欲しいと言って、

私の腕の中で抱っこされながら、

一緒に休みました。



それまで「パパは嫌い!あっち行って」と

ストレスをぶつけていました。

でもこの日はパパと寝たいと言ってくれた。

本当に嬉しかった。



次の日は妻の抱っこで休みました。

大好きな看護師さんも夜勤でいてくれました。



お熱がでてほっかほかの体で懸命に生きようと

一瞬一瞬を頑張って生きていました。



それから娘は、

妻と私に両手を握られながら

静かに静かに息を引き取りました。



小さく痩せ細った体で、

生きようと懸命に頑張った命。



どんな夢でも願い続ければかなうというのは、

嘘だと思いました。



あんなに生きたがっていた

娘の夢は消えてなくなりました。



痛くて苦しい思いをたくさんさせてしまった。

変わってあげることもできなかった。

せめて切ない思いを少しでも減らせたら・・・。

ごめんねはいくら言っても足りないぐらい。



でもこれだけは間違いないこと。

私はあなたに出会えたこと、

心の底から嬉しいと感じています。

出会ってくれて、

産まれてきてくれてありがとうね。



まだあたたかい娘の体をさすりながら、

たくさんのごめんねと感謝を伝えました。



病気はやっつけられなかったけど、

たった6歳でもめいっぱい

懸命に生ききったその姿は本当に立派だったと思います。



娘はいつまでも私たちの心の中に生きています。

これからもずっとずっと、

私たちの家族なのですから。

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