種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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「あまり気を張りすぎると、かえってできないものだよ。子どもができるのは当たり前じゃない。授かること自体が奇跡で、授からなければそれも運命だと受け入れるしかない。あえて子どもをつくらない人だっているのに、子どもがいなければ絶対に幸せになれないなんて、視野が狭いじゃないか。とにかく一度、気を抜いてみるんだ。うちも根を詰めて取り組むのをやめて、なかば諦めかけたころに、シレッとできたよ。そんなもんなんだって」 


 その帰り道、フラフラの千鳥足が凍結した路面に滑り、転んで後頭部を強打した。放心しながら、ススキノのビル街に切り取られた夜空を眺める。ネオンの明るさで、星は見えない。横のスナックから、当時の流行曲「女々しくて」が響き渡っていた。急に気を張っていた自分がバカバカしく、小さく思えてくる。 


「別に子どもができなくてもいいじゃないか。幸せな家庭を築く――そのために、もっと妻に優しくしなきゃダメだろ。バカか、オレは」


 家につくなり、妻に頭を下げた。 


「アボちゃん、子どもができなからって、辛く当たったりして本当にごめん……。ボク、身勝手すぎたよ。今日、10年以上子どもができなかった先輩の話を聞いて、目が覚めた。もう、自然の流れに任せよう。ふたりでも、楽しく暮らせたほうがいい」 


 妻は目に涙を浮かべ、大きく頷いてくれた。鬱になる直前、というくらいに追い詰められていたようだった。


 それからというもの、妊活日を“決戦日”のように捉えるのはやめて、「いい雰囲気になったときになんとなく」という、無理のない、普通のスタイルに変えた。そして、念願が叶ったのは、その数カ月後のことだった。 


“元”種ナシくん、生と死に学ぶ


「ねえ、見て!」


 いつもはおっとりとした妻が、いつになく機敏に、いつになく強く、ボクの肩を叩く。手には妊娠検査器。薄い赤紫色が出ており、「陽性」を示していた。すぐにふたりで、ススキノの産婦人科に向かう。 


「1か月ですね。おめでとうございます」 


ドラマであればドリカムやミスチルなどのイカしたラブソングが流れるシーンだが、ボクの頭のなかには、「真剣勝負」のときにバカバカしくもベッドでかけていた、「イノキボンバイエ」が流れていた。心のなかではダー!!の雄叫びを上げている。 


 前の彼女に捨てられてから、早5年。気づけば、ボクは34歳になっていた。ボクがこの日に学んだことは――当たり前かもしれないけれど、「子どもは夫婦の愛の結晶なんだ」ということだ。自己承認欲求を満たすためにつくるものでも、「幸せの家庭」という目的のためにつくるものでもない。夫婦が愛し合って、その結果として、奇跡的に授かるもの。その前提こそが大事で、子どもができるというのは結果なんだと思った。 


 ボクのよろこびは頂点に達していたが、これは「妊娠」にフォーカスしていたがゆえの勉強不足であり、もちろんこれは大間違いだ。安定期に入るまで予断は許さず、流産してしまう可能性も考えなければいけない。子どもが無事に産まれてくる、というのはまさに奇跡の連続で、34歳にして、はじめて本当の命の尊さを知ることになった。 


 同時に、「好きで産まれた子じゃない!」と言われ続け、たまの連絡は金の無心、という状況から憎んでいた母への思いも変わった。憑き物が落ちたような気持ちで、孫を見せるのが親孝行になると考えるようになった。父は早くに亡くなっており、その性格から周りに支えてくれる人もいない、孤独な母――そんな状況に、初めて心が痛んでいた。 


 しかし、そんな思いとは裏腹に、妻の妊娠中に母は重病で倒れてしまった。娘が生まれる前月のこと、最初で最後の親孝行ができないまま、母は旅立ってしまったのだった。 


 悲しむ間もなく、出産予定日は近づいていく。陣痛が遅れ、一次は帝王切開になると医師に告げられ、不安にかられる日々が続いたが、ギリギリのタイミングで普通分娩となった。


(とにかく無事に産まれさえしてくれればいい。自分はどうなってもいいから、神様、どうか……) 


 きっと、あんなに憎んだ母も、父も、こんな気持ちだったのだろう。命の尊さと、いつまでも肉親を恨んでいた自分の小ささを思い知る。分娩室で妻の手を握りながら、とにかく、ただただ祈る。そうして、大きく拡げられた両足の間から、赤ちゃんの頭が見えたとき、自然と涙が溢れていた。 


 体重3300グラム、身長52センチ。少し大きめの元気な女の子だ。顔を見て、あまりにも母親に似ていることに驚いた。しかし、その表情がどれだけ愛おしいことか。真っ黒だった人生のオセロが、すべて白に変わっていくように感じた。 


 後日、母がいなくなった実家を整理しているなかで、豪華な装丁の写真アルバムを見つけた。そこには幼少期のボクの写真が丁寧に収められ、 


「一日中、見ていても飽きない。この子が居ない人生は考えられない」


「歌番組でアイドルを見れば反応して、歌って踊り出すとても可愛らしい様子に癒されます」 


と、母の直筆で綴られたメッセージが添えられていた。それまで気づかなかった、意外なほどの達筆。裏表紙の表紙には、一首の和歌が記されていた。


「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も なにせむに 優(まさ)れる宝 子にしかめやも」(金銀財宝は子宝には及ばない、子宝が一番の宝)


―万葉集・山上憶良― 


 両親、妻、クリニックの先生、会社の先輩――“種ナシ”を乗り越えたいま、多くの人への感謝の思いとともに、この和歌を胸に生きていきたいと思う。




 


 


 





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