一年間の浅いい話

次話: 一年間の浅いい話第二回
著者: 大槻 健志
 なにはともあれ大阪のおばさまはやさしいという話です。
 今となってはもう昔、とあるホテルで働いていた時のことです。睡眠不足も頻繁なその職場で、私は毎朝仕事始めにブレンディのスティックコーヒーなるものを飲むのが常でした。朝ご飯は習慣的に食べたことがありません。それが理由ではないのですが、やせた体型をしています。周りのぶくぶく豚みたいにしまりのない男性ホテルマンの中でわたしは明らかにやせておりまるで違う人種のようでした。それを知ってか知らずか、実際そんなことはどうでもよいのですが、ある朝フロントのおばさまAが「あんた朝ごはん食べんかった、そのうちがりがりになって死んでまうで」とわざわざ適量のお湯に溶いたブレンディコーヒーに客用のアイスコーヒーをなみなみと注いでくれました。それまでの長い人生のなかで、ホットコーヒーとアイスコーヒーをブレンドした経験のない私でも、それが飲めた代物でないことくらいは予想がつき、実際飲めた代物ではありませんでした。しかしながら先輩ホテルウーマンに逆らうわけにもいかずしぶしぶ苦甘いそしてなまぬるいコーヒーをすすりました。働き始めて一週間もたたないある日のことです。もちろんそのおばさまAのやさしさはこんなものでは語りつくせませんし、そのホテルにそんなやさしいおばさまはFぐらいまでいました・・・
 ともあれおばさまAの話をもうすこしだけ。これまたある日のこと、客室に設置された有線放送のアンプリファイアがエラーを起こしました。もちろん完全に完璧に治すには、現実問題、そのアンプリファイアを交換しなければなりませんが、今の世の中そんなそんな悠長な設備投資を行える裕福なホテルなぞまずありませんで、何事も修理修繕第一主義に陥っています。そのアンプリファイアが故障したのは実は数か月前のことで、一日に数回多い時には数十回といった頻度で故障し続けていました。ではどうやって修理するのかと言えば、単純で部屋の電源すべてを一旦落とす、すなわちブレーカーを一旦切ればいいだけです。もしくはそのアンプリファイア本体のリセットボタンを押せばいいだけです。かえすがえすそれらの処置は一時しのぎであって、修理などと呼べるものではないのですが、とはいえそうした些末な不平不満は当座の話題の中心ではありません。おばさまAのやさしさについて語るのが、この話、いやこのパラグラフの目的でありまして。でもってその問題の客室のブレーカーがどこにあったかと言うと、女子ホテルマンの更衣室にあったのであります。そこで私はおそるおそるそのおばさまAに「Aさんすみませんが、更衣室に行ってブレーカー落としてきてくれませんか」と懇願したところ、おばさまAは笑いながら「なんであたしが行かなあかんねん。あんたが行ったらええやんか」と言って一向に行く気配がありません。「いやでも、女子更衣室ですから」と再び懇願したところ「関係ないやんか。はよ行かな部屋売れへんで」とかたくなに拒絶するので、仕方なしに私が行くことになりました。女子更衣室へと向かう私に、「見つかって警察呼ばれたらええねん」と励ましてくださいました・・・
おばさまAの話もまだまだつきませんが、次回はおば様Bの登場と言うことで。


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一年間の浅いい話第二回