若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話
「ロングパスで先制する。左プロビアで、フランカーの45度からコーナーや。ブン、フランカーに入ってえな。カウント・ツー、ブレイク」
その真剣さに、不良ごっこをしていた頃の面影はなかった。
「フォー・フォー、フォー・フォー、レディ、セット、ダウン、ワン、ツー」
Kは、Sからボールを受けると同時にその場でボールを高く振り上げ、投げるふりをした。Zは、45度クイックのコースをたどるように斜め右に走りこんだ。
守備のコーナーバックはZについて中に入ってきた。そして、コーナーバックがZの先回りをしようと前に出た瞬間、Zはくるりと向きを変えて外側へ走り出した。
絶妙のタイミングでコーナーバックを抜き去った。Zが小さな体で、足をフル回転させて独走している。
いままでの努力を無駄にしてたまるか。そんな気持ちが伝わってきそうな走りをしている。すでに後ろに下がって、ボールを投げる体勢になっていたKは、それを見届けるとすばやく斜め前方にボールを投げ上げた。
Kの投げたボールは、大きな弧を描き、やがて大きく伸ばしたZの手のなかにスッポリと納まった。Zはスピードを緩めることなく、そのまま走りこんでタッチダウン。
その後は、これに勢いづいた三木高校の攻撃は止まらず、残り時間2分で28対0の大差がついていた。梅宮からは、2週間前の粘り強さが消えていた。引き分け後、まだ2週間も受験勉強を放棄することにがまんできずに、梅宮の3年生は全員引退していたのだ。
やがて時間が過ぎ、待ちに待った試合終了を告げるホイッスルの音が鳴った。
「ピィー」
一瞬の静寂をおいて、センターのSが大きく右手を振り上げて、叫んだ。
「ハッドオール」
体の中からこみ上げてくる喜びが、自然にSをそうさせた。右手の人差し指は、空高く突き上げられていた。
その声を待っていたかのように、みんなが脱いだヘルメットを高々と振り上げて、Sめがけて集まってきた。
Xがその大きな体を揺らして、Iがガニ股で、Zが小さな体で、今にも爆発しそうな喜びを体中に貯めて走り寄ってきた。
そして、誰からともなく輪になって
「ウィー アー ナンバー ワン、ウィー アー ナンバー ワン」
と、人差し指を空高く突き立てて、はちきれんばかりの大声で、おたけびを上げ出した。
喜びが爆発した。
グランドの中央で「ウィー アー ナンバー ワン」の大合唱が巻き起こってしまった。
声を出すだけで、いつでもひとつになれる。共に苦しみを乗り越えた者にしか味わうことのできない神様からのご褒美だ。
「うし、お前のいうたとおりや」
Xが大きな手で僕を持ち上げた。つられてみんなが僕を空に投げた。
みんなの顔が眩しかった。背中で感じるみんなの手が暖かかった。
仲間とはこういうもんや。
僕は、仲間の暖かさの中で宙に舞った。
喜びの声は、グランド中に響き渡り、しばらく収まることはなかった。
ついに、関西大会。創部から僅か2年での快挙。僕らはそれをやってのけた。
関西大会が数日後に迫ったある日。
僕は学校の廊下で、3年の学年主任のL先生とすれ違った。すれ違いざまに先生がいった。
「僕、悪かったなあ。野球部は、甲子園に出るときに全校で激励会をやったのに、おまえらにはしてやれんかったなあ」
先生は本気で謝っていた。
「先生、ええで。うちは野球部と違って歴史ないし」
「後輩がまた関西大会に出たらそのときにはしたってな。約束やで」
僕は、皮肉ではなく本当にそう思っていた。
すぐに関西大会の日がやってきた。
三木高校が試合前の練習をしていると、大阪代表のハリス学園の選手がサイドラインへ応援に来た。そして、全員が1年生のようにボールを拭いてくれたのには、僕らは驚いた。よほど教育ができていたのだろう。
ハリス学園の顧問の先生は、U先生の大学時代の後輩だった。その関係で応援に行って、お手伝いをしてこいという指示が出ていた。
対戦高は、滋賀の琵琶高校。
試合が始まったが、三木高校の誰もが体がフワフワして、なんだか雲の上を歩いているように感じていた。
試合結果は、完封負け。
三木高校は相手校のクォーターバックにいいようにあしらわれた。初めての関西大会で浮き足だっていた。実力を出せないまま、気が付いたら試合が終わっていた。という感じだった。これが、歴史の重みということだろうか。
僕にはU先生がいつか、体育教官室でいったことが思い出された。
「三木の子は、のんびりとしとる。いいとこでもあるけど、これでは、大きな試合では絶対勝てん。都会の子は、反則すれすれのことをしてでも勝ったるという気持ちがある。気持ちが走っとるんや」
「うしよ。お前らもこうならな大きな試合では勝てんで」
ストーブにあたりながら体育教官室でそういった。
試合後、僕たちは意外にさばさばしていた。春に梅宮高校に負けたときとは全く違った不思議な感覚があった。全く力が出せず、試合をした実感がない。だから、くやしさもなかった。
目標の関西大会出場が実現できたので、それで満足していたのかもしれない。
翌日の新聞のスポーツ欄には、関西大会の記事が大きく掲載された。
その記事の中に、「琵琶高校のクォーターバックMが、初出場の三木高校のディフェンスをかく乱した」とあった。クォーターバックが取り違えられている。
これを見たSがいった。
「やっぱり、うちは歴史ないな。無名やわ」
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