パニック障害の音楽家/Part-0(2010年頃の)まえがき

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作曲家である安西史孝という名前を知っている人は、かなり少ないでしょうね。もし知っていたら、あなたは結構マニアです。でも普通にテレビを見ている人ならかなりの確率で私の曲を聞いた事があると思います。


音楽を担当したものは「うる星やつら」「みゆき」「85年科学万博」「レディレディ(薬師丸ひろ子)」「たんぽぽ」「あらしのよるに」と色々あります。そしてそれらの音楽は別な番組で使用され「笑っていいとも」「なんでも鑑定団」「プロ野球好プレー珍プレー」「劇撮警察の24時間」からワイドショーの背景音楽とあちこちで利用されています。


世の中(音楽業界?)では、 こう言った人間を劇伴系作曲家などと呼びます(劇伴とは劇の伴奏、つまりアニメや映画等のBGMという事です)。


しかし、結構メジャーな番組で曲の流れてる人物も、パニック障害という病気だったりしたのです。実は私本人も1998年頃まで自分がそういう病気だとは知りませんでした。おかげで、何十年もの間、この症状で散々な目に会って来ました。


で、よくありがちな「私はこんな病気で可哀想でしょう?だから商品を買って下さいね」的なノリは嫌いなので避けたかったのです。個人的には「そんなもんまでネタにして商売したいかコノヤロ!」とか思ってしまうわけです。ま、その辺が割り切れればもっと売れっ子になってたかも知れませんが(笑)。


だから「自分のパニック障害の事は人知れず自分のホームページででも公開しよかいな...」と思って文章を書きためていたのです。ところが2002年頃、世のマスメディアでパニック障害ブーム(なんだそりゃ?)が起こり、なんだか有名人も「私はパニック障害」と言いながらテレビに登場し始めました。


その流れからなのか、私の書いた文章も「ちゃんと出版してみないか?」という話しになったのです。これにはちょっと悩みました。上記のように弱者のフリして強者のごとく周囲の人たちを振り回すというのは絶対に避けたかったからです。


しかし、同じ症状で悩む人に解決の糸口が提供できるかもしれないという思いと、それなりの功名心(もしかしたらこちらの方が上だったのかも知れない)も手伝い、書籍化の話を進める事になりました。


ところが、文章が完成に近づくにつれて出版社との間に入った会社とドタバタが始まり、本のタスキには永六輔さんが推薦文を書いてくださる、という所まで決まっていたのに、書籍化はストップしてしまいました。その後、永さんが出版社に話をしてくれたりとかありましたが、元々「病歴を公開するのってどうなのよ?」と思っていた事もあり、積極的に書籍化に動かなかったため、そのままお蔵入りとなってしまったのです。


それが2010年に電子書籍が話題になり「そう言えば、前にパニック障害の事を書いたよな?」と思い出し、パソコンのファイルをひっくり返してみて、この文章を発掘したというわけです。


当初は、無料でホームページ上にでも公開しようかとも考えたのですが、別途ユーザー数の多いサイトで公開する事としました。


公開にあたり、内容は加筆訂正する事にしました。最初の原稿は、結構捨て鉢になって書いている部分もあり、その辺はかなり修正しています。


本文中にも出て来ますが、私が自分の症状がパニック障害だと気づいたのは、ある裁判のドタバタで被告が「自分はパニック障害かも知れない」と言っていたのを思い出し「パニック障害なのに、そんな発言をするとはトンデモナイ!」と言ってやろうと思い、インターネットで「パニック障害」という言葉を検索した所「あ、これオレの症状じゃん!」と愕然としたというのが真相です。


実は私は高校生の時から不安症状に襲われるようになり始め、どうしようもなくなって高校を中退しているのです。最初は胃の具合が悪い、という所から精神的不安の方に症状が移行して行き、アチコチの胃腸科に診療を受けに行き「特に問題無し」という診断を受けていくうちに不安症状の方が強くなって行ってしまったのです。


不安症というと、1970年代にはまだ心療内科などというものはなく、十羽ひとからげで精神科に行かされました。精神科に行くと、歌をうたいながら踊ってる人や、宇宙の真理について一人ブツブツと哲学論を語っている方々と御一緒になってしまいました。一度は真面目に診察を受けに行きましたが「こりゃどう考えても私の来るとこじゃないよ!」というわけで、二度目の診療の時は待ち合い室からほうほうのていで逃げ出して来たのでした。


実際、精神科でもらった薬は全然きかないと言うよりも、かえって不安症状を促進していたような気がするのです。朝、目が覚めても起きあげる事ができず、夕方までボーっと天井を見ている。やっと起き上がっても階段から転げ落ちる、といった始末...


そう言った状態を私は「パニック障害」という病気を知るまで「自分の弱さ」だと思って来たのです。


しかし、人生廃人状態になってしまっても、どうしても抑えられない衝動があったのです。それが「シンセサイザー」という楽器でした。現在ではコンピューターの画面上で操作できる簡単なシンセサイザー(しかも無料!)も多数ありますが、当時の最先端シンセサイザーは大型で値段も高く、とても一介の高校中退脱落者にいじれるような物ではありませんでした。


それでも電子楽器で音楽を作ってみたい!という欲求から脂汗をかきながらシンセサイザーメーカーに押しかけて、自分を売り込みアルバイト仕事をゲットしてしまったのです。これが私のプロへの音楽生活の第1ステップとなりました。


この本では、そう言った人生のドタバタが綴られています。


ま、人生七転び八起きってわけですね。



注:

なお最初の原稿執筆の時点では「一般書籍として出版する本に、向精神薬の名称表記は望ましくない」というお達しがあり、本文中では私が処方された薬の具体的名称は記載していません。



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(1)生まれてから〜幼稚園の頃/パニック障害の音楽家

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