容疑者Xの献身を見て (ネタバレあり)

「容疑者Xの献身」のストーリー

何というやるせない物語なんだろうというのが第一の感想でした。

ストーリーは、人生に絶望して自殺しようとしていた高校教師が、住んでいるアパートの隣に越してきた母子に愛を抱き、母子がおかした殺人の罪の隠蔽にてを貸し最後には自分がその犯人として警察に出頭して、母子を守ろうとする、それを物理学者の湯川学が真相を暴くというものでしたが、真相を明らかにしたところで誰も幸せにならない。


それどころか、事件を解決した湯川学が一番傷ついてしまう。大学時代の優秀な友人を犯罪者として告発しなければならないやるせなさ。なぜこのような悲劇が起こってしまったか、偶然のいたずらがなせる業としか言いようがありません。


犯人の石神が犯罪を犯すに至った訳

高校教師の石神は、数学の天才的な頭脳を持ちながら家庭の事情で大学の研究室に残ることが出来ず、高校教師を選ぶ。自分の授業をろくにきかず、騒ぐ生徒の前で自己満足的な講義をただ繰り返す毎日。自殺しようとして部屋で首をつりかけた時、母子が引っ越しのあいさつにやってくる。明るい屈託のない笑顔と、気持ちの良い挨拶に石神はいつしか母親を愛するようになる。


もし私だったら、天才的な数学の頭脳を生かして金融機関に就職して、アルゴリズムの研究や新しい商品開発をするとか、教え子の高校生の中から未来のノーベル賞候補を育てるために、授業に工夫を凝らすとか、前向きに考えて自分の人生を豊かなものにしていくでしょう。


数学の研究はどこでもできると石神が言っていた通り、研究に充実感を得ていれば、自殺などの選択肢は選ばない。自分の為に何かやることに嫌気がさしていたのかなというのが、率直な感想です。そこで成り行きで、隣人の母親の昔の亭主を母子が殺害してしまう。自分にできることは?犯罪の隠蔽だったというわけです。


人が生きる、幸せになるという意味

私もそうですが、自分のためだけに何かやるのは限界がある。誰かのために役に立ちたい、人に認められたいというのは、人間が持っている真の欲求であり、生き甲斐にもなります。何のために生きているの?あまりにも重い問題ですが、自分が得てきた経験を後世に伝えたり、なにか社会の役に立つようなことをするために毎日を送っていると考えます。


もし石神が本当に華岡親子を愛していたなら、自首させて刑期が終わるのを待って3人で幸せに暮らすとか、もちろん社会の風当たりは強いと思いますが、本人たちが幸せを感じられるならそちらの道を選ぶべきだったと思います。


あと不思議なのは、石神の才能に気づいていたのは、湯川学だけだったのでしょうか?職場の高校でも、石神が才能を発揮するチャンスはいくらでもあったはずです。同僚の教師は気づかなかったのだろうか、生徒は?もっと石神が才能を認められ、周りからそういう扱いを受けていたなら、人生は充実し絶望すること等なかったと思います。


よくよく考えれば、自分の才能を認めていてくれた湯川学という友達もいたし、よくよく生徒を見れば石神の授業についてこれる生徒もいたかもしれないのに、石神は気づかなかった。自分の頭脳と素晴らしい知識で、たくさんの人を幸せにできたかもしれないのに、もし石神が大学の研究室に残って研究を続けることが出来ていたら、もし石神が生徒と深い交流を持ち、数学のすばらしさ、面白さを生徒に伝えることが出来ていたら、全ては「たら、れば」にすぎません。

歴史は「たら、れば」ではなく、現実の積み重ねである・・・


起きてしまった悲劇と人間の無常さ

優秀な数学者が自分の才能を生かすことなく、殺人隠蔽に知恵を絞る、しかも新たな殺人を犯して、なんというもったいない話でしょう。湯川学が石神を取り調べた後で、「君の素晴らしい頭脳をこんなことに使わなければならなかったとは、本当に残念だ」と涙をこぼしたように、自分の大学時代の大切な友人を追い詰め、罪を告発することになってしまった湯川学の無念さは言いようもありません。


最後は、「石神は本当に人を愛することを知ったから、ああいう行動に出たのだ」と自分を納得させるようにつぶやいていた湯川学は、そう思わないと救いにならないのであるように思えます。この謎を解いたところで誰も幸せにならない、石神の言葉とおり湯川学は推理を口にしません。石神に対して「友達だからだ」。それが刑事の説得により真相を明らかにする。


「なぜそこまでしてあの親子を守る?」湯川の疑問に石神は答えません。自分にささやかな幸せと安らぎをくれた母子に自分という人生を棒に振ってまで犠牲になって罪を隠す、しかもそれが母親の自白によりやったこと全部が無駄になってしまう。現実は残酷です。


人は守るものがないと、狂気に走り社会から一線をはみ出してしまうものだとつくづく感じました。何を守る?、きちんと生きているというプライド、これに尽きるのではないでしょうか。あと自分を大切にするというプライド。捨て石になっていい人間なんていません。逆に自分が社会に対してちゃんとやっていると誇りをもって向き合うためにはどう生きていくのか。それを考えてしまいました。


いろいろ大変なことはあったけれども、自分は社会のルールを守ってまっとうにまっすぐに生きてきた、この自負心が人間を強くするのではないかと思います。狂気になる要素はだれでも持っている、その狂気が顔を出したときに強い理性で踏みとどまれるか、冷静に判断して狂気に身を任せてしまわないよう行動できるか、そこが人生の分かれ道かも。リカバリーの利かない人生もあるということ、肝に銘じたいと思います。


世の中には類まれな才能を持って生まれてきても、その才能を開花することなく人生を終える人も多いと思います。石神は努力しなかったのでしょうか?いいえ、そうは思いません。部屋に参考書をそろえ一生懸命研究していたと思います。ただ一人で研究するのに疲れてしまったのではないか、だれか研究を認めてその見聞を広める人材はいなかったのか、人が向き合う孤独は時として悲劇を生むのですね。



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