【スマホ人間】無くしてはじめて知る依存

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私はいま、父のしていた自営業を引き継いでいる。

それはいつ仕事がなくなるかもわからない、不安定なものだ。

介護にほぼ全てのお金を使ったので遺産もない。


ただ、父の使用していたガラケーが解約なしに残っていたので、

Qや友人とはそれを使って、番号メールで連絡している。

インターネット接続制約をしない契約の携帯電話なのだ。

自分の部屋の中にいるときはSNSも使える。

Qとの出会いの場所であるバルの人たちもみんな、良い人だ。



2017年がはじまってすぐ、女友達のKと二人で2泊3日の台湾へ旅行にでかけた。


Kはスマホを持っていたが、「あまり得意でない人」でwi-fi接続などに手間取っていた。

行きたい場所が異なることもあり、二日目は別行動をした。


地図はもっていたもののiPhoneがないせいで、自分が今いる正確な場所はわからなかったが、

デジカメで写真をたくさん撮った。


ここに載せている写真はその時に撮ったものだ。


これはスマホがあれば、撮れなかった。

道がわからず彷徨うことなしには出会えなかった風景。

それは確かな事実。



でも。と私は思う。


スマホを持っていたら、もっと有意義に過ごせたのではないか、と。


明確な目的地があるKと違い、私は、街の雰囲気をみたかった。


夜にホテルで話をきくと

Kはスマホを駆使しても目的地まで相当に迷った様子だった。


もし私にスマホがあり、2人で行動していれば、Kはもっと効率よく彼女の生きたい場所まで行けたと思う。


ただそれが、私の本意であったかどうかはわからない。

誘われた私は台湾に行きたい思いもあったが、久しぶりにKととも話したかった。

でもそれは2日間、同じ部屋に泊まっていたので、それなりに叶っていた。

KはKで迷ったことでより思い出にもなっただろうし、同じ旅行客との出会いもあったようだった。



結局、どちらが良かったか、などわからない。



こんなことを考えていたら、

「好きなこと」「やりたいこと」がわからなくなってきたのだった。



それが今の状態である。



自分のペースで、自分の頭と心で思考したい。


それは当然なことのはずだ。


スマホはそれを助けてくれていたように思う。



わからないこと。

目的地までの道。

時間。

日記や写真。

人とのつながり。



それらは私を夢中にさせてくれた。



スマホがない今、私はそれを意識的に、

また面倒な方法で、求めなければ、得ることができない。



でもその面倒こそがまさに面白いことであり、

それ以上に面白いことなど無いのかもしれない。

実際人に会う、ことのように。



「常につながっていたい」という願望と

「常につながっている」ということに対する恐怖。


その間でさまよっている。



シムフリーのタブレットを使えば、

今までより年間7万円ほど安く、「常につながる」状態にできることも、わかっている。



わかっているけれど…

今日1日だけ、つながらないでいる。



ただひとつ。

ここで文章を書くこと。

その機会ができたこと。

それが良かったことだと思っている。



そうまさに、この文章で気づきたい。

誰よりもまず、自分自身に気づかせたいのだ。





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