若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話

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Iが思い出したようにいった。

「いつもこいつが乗せていただき、ありがとうございました」

僕は変なお礼のいい方をした。

運転手さんは、右手をハンドルから離して二人に向かって敬礼した。

 

こんなふうに、僕らはそれぞれ自分のお世話になった人に紅白饅頭を配って回った。

次の日、卒業式が終わり、教室に帰って紅白饅頭をもらうときにはもちろん、数が足りなかった。

 

 

24.二十四時間生きる

 

3月15日。合格発表の日。

僕たちは三木高校のグランドにいた。グランドの角には昨日降った雪が残っていた。

山間の三木高校では、3月になってもまだ雪が降る。

その日は後輩との送別試合の日だった。

国立を受験した誰もが発表を見に大学へ出かけている中、僕らは母校で送別試合をすることにしていた。

「うし、今日は発表の日と違うんか」

ヘルメットをかぶりながら、Mが心配して僕に聞いた。

「結果は受ける前に決まっとるんや。通知がくれば分かるやん」

僕は、まるで他人ごとのように答えた。

発表より後輩達と過ごす時間の方が大切と考えていたからだ。

 

送別試合は、3年生がかろうじて勝った。しばらく運動をしていなかった3年生は後輩達と久しぶりの試合を心の底から楽しんだ。そしてそれが、高校生活最後のフットボールになった。

試合終了後、3年生は後輩たちから、タイピンの贈り物をもらって送り出された。

「何でもええ、これからも思いっきりやれ」

U先生は、僕らにそういっただけで、すぐに後輩たちとミーティングを始めてしまった。

僕は少し、寂しくもあり、後輩たちがうらやましくも思えた。

もう、卒業式も終わっているので、3年生が会う機会はない。

「では、またいつか」

3年生は、もう汗の匂いのしなくなった自分たちのヘルメットを部室に残し、帰っていった。

 

みんなが帰った後、僕は、一人まだ部室に残っていた。なんとなくすぐに帰る気になれなかったからだ。つま先が破れて床に転がされているスパイク。肩が継ぎ接ぎだらけになって、ハンガーに掛けられているジャージ。今までは目にも留めなかったものが、急に愛おしく思えた。

この部屋はもう、後輩たちのものになったんや。U先生も・・・。僕がそんなことを考えていると、突然部室の引き戸がジャリジャリと砂を噛む音を響かせて開いた。

見ると、そこにOTがいた。手首を骨折させたあのOTだ。

「どうしたん。ミーティング中やろ」

僕は、OTが入ってきたことに驚いて尋ねた。

「ちょっと、うしさんに伝えたいことがあるからといって、抜けてきました」

「ふうーん。あのUがよう許したな。で、伝えたいことって何」

僕は気が抜けたような返事をした。

「うしさん、なんかUが愛想ないんで、淋しく思ってないかなあ、と思って」

「Uは、先輩たちが夏に一旦引退したときに、練習では、いつも言ってましたよ。あいつらのようになれって。見た目は悪いけど、純粋や、と」

「俺も、格好いい先輩たちのようになりたいと思ってました。ありがとうございました。」

「では、もどります。」

OTはそういって扉の方に向かった。

「ありがとう。がんばれよ」

僕がOTを励ますと、

「ああ、そうそう、いい忘れてました。うしさんは知らんと思うけどUが、いつか俺たちに言ったことがあります」

 

「うしは、二十四時間生きとるって

 

OTは、そういい残して出ていった。

僕には、U先生と、後輩たちの気持ちが嬉しかった。

 

 

25.勝敗はそれまでの努力に応じて既に決まっている

 

送別試合から家に帰って、一人でぼんやりとテレビを見ていたときだった。居間の電話が鳴った。

僕は、またセールスかと思いつつ、煩わしそうに体を起こして電話に出た。

卒業してから自宅にいると、昼間によくセールスの電話がかかってきて、昼間でも電話が多いことを初めて知った。

「はい、僕ですけど」

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