(8):激しい発作がキタ〜!/パニック障害の音楽家

前話: (7):自然食療法に断食道場/パニック障害の音楽家
次話: (9):救いの道はシンセサイザー?/パニック障害の音楽家

学校を止めたのが秋、そして冬と言えば恒例のクリスマスです。健康だった頃のクリスマスはサレジオ中学の仲間とサレジオ教会に集まり、クリスマスミサに参加して楽しく過ごすというのがそれまでの私だったのですが、恐怖心の虜となってしまった私にはそんな事は恐ろしくてできるわけがありません。「寒い冬にクリスマスミサになんて行ったら、風邪をひいてしまう。もしかしたら、すでに風邪をひいていて、クリスマスミサに行ったら、そこで具合が悪くなって倒れてしまうかも知れない」と、みんなが楽しく過ごしているであろうクリスマスに、自宅に引きこもり恐怖心を起こして「ちじこまって」いる自分を考えると増々自分が世間から取り残された敗残者である、という意識が強くなって行きました。

そうこうするうちに1976年の2月初旬、本格的なパニック発作を起こす事になりました。これが自分では一番強烈な印象の発作でした。

その日は朝からなんとなく気分がすぐれませんでした。なんとか気持ちを高揚させようとギャグ漫画を読んだりしていましたが、一向に良くなる様子もなく、次第に不安な感じに囚われ始めたのです。

そして夕方過ぎに突然、今までと違った恐怖心に襲われたのです。いても立ってもいられない感覚、誰に助けを求めても救われないような気持ち、視界は狭くなり、脂汗とも冷汗ともつかないものが出て自分がどうかなってしまうのではないか?という気持ちがドンドン激しくなっていきました。自分はこのまま狂ってしまうのではないか?自分で自分をコントロールできなくなり、以前病院で見たあの人たちのように訳がわからなくなってしまうのではないか?そういった不安が一気に押し寄せて来たのです。当時私の部屋は2階でしたが、1階の居間まで死ぬ思いでおりて行き、両親に「なんとかしてくれ、医者を呼んでくれ!」とせがみました。しかし、かかりつけの内科医に相談するような症状でもなくどうしたら良いのかわからないまま数分がたち、不安は頂点に達し、私は大声をあげて騒いぎ始めてしまいました。ちょうど冬だったので電気ゴタツが出ていたのですが、私は暴れてその電気ゴタツをひっくり返しました。もうどうする事もできない感覚だったのです。一種の錯乱状態だったのだと思います。

苦しみぬいた挙げ句、30分ほどで不安感は去って行っきました。しかし、極度の緊張から体中に力が入っていたためか、激しい筋肉痛が残り、その筋肉痛が「自分は普通の状態では無いぞ!」と自分に告げているような感じがしました。その後も何度かパニック障害の発作を経験することになるのですが、私の場合、常にこの筋肉痛の後遺症が残り、発作のあった日は翌日まで体中が痛く、これが私の発作のもうひとつの悩みの種でした。

それ以来、私は「あの時のような恐怖がまたいつ襲ってくるかもしれない」と四六時中気になるようになり、その考えが頭から離れなくなってしまいました。夜寝ていても悪夢で目が覚める事がたびたびありました。

著者の安西 史孝さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

(9):救いの道はシンセサイザー?/パニック障害の音楽家

著者の安西 史孝さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。