毒親両親に育成された私の本当の志命 1

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突然言われたのだ。

『自営なのになぜ転校??』さっぱり意味が分からなかった。

私の唯一の心のオアシスである、大好きな祖父母のお家に遊びに行けなくなる。

それに、この頃から父の様子に異変が出始めていたから、怖かったのだ。


温厚な父が、私がピアノを練習していると『煩い!』と、私の髪を引っ張り

椅子から強引に降ろしたり、掃除機やら冷蔵庫やら、真っ赤な油性マジックで

『寿』と書き始めたり、自宅の壁を赤や黄色のペンキで一心不乱に塗り始めたり、

家のあらゆる所に塩を盛り、何かラジカセでずっと聴いていると思ったら、ブツブツと

お経のような音楽を聴いたり、『この家は呪われている!』とか『金だ!金・金!!』

と絶叫し家の中を走り回り、大人しくなったと思ったら、欄間に着物の腰紐を何重にも

重ね合わせ、首を吊ろうとしていた。

父の異変奇行に気づいたり、父の首つり現場を見つけたのは私であり、第一発見者だった。

奇行を繰り返す父が、私の目の前で首つり自殺をしようとしていることが、

ショックを通り越して、良からぬ事に一早く気づいてしまう感の良い自分を恨んだ。

父は父であり、父ではなくなっていった。人生の歯車が音を立てて崩れていくのであった。


名古屋出店は父方の私の祖母の絶対命令で実行された。

母は父の奇行を恐れながら、義母の命令に従わないわけにはいかなかったのだ。

私の両親共に、この父方祖母を恐れていた。

父の実母だが、再婚し父には血の繋がらない養父がいた。

父も母の愛情を知らずに育ち、愛情を得るべく親の期待に応えることに苦心したのだと

今だから気付ける。

姉だけは私学中学校に通い始めていた為、寮生活を送り、私は両親と共に

見知らぬ土地名古屋に向かうことになった。

店は名古屋駅前ホテル内の店舗として、規模を拡大し、従業員として板長さん

中居さんを雇い、大きな立派な水槽にはアワビやイセエビが王様のように重鎮

へばりついていた。

自ら包丁を握り、貝を捌いていた父はオーナーとなり運営に回り、洋服にエプロン姿で

店先に立っていた母は、着物姿に簪をする女将と様変わりしていった。

私は慣れない学校に、お守り代わりにアラレちゃんの筆箱缶ケースを持ち新たな環境に

飛び込んだ。

授業の進め方が今までと全く逆から進むことに驚き、何一つ順応できない環境で

学校と家の往復に、一人で留守番独りぼっちの夕飯を食べ、やる気の湧かないまま

ドリルを開き、名古屋城のライトが消えるまでボーっと星空を眺める生活を送った。

姉から寂しいという手紙が届くも、寮での過酷な虐めに気付く大人は一人もいなかった。

姉も私も離れた場所で、異なった孤独を抱えていた。


ある日、学校から帰宅すると、マンションの玄関ドアは開き放しで、物凄い激しい物音が

廊下まで響き渡っていた。出勤前支度する着物

出勤前の支度する着物姿の母を殴り髪を掴み襖に何度も叩きつける父を見つけ、

このままでは母が危ないと人命の危機を咄嗟に感じた。

ランドセルも降ろさず、私は両親の間に入り、父から母を必死に遠ざけた。

ただならぬ夫婦喧嘩で、母は父が突然手を上げ暴力を振るってきたと言ってきた。

顔に怪我を覆いながら、母は従業員の手前、お店に出ないわけにはいかないと、

慌てて化粧をし直し着物を整え、足早に出勤した。

私は、この時『死』の恐怖を既に感じていた。


夜になると、私は母が気になり食事も喉を通らず、10時までにはお風呂に入る約束も

守れず、じっと母の帰りを待っていた。

母が帰宅後、『ちゃんと一人でお留守番ができないと駄目じゃない』と怒り始めたとき、

玄関外で聞きなれた賑やかな声と見知らぬ女性の姿が現れた。


父方祖母が、父と若い女性を家に招き入れた。

『今日からこの娘を店の女将にします。今夜はお父さんと一緒にお風呂に入ってもらい

この家に泊まってもらいますから!』と母に告げたのだった。

私は子供で何がなんだか意味が分からなかったが、当時母は女将の座を解雇させられ、

当てつけに別の女性を後釜とすることで、母の女将として妻として父を支えてきた

人生すべての女としてのプライドを一瞬でズタズタに叩き壊したのだった。

『父が気が狂い経営悪化したのは、あなたが悪い!』と遠回しに宣告されたのと同じなのだ。

父は父で、この日を境に仕事には行かなく、家でブツブツずっと引きこもり、

押し入れから沢山同じ型の包丁を取り出しては、布団の上で太ったお腹に刺す振りをし、

私と目が合うと、『ね~お父さん死んでもいいよね~』と私に青白い顔に紫の唇をして

薄ら笑いを浮かべるという気持ち悪い状態が続いた。

夜になると、突然暴れだし、母と私の部屋をドンドン叩き死んでやると喚き散らすようになった。

このままだと、私たち母娘もいつ殺されてもおかしくない状態だと、私は毎日震えて暮らすようになった。こんな恐怖を毎日抱えて、何食わぬ顔して学校に通い続けることが苦痛でしかなく、日に日に私は今まで以上に心を閉ざし、口も閉ざすようになっていった。

