若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話

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そして、年が明けた1月の末には、ついに頭の中に大学に通っている鮮明な映像がいつも浮かぶようになっていた。

 

僕は、合格を確信していた。

 

そして、やはり合格していた。

 

のちに友達がいった。

「お前、Xの3乗のカーブやな」

 

 

26.新たな夢に挑戦し続ける

 

昭和52年4月8日、僕は神戸大学教養部のグランドの入口に立っていた。

神戸大学は、六甲山の南麓に位置する。八つの学部が海岸から六甲山に続く県道の両側に点在し、大学全体が緑豊かな大自然の中にあった。

ときおり六甲山から吹く風は心地よく、夜になると1000万ドルの神戸の夜景が眼下に広がる。

 

 そんな恵まれた環境の下、新入生は全員、最初の一年半を教養部で過ごす。

 

表六甲ドライブウェイに続く県道の東側斜面に建設された教養部は、校門を入ると比較的幅の広い通路が真っ直ぐに体育館まで続き、左手が校舎、右手がグランドになっている。

その通路の右手から、一段高く盛られたグランドに続く階段を上ると、グランドの入口に金網で作られた大きな扉がある。

 

僕はその扉の前にいた。

 

その扉には、申し訳程度に上端だけがセロテープで留められた、一枚の手書きのポスターが貼ってあった。

 

「アメリカンフットボール同好会。作って間もない素人集団。入部希望者求む」

 

生まれたばかりの春風が、僕の頬をかすめてポスターを揺らした。

 

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