『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第4章「個展を企画してみる」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第3章「売り込み事始め」
次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第5章「初個展を開催して知ったこと」

その1「フランス語がなぜか個展へとつながる」

イラストレーターとなって4年目。
通常なら、経験も色々積んでバリバリ頑張っている最中
と言いたいところですが、編プロを離れた事もあり
この年から嘘みたいにパタッと、仕事が取れなくなりました。

イラストレーターはこれと言った学歴も資格も
必要がない職業です。なので「仕事をしなかったら、即無職の人」
になってしまいます。人前で堂々と「イラストレーターです」と
職業を告げにくい、辛い立場になってしまうのです。
なので何か活動をしなくては、と焦ります。
しかし焦れば焦るほど、営業をしても全然仕事につながりません。
どうしたものかと悩んでいた矢先、勤め先の歴史史料館のスタッフ間で
語学ブームが発生しました。周囲が皆、ドイツ語やスぺイン語、
インドネシア語等を習いに行くのを見て、私も気分転換をかねて
仕事帰りに麻布の区民館で開催していた、フランス語教室に
通う事にしました。


その教室には老若男女問わず、様々な人達が色々な目的で
フランス語を習いに来ていました。偶然、その中に1人だけ
イラストレーターの方が交じっていたので「私も(一応)同業なんですよ」
と声をかけました。
更に彼女とは歳も同じと言う事が判明し、すっかり意気投合。
そしてお互いの作品ファイルを見せ合う内に「展示会はしないの?」と
言う質問をされました。

これには正直驚きました。当時の私の感覚では
「展示会はキャリアのある大御所がやる事で、費用も1回につき
100万円ぐらいするもの」と言う、偏った知識があったからです。
でも彼女は「いや、お金はそんなにかからないよ」と言います。
どうやら詳しく話を聞くと、画家の方とイラストレーターとでは
展示会と言っても、その雰囲気はだいぶ異なる様でした。
「無料で借りられる会場も探せば結構あるし、グループ展なら
割り勘で安いよ」と、色々と目から鱗の情報を教えてもらいました。

それなら今は仕事がない時期だし、無理に焦らず
少し目先を変えて別の方法で働きかけてみるのも、
経験上いいのではないか。

こうしてフランス語から展示会へと、少し不思議ないきさつで
イラスト活動を方向転換する事になりました。
そしてこの先、約1年の長い準備時間を経てゆっくりと
初個展計画が進められていきました。
余談ですが、このフランス語教室は、結局半年程で
辞めてしまいました。教わったフランス語も、すっかり
忘れてしまったけれど、この時知り合ったイラストレーターの友人とは
その後も(20年以上に渡って)交流が続いています。
世の中、何処でどのような人に会うかわからないものです。


その2「個展の会場探しに四苦八苦する」

さて「個展をやろう」と、志を高く持ったのは良いけれど
その当時は肝心の展示用作品が手元には
一枚もない状態でした。
仕事で描いた絵は沢山あったけれど、いつの間にか
「自分のオリジナルの絵」を描かなくなっていた事に、
この時初めて気がつきました。
なのでこの個展を機に「自分が本当に描きたい世界(作品)とは
なんだろう」と、軌道修正をする事が出来たのは良かったけれど、
問題は会場探しです。

どんな形式の会場であれ、展示をするとなるとまず
作品審査が行われます。その会場の趣旨や雰囲気、
また作品のレベルが見合わなければ、展示をお断り
されるのですが、まずは作品がないと話になりません。
私が取り急ぎ「こんな感じの物を描きます」と、寄せ集めた作品達は
画材も描き方も統一感がなく、てんでバラバラ。
なんとも心許ないファイルでした。
個展を行うのは初めてで、誰かの紹介で来たわけでもない、
しかもまともに飾れそうな作品すらないと言う人に、会場側が
渋い顔をするのは当然の成り行きでした。

なので原宿の某ギャラリーで審査を受けた時は
「まだ個展をされるのは、時期尚早ではありませんか?」と、
やんわり断られました。
更にその後、ようやく原宿の(当時まだ建っていた)
同潤会アパート内にあった某ギャラリーで「展示OK」との
承諾を貰えましたが、決まった直後にアパートが老朽化のため
取り壊しが決まり、予約がキャンセルになったりもしました。

そんな幾多の紆余曲折を越えて、「絵を描く人に発表する場を
提供できれば」という、非常に寛大な趣旨の元
当時神宮前にあったギャラリー神宮苑さんで展示をする事が
決定しました。

会場が決まったら、次は展示の仕方が気になります。
なので仕事帰りに、青山~原宿方面の色々なギャラリーを
渡り歩くようになりました。
実際の会場を見ては額装や展示の仕方を調べたり、
作家さんがいたら声をかけて、どんな画材を使っているかを聞き
自分でも実際に試してみたりと、そんな手当たり次第の
試行錯誤の日々が、開催当日まで約1年ぐらい続きました。


その3「営業活動、岐路に立つ」

個展準備は次第に忙しくなっていきましたが、
イラストの営業活動も、同時にコツコツと行っていました。
この頃はプライベートでも芝居を見始めたり、旅行に行く
機会が増えたり・・・と、趣味が少し変わってきたので
その経験を生かせるよう、今までお仕事を得ていた
教材系の出版社を離れて、演劇系や旅行系を中心に
売り込みしていました。
ルポ系の旅行本を作ってみたくなったのです。