母は私に『家の恥は、決して外には漏らしてはいけない』と何度も言い聞かせていたのだ。

私の周りに相談できるお友達も大人も、一人もいなかった。

探すという発想もなく、ただこの時が早く過ぎ去ってくれたらいいと、願った。


転校から1か月余りで私は、また元の小学校同じクラスに先生方の計らいで戻ることができた。

父はノイローゼと診断され長い裁判の末、母は離婚をし、先見の明がある父が過去に購入した沖縄の土地や山、オイルショック後に沖縄の観光誘致できれば経済効果が上がると考えた父は、竹島に水牛を買い、投資したとも聞いていた。そんな多くの財産も、例の祖母とお店の借金返済とかで大半取り上げられ、ほんの僅かな慰謝料から弁護士費用を差し引いた雀の涙の残金で、母娘女三人共同生活再スタート

となったとごく最近母から聞かされた。

寮生活で虐めに耐えた姉、父の狂気を常に目の当たりにしてきた私、精神患者の父と姑と決別離婚

できた母、三者三様ひき交々とした抱えた苦悩から漸く解放され、家族女三人一致団結して幸せに

穏やかに暮らせると思っていた。


貧乏生活になってもいい、幸せならいいと素直に喜べればよかったのだが、母方の私の祖父の教育方針で、家系の女性は全員私立女学校に通う無言のお決まりがあった。

実際、私以外の家族親戚女性は、皆同じ名門女学校に通い、私が最後のお受験となった。

多分私に可愛い制服を着させてあげれない、教育熱心な母は私を不憫に思ったのでしょう。

中学受験をしておけば、高校受験や大学受験も苦労せず、エスカレーター式で進学できるから、

無理をしてでも入学させたかったのでしょう。

もしかしたら、母自身が、勉強ができる叔母と学生時代比べられることが多かったから、

母の意地で私達姉妹をも有名私学に進学させたかったのかもしれない。

なぜわたしがそのように考えるかと言えば、あれだけ心身ともにボロボロになり、

父からの暴力もあったにも関わらず、母は常に冷静であったからだ。

お金になる高価な鶴の陶器の首が折れないように、大事そうに形見放さず抱え、

不安でいっぱいの娘の手を引き新幹線に乗ろうとはしなかったからだ。

私は、こういう母を見るにつれて、母の本心がどこにあるのかが、全く解らなくなり

寂しくもあり、不快で仕方がなかった。


私は私で、物に当たったところで、散乱と化した部屋を、結局自分で片づけ

させられることが分かっていたから、鬱屈した心を冷静に傍観しるしかなかった。

幼少の時の私は、親は助けてくれる存在だと思っていたが、実際はそうでないことを

この時既に悟っていた。



私はつまらぬ世間体や見栄はいらなくていいから、貧しくても母娘家族三人仲良く過ごしたかったし、

すまないけれど公立に行き、バイトでもして生活を助けて欲しいという言葉を期待していたのだ。

だが見栄張りの母は違った。母も私と同様、学業成績トップの叔母と常に比較されて生きてきたから

女の意地でも、女手一つでなんとしても娘二人を私学に通わせたかったのだろうと思う。

私は大人たちの見栄に振り回され、心に追った傷を癒す間もなく、姉に馬鹿呼ばわりされながら

お受験勉強に励み、親戚一同の期待に応えるべく合格を手にしたのだ。


ここで再び姉とお揃いの制服で表向き仲良く私学に通うお嬢様という大役を授かったのだ。

貧乏で怖い思いをいっぱいしてきたのに、何の苦労もない学校帰りに寄り道して遊ぶ同級生と

仲良く過ごすことは、私には苦痛でしかなかった。

私立は規則が厳しく、バイトも許されず購買でのパン購入も届け出が必要だった。

毎日お弁当を自分で作り、セーラー服の白のカラーに自分で糊付けアイロンして、クリーニング代を

浮かせる努力をした。

狭い家で、姉との仲も悪く、働き尽くめの母も、疲労でイライラしているのか、

時より掛かる電話の主に気持ちを馳せているのか、私達姉妹に当たることが多くなった。


母は毎晩仕事だと出かけていたが、持ち帰る土産は日に日に増え、母というより

洗濯物を分けて洗い干す母の後ろ姿に、これまで見たことのない誰かに恋する大人の

女性の姿を見たように思えた。


私も姉も、女学校に通い、共学の男子生徒に興味を持つタイプでもなかったのも

あるが、自分たちがボーイフレンドを作り遊びに行くでもなく、デートに行くでもなく、

毎日学校と家の往復で、母のいない間、夕飯前にポテトチップ勝手に好きなテレビを

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