死なないよ、死ぬまでは。
親が動物病院につれていってくれて下半身に包帯をして戻ってきたクロ。股間も損傷していた。車にでも轢かれたのだろうということだった。
クロの怪我はいっこうに治らなかった。
自分で包帯を取り払い、傷口を延々と舐め続けるからカサブタができたところで、それすらもすぐにダメになってしまう。自分で自分を傷つけ続ける。
クロのシッポがあったところの肉がずっと見えるようになった。
何かしらの臭いもするようになった。
次第に私と弟はクロを避けるようになっていた。
あんなに可愛がっていたのに。
そんな状態でも親はクロの面倒をみていた。ずっと傷は治らないまま。
数日後にクロは私たちの前から消えた。
帰ってこなくなった。
いつもはいつの間にか帰ってきていたのに。
それから弟の小学校の友達が、通学路でクロらしき死体を見つけたと教えてくれた。
猫は死を悟ると、家族の前から自ずと消えるということを思い出した。
クロは、死んだのか。
そう思うと私はまた泣いていた。
ボロボロと泣いた。もう帰ってくるはずのない家族。
そんな私に母は言った。
「あんなに嫌がっとったのに」
そうだ。
私は怪我をしてからクロを避けて生活していた。
肉が常に見えていてグロいから。
臭いがしていて不快だから。
私にも、その経験はあるのに。
痛いほどわかっていたはずなのに。
自分がいざ傍観者の立場にたつと、それすらもわからなくなってしまう。なんてひどいことをしてしまったんだろうと今更ながらに。
ひどく傷ついて、自分と戦っていたのはクロなのに。
それなのに嫌悪の眼差しでしか家族を捉えることしかできなかった。家族だと上っ面だけ塗り固めていた。クロは何も悪いことしていないのに。事故にあって傷ついて生きていただけ。
可愛がっていたのは怪我をする前だけ。
怪我をしたクロを、避けていたのは私。
怪我をした猫を、愛せなくなったのは私。
そうだよ。私は汚い。醜く汚れている。
いざその立場になってみないとわかりすらしない。今まであなたとの間に築いてきたものは何だったのだろう。それを簡単に壊したのは、紛れもなく私なのだ。
愛情なんて薄っぺらい。怪我をしてしまえば壊れる愛情なんて。
苦しかっただろう。
治るようにと傷口を舐め続けていたはずなのに、ただ悪化させていただけなんて思わなかっただろう。
私は泣いた。
今まで可愛がっていたというものは何だったのか。
都合のいい部分だけを切り取って流れる涙。
心はどんなに汚れていても雫は流れる落ちる。その先に受け皿がなくとも。
クロはもう帰ってこないのだ。
謝ることすらできない。
代わりはきかないのだ。
高校では小学校の頃と同じく、また母の車で通学することになった。
比較的新しい校舎で、学校名を変更した時に建て直したらしかった。まだ10年も経っていない。新しいというだけで清潔なイメージがあり、田舎くさかった中学校の校舎とは別格のものがある。授業も選択制で自分で好きなものを勉強することができ、校風も自由を謳うまさに威風堂々とした面構えがそこにはあった。
だが、またしても問題は立ちふさがる。
私が逃げようと、どこへ行こうと、問題は次から次にそこにいる。どう対処しようとするのかを見下ろして眺めている。
選択制の授業のおかげで移動教室が多い。しかし、エレベータがないのだ。だから階段がある場合は車いすを四方から誰かに持ち上げてもらい階段を上ったり下ったりしなければならなかった。
そもそも教室が二階にあるので、最低でも一日にワンセットはこれがある。私が入学するのを機にエレベーターの工事を検討し、作業にもとりかかっていたのだが出来上がったのは一年後だった。
それまでの一年間は毎回、先生に、同級生に、車いすを持ち上げてもらわなければ私はどこへも行けなかった。
それが苦痛以外の何ものでもない。実際に体力を使っているのは私ではないのだが、心が少しずつすり減っていく。毎回、毎回、頼むのが忍びない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。少しずつの積み重ねがいつしかすごく高く積み上がり私は自殺しようとした。こんなことをして生きていたくない。毎日、毎日、神経がすり減って。
トイレのこともある。階段の上り下りのこともある。それらのことでいっぱいすぎて、友達のことまでなんて頭がまわらない。日々安全に無事すごせるだけで、それだけで精一杯。もうこんなの嫌だ。生きていたくない。
その晩、遺書を書いた。
ノートの表紙に遺書と書き、家族ひとりひとりに対してコメントを残した。
祖父母には、よくしてもらってありがとう。
弟には、こんな兄でごめんなさい。
親には、障碍者になったことで大変な世話をさせてすいません。
誰だって障碍者を育てるなんて嫌だろう。
こんな風になってしまって、ごめん。ごめん。ごめん。
私はもう充分生きました。
これ以上生きるなんて辛すぎる。
毎日が、辛い。
もっと自由に生きたかった。走りたかった。歩いてみたかった。
普通に学校生活を送って、普通に恋愛なんかしたりして、普通の人として過ごしたかった。
普通に生活するだけでよかった。
それだけ。それだけで。
私は泣きながら遺書を書いた。
さあ、あとは自殺するだけだ。
そうすればもう、こことはおさらばだ。
しかし、死にたいはずなのに痛いことはしたくない。
手首を切るのは避けたいし、睡眠薬ももっていない。
首を吊ろうにも物理的に不可能。
自殺願望はあれど臆病。
何に怯えている?
どうすればいいだろうか、と考えてもいい案が浮かばなかったので延長ケーブルで首を締めた。当然、自分で締めているだけだからそれで死ぬことなんてことはない。でも必至に締めた。
この世と決別したいのだ。
もうここにいたくない。
お願いだから死なせてください。
このまま楽にしてください。
私はまぬけなことにそのまま眠っていた。首にはケーブルが巻き付いたまま朝を迎える。
当然の如く、親に見つかった。
やっぱり死ねなかったのか。
私は相変わらず実家で目を覚ましただけだ。
死後の世界なんかではない。ここはまだ現実。
そこにすら行けない。
母は私を抱きしめて、お願いだからもうそんなことしないで!と言った。
私は、嫌だと言う。
何でも買ってあげるから!と母が反論する。
学校に行きたくない。どこにも行きたくない。
迷惑ばかりかけたくない。
何でも買ってもらえても、私の足は帰ってこないじゃないか。
私の足は!
もう!
こんなに!
迷惑かけて!
ばかり!
なのに!
ちっとも!
動かない!
感じない!
どこに行った!
どこに行ったんだよ!
私の足は!
何度優しくしても!
冷たいままの足!
どこにも連れて行ってくれない!
なのにどこにもついてくる!
迷惑で!
邪魔なだけの足!
歩けたら世界が変わって見えるんだろうな。
もっと楽しく生きられるんだろうな。
こんな人生じゃなかったんだろうな。
私はやっぱり泣いていた。
死ねなかったことに泣いた。
生きなければならないことに泣いた。
自殺する勇気がなかったことに泣いた。
なぜ、まだ、生きなければならないのか。
この世界は、私には辛すぎる。
母は私のわがままを聞いてくれなかった。
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