15歳の社会人。
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フロントガラスの向かい側をみたら、ボンネットが大きく巻き上がり煙がでてる。信号もみえ、道路の真ん中で止まってることがわかった瞬間
『ああ、わたし、事故ったんだ 』っと理解できた。
救急車がきた。
わたしは、全然痛くなかったけど、体が鉛のように動かない。
ここで死ぬわけにはいかないと、『私の細胞、がんばれー』っと全身の細胞たちに心の底から叫んだ。
つくばメディカルセンター病院についた。
シートベルト未着用で、信号無視で正面衝突した衝撃からは、重体とみられていたが、額の傷は深かったもの、脳にも異常なかった。
左肩脱臼
肋骨4本ひび骨折
骨盤仙骨ひび骨折
右足麻痺もあったが、原因は事故による急性ヘルニア発症
私も入院レベルの重症だったが、旦那が入院になってしまい、3歳の娘を置いて入院する訳にもいかず、私は通院する事にした。
沢山の友人に助けられ、通院や、夕食など作ってもらい、痛みも徐々に消え、2ヶ月で完治した。
ヘルニアは溶け右足麻痺も完治した。
額に7センチと5センチの傷ができ、友人たちに、大槻ケンジみたいじゃない?と友人に笑いながらネタにするほど、顔の傷もまったく気にしなかった。
医者の先生は、信号無視でノーブレーキで正面衝突して、シートベルト未着用で助かったんだから、奇跡だよと言われた。
娘も、たまたま、買ったばかりのジュニアシートに乗せていたため、かすり傷ですんだ。
旦那はシートベルトしてたのに腰椎骨折したが、後遺症もなかった。
相手方も無傷であった。
不幸中の幸いとは、この事をいうんだと思った。
生かされた命が、とても愛おしくなった。
75歳くらいのアパートの家主が、私によく、口にする言葉がある。
『人生一度きりだど。あっとゆー間だから若いうちに、やりたい事やれ』
私は、ずっと、不動産会社を開業したいと思ってきた。
今の会社でも、十分にやりがいはある。
でも、自社物件も成約させなければいけない使命もある。
集合住宅の建築ラッシュにより、自社物件がたくさん空室がでているので仕方ない。
ここ最近、本社の指示で自社以外の仲介禁止令がでた事もあった。
また、人手不足を理由に、来店したお客様に、時間を沢山とるなと上司にも口を出されるようになった。
私が本当にしたい仕事は、お客様の、契約してからの笑顔だ。
飲食店でもないのに、回転率を求められても困る。
人によっては追客し、物件をとことん探す。
そんな原点の接客が、今の会社ではできないのだ。
何にも縛られずに、希望にそった物件を仲介したいと考えるようになった。
そして、38歳。
2回目の育児休暇をいただき復帰しようとしたら、保育園に落ちてしまった。
会社も間もなく退職になる。
もともと、中卒から始まったが、不動産会社に入り、資格もとり、ダメ元で一部上場企業にも務め、襟を正して、成績も残してこれたんだ。
自分を信じて不動産会社を開きたい。
綺麗事だけでは無理かも知れないが、それでもいい。とりあえず私と、手伝ってくれる従業員の給料が出れば良いと思っている。
私は、私の仕事をしたいと思うから、ならば、念願だった不動産屋を開業しようと決意し、それにむけてスタートすることにした。
そして、先ずは支店長や、同僚、上司に退職の意思を告げた。
会社の登記をする為、定款を司法書士事務所に依頼した。
法人登記は経費節減のため、自分で行った。
一歳の子供を抱っこし法務局に行き、何とかミスもなく法人設立登記ができた。
1人だけの小さな会社が設立できたのだ。
そして小さな店舗を構え、宅地建物取引業の免許の申請をした。
無事に免許もおりた。
いよいよ開業である。
そして、遂に2017年10月5日、小さな不動産会社をオープンする事ができました。
オープンして1年が経ちますが、不動産の仕事は、ご縁あっての仕事と言うこと。
友人や、知人、元会社の同僚、今までの取引した入居者などが、ふと私を思い出し紹介してくれる。(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
本当に感謝です。
資産整理の為、土地を売って欲しい。
友達の子供の部屋を見つけて欲しい。
結婚するので、いつか部屋を借りたい。
飲食店できるテナントを友人が探している。
色んな相談を、本当によせていただけます。
もちろん、全てが成約に至るわけではないですが、ほとんど、成約させてもらっています。
明日からも毎日の出会いが特別な事に、これからも感謝して、夢を追い続けたいと思います。
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長文にも関わらずに読んでくださりありがとうございました。
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