が、しかし。世の中はやっぱり甘くない。
ファイル一冊分を描きためた旅の記録イラストも
「今の状態の作品では、なんともコメントしようがないです」と
営業先の各出版社さんに、にべもなく斬り捨てられる日々。
「本を作りたいなら、人に買ってもらえる事を意識して
売れる本を作りなさい。読者層を想定して、読者の顔を考えて作りなさい。
特にあなたのような<strong>無名作家</strong>の場合はもっと絵を
どっさり入れるなど、とにかく情報量を詰め込んで、
読者が『得した』気分になる物を書くこと」など、本作りの
ノウハウをシビアに説いて下さった編集者さんもいました。

確かに私は有名ではありませんが、こうもはっきり
「無名の人」と見下されると、どうしたって
「悔しいなぁ」と思います。
「今に見てろよ、私だって」と、何度もリベンジを図っては、
各出版社を後にしました。また同時に、ただイラストを誌面に
使って貰いたくて売り込みをするのと、本を作りたくて
活動するのとでは、勝手が全然違う事を切実に感じました。

今や挿絵的な仕事も全然来なくなったし、
かと言って自分の本を作るのは道が険しすぎる。
イラストレーターとして、自分はどんな分野の仕事を
目指したらいいのか…と、初めて道に迷った頃でした。
そんな折り、思いもかけない所から強烈な説教を受けました。


その4「『こんな絵を描いていたら10年後はないよ』と言われる」

進むべき道に迷い続けていたある冬の日、
某旅行系の出版社に営業に行くと、その会社で
一番えらい編集長さんが、丁寧に作品を見て下さいました。
しかしこの方、かなり個性的でした。
そして恐らくは…とてもいい人だったんだと、信じたい。

なにせ初対面の私に対して、いきなり延々と1時間近くに渡って
「君の作品と今後のイラスト活動について」と言う、厳しい助言を
与えてくれたのですから。

通常の売り込みでは、「この作家、見込みないな」とか
「このタイプの絵に、今すぐに発注できる仕事はない」と
先方が思ったら、とりあえず愛想良く5分ぐらい受け答えをし
その後は持参した作品ファイルを社に保管してもらい
(この預けたファイルが、もしかしたら今後仕事に
つながるのではと言う、淡い希望を作家に抱かせて)
そのまま終わってしまう場合が大半です。

だから時間をかけて、憎まれ役を買って下さった
編集者の方は、すごくありがたい存在です。
これは、まさに天の声。
しかし理性ではそうとわかっていても、言われてる内容が
あまりにも図星過ぎていると、感情が先に出て
正直カチンと来ますが。

私の作品と4年間の仕事内容を見たその方は
「絵も、物の見方も、まだまだ甘い」とズバッと切り出し
「でも絵の上手い下手は二の次。編集者は絵よりも実は
『どれだけ好きな(専門)分野があるか』と
『(それについての)センスがあるか』を 見ているから
この先、専門分野がないとこの世界ではやっていけないよ」と。

更に仕事で描いてきた作品に対しても
「イラストレーターになりたいんだよね?だったらこんな
カット(挿絵)みたいな作品を描いてちゃダメだよ。
カット描きは誰でも出来るんだから、今は良くてもすぐに
仕事が来なくなるし、食べてもいけないよ。
そんな事するぐらいなら、イラストレーターなんて辞めた方がいい。
今のままの絵や活動を続けていたら、10年後はないよ。
アマチュアだったらいいけれど、プロなんだから
それじゃいけないよ」と。

これらは私のためを想って、真摯に発せられた言葉。
そしてその全ては厳しくとも、間違いなく核心を突いています。
それは分かっている、分かっているけれど
初対面でいきなりの猛攻撃に、その時は思わず
「何もそこまで言わなくてもいいじゃん!」と、
反発の気持ちしかわきませんでした。

しかし後日、改めて自分の作品ファイルを見た時、
この時に言われた話を思い出し「確かに…『甘い』って
言いたくなる気持ちも分かるなぁ」と納得。
そして今までの活動を振り返り、人様から言われて初めて
「私が無我夢中でしてきた事は、イラストレーターではなくて、
カット屋の仕事だったんだ」と気がつき、愕然としました。

これは後日談ですが…今にして思うと、カット描きや
説明的なイラストなども、立派にイラストレーターとしての仕事ですし、
そう言う作業をこなしている方が、圧倒的にお仕事の需要も多く、
きちんと生活ができている気がします。
だから別にその道を極めて、描いていたとしても
悪い事ではなかったと思うのです。

でも何故あの当時、あの編集長さんはあんなに熱く
「カット描きはするな」と私に対して檄(げき)を飛ばし、
それを受けた私も痛烈に反省したのか。
恐らくその方は、私が目指す「イラストレーター」と言うものが、
カットの仕事とは異なる世界だったのを、本人以上に見抜いて
いたのかもしれないと、後になって思うのです。

色々な所に作品の持ち込みをして、様々なタイプの編集者の方に
お会いしましたが、この人が一番印象に残った方でした。
そしてこの時の一言が、また新たな転機となって
作品の方向性が、今後大きく変わる事になりました。
「カットじゃなくてイラストを描こう。
ちょうど個展も開催するから、それに向けてのイラストを描こう」と。

この作品に関しての方向転換が、結果として
良かったのか悪かったのか。
未だに答えは出ず、良くは分かりませんが、少なくとも
当面の仕事が更に減ってしまった事は確かでした。
けれどあれだけズバリと「10年後はない」と言われたら、
方向転換するしか道はない。

ずっとずっと試行錯誤を続けて、突破口を見出すために
揺れていた一年でした。


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