ある小さな女の子の生きた姿

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その刺繍を表紙にして冊子を作ってくれました。

お友達みんなからの絵とメッセージを書かれていました。



娘が幼稚園に通えたのはたった半年。

でもその間にできたご縁で、

娘はたくさんのお友達ができて、

こうやって応援してくれるんだなと感動しました。

また戻ってくるからねとみんなに力強く約束しました。



以前入院した病棟へ戻ってきました。

もうすっかり慣れた看護師さんたちがいます。

一緒にAKBのダンスを踊った仲です。

みんな以前のように笑顔で迎えいれてくれました。



治療はすぐ始められました。

白血病の進行は早い。



娘にとって二度目の骨髄移植をしなければなりません。

幸いドナーさんがすぐに見つかり、

移植へ向けての治療が始まりました。



今回も調子が良い時は、

外泊して自宅で家族と過ごすことができました。

息子と大騒ぎで遊んでいましたっけ。



それからクリスマスにサンタさんからプレゼントしてもらった、

自転車にもたくさん乗りました。



白血病と宣告されても、

こうやって自転車に乗ることができる。



諦めたら終わりだと思いました。

娘は生きようとしている。

だからそれを支えてあげなければならないと思いました。



一度目の骨髄移植は息子から。

二人で頑張って元気になれたと思ったのに・・・。

でもあれだけ大変な思いをして奇跡を起こした娘なら、

また元気に帰ってこれるよなぁと思いました。



移植を終えて数日でリハビリがしたいと言い、

個室にリハビリの先生に来てもらって、

足の運動を行いました。



移植後数日でそんなことやる子はあまり見たことないと、

看護師さんたちも驚いていました。



元気に向って一歩一歩回復。

この時も娘は生きようと頑張っていたのだと思います。



ところが治療を続けていても、

なかなか思うように良くならない。

お腹が痛くてご飯が食べられないこともありました。

お腹を押さえてうずくまってしまう。



昨日良かったと思ったら、

今日は痛くて起きられない。

そんなことも珍しくありませんでした。



少し回復してきてお粥を食べられるようになった時、

本当に幸せそうな顔で

「おいしい~」

と言って一口一口

大事そうに口へ運んでいたのを今でも覚えています。



食べられることって嬉しいんだな。

娘を見ていると私たちが当たり前にやっていることが、

いかに幸せなことなのか痛感させられました。



またしばらくしてお腹が痛くて食べられなくなり、

点滴に頼る日が続きました。



そのうち病院の食事は

「美味しくない」と言って食べなくなりました。

拒否ですね。



長いこと治療を続けていても、

ちっとも良くならない。

家に帰って家族と過ごすこともできない。

そういうストレスも抱えていたのだと思います。



そこで先生が妻に、

「お母さん、お弁当を作ってきてくれませんか?」

と言いました。



少し調子が良くて自宅に外泊できた時、

妻が娘の好きなものを作ってみんなで食べました。

そしてそれは「美味しい」と言って綺麗に食べることができたのです。



病院の食事自体はもう食べたくないという意思表示をしているので、

お母さんの作った美味しいご飯を食べて、

栄養補給してもらいたい。



先生と栄養士さん、妻と

どういう風に弁当を作って提供するか相談しました。



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