ADEM 散在性脳脊髄炎 私の知らない世界

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「点滴のが引っかかってるだけよ」と言うと、安心したのか、引っかかってても叫ばなくなった。


担当の先生から、愛大か県病院に移った方が良いかもと言われる。


鷹ノ子病院は脳外科の医師が1人だから、大きい病院の方が、何があっても大丈夫だし、との事。


愛大に転院決定。


私の母は、金ちゃんの異常な行動を一生忘れられないだろうと言っていた。


長い一日だった。



【ノートの記録 7】

2008/6/21


9:00 愛大に決まったものの、最終的に転院させるかどうかは、金ちゃんのお父さんが決める。


まだ嫁ではない私には、決定権がないのだ。


担当の先生からお父さんに連絡をし、やっと転院が決まる。


9:40 救急車が到着


救急隊の方3人くらいと、担当の先生と、看護師さんと、大勢で金ちゃんをストレッチャーに乗せようとするが、体を触ると痛がり、暴れては叫ぶ。


何度もやりなおし、何とか引きずり乗せた。


鷹ノ子病院の看護師さんと一緒に私も救急車に乗った。


救急車の中では大人しかった。


10:00 愛大に到着


到着後、私はすぐに入院など、色々手続きをする様に言われ、別の部屋に行く。


緊急時の家族待合室の様な部屋だった。


手続きをしている間も、金ちゃんの叫び声が何度も聞こえた。


たぶん、今度はストレッチャーから降ろされている時に痛がったのだろう。


愛大の看護師さんから、「病状はお父さんが来てから説明する」と言われる。


やっぱり彼女ではダメらしい。


金ちゃんが、今どうなってるのか分からないまま、私はその部屋で待つ事になった。


不安な時間が過ぎる。


13:00 やっと看護師さんが、金ちゃんの所へ連れて行ってくれた。


3FのHCUだった。


その時私は、HCUが何か分からなかったが、隣にICUがあり、重病なんだと感じた。


HCUの前まで来たが、お父さんがまだ来てないので、中には入れなかった。


私も2日半寝ていなかったので、待合の椅子で横になって待っていたが、眠くなる事は無かった。


Kさん、Sさんが来て下さったが、中に入れないので、会えないまま帰る。


お二人は、鷹ノ子病院で愛大に転院した事を聞いたそうだ。私の職場にも行き、私が休んでる事で、重大だと感じたそう。


私の母も来た。


14:00過ぎ 金ちゃんのお父さんが宇和島からやっと到着。


HCUの前で待っている間も何度も叫び声が聞こえた。


その後静かになったが、麻酔でもしたのかな。


それにしても、ICUの横って、どういう意味だろう。


さらに不安感が増した。



【ノートの記録 8】

2008/6/21


14:30 病状説明


病名は髄膜炎で間違いない。でも、合併症で脳炎を併発している。


かなり重症で、脳の血管が切れたら命はないと思って下さい、と医師に言われた。


後遺症や死亡確率など色々説明を受けたが、気が動転して頭に入らず、二度同じ説明を聞いた。


それでもよく分からない。


涙が止まらない。


やっと、金ちゃんの部屋に入れた。


部屋は個室だった。


複数床が、ある部屋もあった。


手足はヒモで縛られ、胴体も抑制されていた。


酸素マスクをしていた。


心拍数120くらい


麻酔で寝ていたが、まだ効きはじめだったので、何度も手を動かしたり、体を起こしたりした。


19:50 帰宅


HCUは厳しいので、遅い時間までは残れないらしい。


翌日の面会も、家族でも14時からしか入れないとの事。


以下、wikipediaより抜粋


HCUとは、ハイケアユニットの略

準集中治療室、集中管理病棟、重症患者病棟 (High Care Unit) は、高度で緊急を要する医療を行うための病室。ICUよりは軽症な患者を収容する。高度治療室とも。



【ノートの記録 9】

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