小学生時代の、忘れられない思い出・その2
「小学2年生の戦い」
灰色の日々
学年が上がって小学校2年生のときの担任の先生は、少し太っていて、そのことをクラスの子どもたちに話題にされると、本気でキレて泣きわめいたあと、職員室から出てこなくなるので細心の注意が必要だった。
忘れ物の多かった男子生徒S君をつるし上げ、「S君を叩いても忘れ物が改善しないので、S君がわたしを叩きなさい」とS君に命じ、S君は泣きながら先生を恐る恐る叩いて、叩き方が弱いことを責められ、叩き方が強すぎると「先生を叩くということがどういうことなのか、分かっているんでしょうね?」と言った。
僕は自分が怒られなくても、教室中に大人の怒声が響き渡ることにいつまでも慣れなかった。頭の中が真っ白になり、「僕が悪かったです」という気持ちになり、脳みそが縮むような心地だった。
S君をクラスでつるし上げることに飽きた担任の先生の矛先は、気が弱く反論できない僕に向けられた。
学校で習っていない単語を使って喋ること、習っていない単語を紙に書くことを禁止され、執拗に責められた。
理科の時間に発言を求められたとき、僕が「液体」という習っていない単語を使って説明を行ったため、「O君は難しい単語をひけらかしていばっている」と、給食の時間もずっと責められた。「液体」を他の言葉で置き換えることは可能だろうか?
ずるいこと
ある日、算数の授業で、「二つの辺の長さがおなじ三角形を二等辺三角形といいます。では、三つの辺の長さがすべておなじ三角形は何ですか?」と問われた。
僕は、「まだ習っていないのでわかりません」と答えた。これまでの学校教育により、まだ授業で習っていないことを発言すると怒られることを僕は学習していた。しかし先生は「O君はうそをつきました」と言って、またも執拗に僕を怒鳴り散らした。M先生は「ずるいこと」が何より大嫌いで、「O君が噓をついたことが許せない、この教室でO君と同じ空気を吸いたくない」と、さらに非難がましい口調でクラスメイトの前で僕を長時間説教した。
M先生は(偶然にも1年生と同じイニシャルの名字になるので紛らわしいが)、算数の授業を通じて、「世の中には正しい答えというものは無く、そのときの大人の都合で変わる」と教えてくれたのだった。
ある日、教室の蛍光灯に紙飛行機が引っかかっていた。M先生はすかさず、クラスのみんなが自習時間に遊んでいたのではないかという疑惑を持ち掛けた。さっそく犯人捜しのディベートが開催されたが、当然誰も口を開かなかった。
次の瞬間、M先生は信じられない発言をした。
「いま、O君が今何か言おうとした」
突然僕の名前が出てきたので、凍った手で心臓を鷲づかみにされたようになった。
「何も言おうとしてません」
僕は小さな声で答えた。
「いいえ、O君は何かを隠してる」
M先生の追及は止まらなかった。
「いいえ、何も隠してはいません」
「先生はずるい人が大嫌いなのよ?」
M先生は犯人が名乗り出ないことに業を煮やし、お昼の時間まで全員机の前に立たせるという罰を与えた。
先生の作戦は功を奏し、僕はクラスメイトの中で、内心犯人だろうという疑いの目をいつまでも払しょくできずに過ごすことになった。
科学との出会い
その後も、僕の筆箱が隠されたり、描いて提出したはずの絵を未提出扱いにするなどのイベントが目白押しだった。
小学校3年生では、担任の先生が引き続きM先生になり、僕は学校を休みがちになった。
だが僕は、引きこもりにならずに、この理不尽な学校生活を生き延びた。
この文章をここまで読んでくださった方は、こう思うかもしれない。
「きっと、優しい誰かが支えてくれたんだ」
と。残念ながら、そんなドラマのような展開は訪れない。
僕は学校生活に何の意味も見いだせず、放課後は逃げるように隣駅の博物館に行くようになった。子供料金で50円で入場できるため、何度も足しげく通い、受付のおばちゃんに顔を覚えられてしまったので気まずかった。
そのころ僕は、NHKスペシャルの「生命40億年遥かな旅」という古生物学のドキュメンタリー番組に衝撃をうけていた。それは子供心に、天と地がひっくり返るようなカルチャーショックと言ってよかった。
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