癌で胃袋を失い生きる希望を失いかけた男が、一夜にして元気を取り戻した物語
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>「残念ながら、問題ありです。」
私より、5つ程年上の女医であった。
メガネの奥の目からは、感情が何も感じられなかった。
残念という言葉を使いながらも、
残念そうではなく、
深刻なことが起こっている風でもなく、
ただ淡々と言葉を並べているように感じた。
だからなのだろうか、
私の方も深刻な事態であるような気がしなかった。
健康診断を受けたのは、2011年9月の初旬。
脱サラして、ほぼ10年、健康診断を受診してこなかった。
妻からは、毎年、再三再四の催促を受けていた。
「こんなに健康なのに、病気なんて、あるわけないじゃん。」
「だから、健康ってちゃんと証明するために行ってきて!」
そして、ついに観念して受けた健康診断。
バリウムの検査で、
「少し影がありますね。」 と言われた。
「再検査の必要があります。」
「今度は、細胞検査になります。」
「内視鏡を見ながら、ほんの少し細胞をとるだけですから・・・」
実際、その女医の内視鏡を入れる技術は、かなりのものだった。
気持ち悪くなることもなく、一度目でスムーズに入っていった。
痛みや気持ち悪さもほとんど感じなかった。
しかし、そのスムーズさとは裏腹に、診断結果は、厳しかった。
「すぐに大きな病院に行ってください。」
「おそらく、手術になると思います。」
「紹介状を書きますので、それを持っていってくださいね。」
すぐに妻が以前入院したことがある病院に予約の電話を入れた。
妻は、元看護婦.。
その病院の看護婦が、同級生だった。
検査の前の晩、
「明日、だんなが世話になるので、よろしく」とメールを入れた。
「え! なんの病気?」
「胃癌だと思う。」
「うちは、絶対止めた方がいいよ」
「なにそれ、ホント?」
「じゃ、どこがいいの?」
「がんセンターに行って」
「医者が癌になったら、絶対にそこにいくから・・・」
そんな会話を交わしたようだ。
当日の朝に、妻がキャンセルの電話を入れた。
電話口の担当者からは、
「当日ですよ!」とかなり強い口調で言われたようだ。
(大きな病院なのに、やめたほうがいいなんて、どうなってんだ・・・)
健康診断を受けた病院に、
もう一度紹介状を書いてもらうために電話を入れた。
「大丈夫ですよ、理由を説明して、そのままその紹介状を持っていってください。」
(そんなものか、そんなとこは融通が効くんだな・・・)
2週間後、
私は、がんセンターにいた。
数々の検査を受けた。
2011年11月14日
二俣川駅についた。
「バスで行こう。」
妻が言った。
いつもなら、改札を出て、上り坂を15分ほど歩く。
この日は、肌寒く、しとしとと雨が降っていた。
もやがかかっていて見通しがよくない。
バス停に行くと、程なくバスが来た。
20分後、
著者の出雲 哲也さんに人生相談を申込む