一点集中で人生が開ける話~何かに夢中になる事は恥ずかしい事なのか?やりたいことやって生きようぜ~

1 / 4 ページ

>
著者: Mari Kitajima

目の前で人生の終わりを見た少年が、人生を考える話。

人は1度生まれて、1度死ぬ。
どうせ死ぬなら、やりたいことやって、がむしゃらに生きたい。

でも、がむしゃらに生きるのは、怖い?失敗するのが恥ずかしい?
何かに一生懸命になることをためらっている人には、ぜひ読んでほしい。

大阪府、岸和田市という祭魂が騒ぐ街で人気の焼き肉屋。お客さんがいっぱいいて、いつも賑やかな店。
酒にこだわりを持つ店主と、チャキチャキ動く女将。
それが俺の両親だ。

祭の血が騒ぐ街。
俺は2つ下の弟と共に、わんぱく街道まっしぐらだった。
両親は愛し合い、協力し合い、喧嘩することもなく傍から見れば完璧な家族だった。

物心ついたころから俺は、「強くなる」ということに憧れを持っていた。
ドラゴンボールというマンガが大流行していたのも影響したのだろう。
見た目はおじいちゃんなのに実はめちゃくちゃ強い亀仙人に鍛えられて強くなる、孫悟空が羨ましかった。

「誰か、俺を鍛えてくれへんかなぁ。」

そんな時、知り合いのおじさんが空手教室を始めたとかで、空手に誘われた。

「おもしろそうやな!習えるか、お父さんに聞いてみるわ!」

意気揚々と帰宅し、父に尋ねた。

「なあ。空手、習いたい!」

俺のやりたいということに反対などしたことのなかった父だったが、
「あかん。空手だけは、あかん。」
そう反対された。

「空手は暴力や。暴力は、あかん。人間は、言葉を使えるんや。」
空手をはじめとする格闘技だけは子どもにさせないという信条があったようだ。

父の好きなこと


父は俺たち兄弟に、知的な遊びを教えるのが好きだった。
例えば、百人一首。これを覚えて、父の前で全て言えると小遣いをくれた。
将棋や詩吟なんかも応援してくれた。

父が喜んでくれることは俺も嬉しかったし、そのうちに空手への興味も忘れていった。


父は読書が好きだった。俺は父の膝の上に乗って、父の読んでいる本を眺めるのが好きだった。

俺は父の近くにいるのが好きだった。


小学5年生になった夏休み。

家族で鳥取県に遊びに行った。鳥取には親戚がいる。

俺たちの住む大阪から鳥取までは車で3時間半ほどかかる。
しかし、父と喋りながらのドライブは楽しかった。
渋滞に巻き込まれたときは、前の車のナンバーを見る。2桁ずつ足していく。俺は必死に計算する。父と答え合わせ。

そんなことをしていると、あっという間に鳥取に着いた。

親戚の家に行で宴会。きっと、みんな幸せだった。

弱音を吐いたことのない父


鳥取からの帰り道。父が体の異変を訴えた。
「ちょっと腹の調子がおかしいわ。明日、病院へ行ってくる。」

そのまま父は入院した。

俺たちはいつも通りに小学校へ行った。母は焼き肉屋の切り盛りをしながら父の見舞いにも行き、忙しそうだった。

俺たち兄弟は、自宅マンションの隣に住むおばさんと一緒に晩ご飯を食べたり、そこの子どもと遊んだりしながら父の帰りを待った。

父の入院から1週間が経とうとしていた。
いつものように登校して、授業を受ける。給食を食べて、校庭で遊ぶ、そんなある日。


「北島君。弟と一緒に病院へ行こうか。」

担任の先生に連れられて、俺と弟はタクシーに乗せられた。

わけもわからず病院につく。


怖いぐらい静かな、父の病室。

母は泣いていた。


父が、亡くなった。


「冗談なら、早くやめてくれ」
泣きじゃくる母に、そう言いたかったが声が出ない。



泣いたらあかん。


子どもながらに、泣いてはいけない気がして俺は泣くのをこらえた。


父の葬式。

近しい親戚が集まり、皆泣いていた。
俺は母の隣に座り、参列してくれた人たちにお辞儀をしていた。

泣いたらあかん。

つらくないフリをしようと、強がった。
俺はずっとうつむいたまま、参列者が通り過ぎるのを待った。

誰かが俺の前で立ち止まった。
いとこの叔母さんが泣きながら、俺の前に立っていた。そして俺を抱きしめた。
「つらいなぁ・・・」

その時、泣くのを我慢しきれなくなって、大声で泣いた。
父が死んで、初めて泣いた。


葬式が終わり、日常に戻った。
父のいないリビング。父のいないソファ。

著者のMari Kitajimaさんに人生相談を申込む