小学生時代の、忘れられない思い出・その3
「科学がそばにいてくれた」
僕の存在理由
誰にでも理解されることではないかもしれない。
けれど僕は夢中になって、何度も何度も番組を見て、分厚いテキストも両親にお願いして買ってもらった。
太古の地球はいまのように青くなかった。
今から40億年ほど前、地球は隕石が降り注ぐ火の海だった。
それが次第に、太陽と月の位置関係が絶妙に生物の棲める条件を整えていった。
最初の生命は、硫化水素とシアン化合物で満たされた猛毒の海から生まれた。
むしろ酸素は、太古の生命にとっては逆に猛毒だった。
植物型のバクテリアが光合成の副産物として放出した酸素は、太古の地球の微生物たちに大打撃を与えた。けれどその酸素をエネルギー源に変える適応をした好気性細菌が現れる。
一方、酸素から身を守る外套膜を身に着けたバクテリアも現れる。その二つが融合し、細胞がうまれた。
この世は本当は学校のような暗く狭い世界ではなく、もっと膨大な広がりを持っていたのだと、僕は初めて知った。いま僕が吸っている酸素に、そんな果てしない物語が眠っているなんて。
5億年前、カンブリア紀の海に爆発的に広がった進化の中で、弱弱しいナメクジのような生き物が、脊索とよばれる、人間を含めた背骨のある生き物すべてのひな型となった。
太古の魚は、ミネラル分の少ない川の水に適応するため、骨の中にミネラルを貯蔵し、骨の中に内なる海を宿すことで生存競争の少ない河川に逃げ込んだ。
両生類は、水や酸素の少ない浅瀬で皮膚呼吸をしながら、さらに生存競争の少ない荒野を目指して上陸に成功した。
それから爬虫類、哺乳類と続いて、奇跡のようにいまの人間がいて、僕がいる。
僕は授業中に先生に怒られても、教室の中のことをなるべく忘れて、そういうことを考えるようにした。
幸せの輪
ある日の放課後、M先生はクラスの人気者の子供たちと、テレビゲーム「ドンキーコング」に登場する乗り物のキャラクターは何が好きかという話で仲睦まじく談笑していた。
テレビゲームは僕も好きだったので、本当はその話に加わりたかった。
しかし、たとえ何度生まれ変わったとしても、僕はそのような幸せの輪には入れないのだ。
どうして僕は、いつもいつも仲間はずれで、日陰者なのだろう。誰にも見向きもされず、助けを求めても、皆鼻をつまんで遠ざかる、害虫のような存在なのだ。
僕のささやかな反抗は、学校には出席日数ぎりぎりしか通わず、宿題もまともにせずにテストで良い点を取ることだった。
可能な限り学校をさぼって、野鳥観察のために貯水池に出かけ、鉱物採集のために岩山を登り、博物館の学芸員の方に、採集した鉱物を鑑定してもらったりもした。学芸員の方は忙しい仕事の合間を縫って、こんな僕にも分け隔てなく、童心に帰ったようにわくわくする話を聞かせてくれた。
あまりにも理不尽でばかばかしいことが、この世にはある。
僕にとって学校は、青春の対義語だった。
でも同時に、あまりにも楽しくて時間を忘れることが、この世界にはたくさんある。
僕はついぞ人間社会の中に楽しみを見出すことはなかった。
でも僕は、このことを忘れなかった。
好きなことを好きでいられるのなら、誰に嫌われてもかまわないということを。
(おしまい)
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