しょっちゅう幼稚園、小学校を休んでいた子が中学校以降ほとんど学校を休まなくなる話。

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著者: 館花 琴音

私はメンタルがめちゃくちゃ弱い子でした。幼稚園に出席日数があれば進級出来なかっただろうし、卒園も出来なかったであろうくらい、休んでました。




 とにかく、一旦熱を出すと40度近くになり、1週間休むのはザラでした。

  給食も体質に合わないのかしょっちゅう吐いていたようで、幼稚園の出席ノートに「今日も給食を吐きました」と書いてあります。



 自営業の祖父が私を忠犬ハチ公のようにお供に連れ回す人でしたので、幼稚園休んで祖父の出先についていってたこともあり、ハッキリ言うとズル休みみたいな理由で幼稚園やすんでいたこともあります。


 祖父は「幼稚園は行かなくてもなんとかなる。それよりいろんな実体験しろ」みたいなことを平気で言いました。

 祖父の知り合いの会社の社長さんちについていったり、湯治についていっていたので、同級生とどんどん話が合わなくなり、完全に浮いた子どもになったことは間違いないけど、祖父のことは恨んでません。大好きで、感謝しかない。


 
 だけど、中学校になるときに、休みがちな自分は、いろんな意味で困ることに気づきました。





★ 勉強についていけなくなる
★同級生の友達が少ない(いないわけでは、ない。少人数しかいない)
★浮いた存在でいじめられやすい





 そこで、私は自分のメンタルを鍛えて、また食べ物の好き嫌いをなくし、とにかく学校を休まない!ことを目標に生きる、と決めて生きました。





 人間とは、不思議なもので




 「自分の人生、何が起きても、最悪の結末が起きても自分で責任を負う!」と決めると、一切の迷いがなくなり、無敵になります。




 いや、実際は弱いです。私なんてメンタル弱すぎるし、家族や少人数しかいない数少ない友達を失ったら心がボロボロになるだろうことも、自覚しています。





 それでも、自分を信じて、
 自分だけは、自分の味方になる!と決めたのが中学校のときでした。




 それまで、私は

 両親の喧嘩や祖父母の喧嘩を
4歳くらいから見てきました。


 いつも裁判官のように、仲裁に入るのは子どもの私でした。


 年子の妹、弟の仲裁するのも私の役目でした。




 私が唯一、子供らしく甘えられたのは「病気のときだけ」だったのです。



それ以外は大人なみの責任を親から要求されました。




 今流行りの毒親という部類に両親は、当てはまり、私は機能不全という、家庭が安全安心する場所じゃなかったがために



 アダルト・チルドレンと呼ばれる心にトラウマを持った子どもになっていたのだと、今ならわかりますが、そのときは、わからないので


 親たちに、「おまえが悪い、おまえがお姉ちゃんなのに見てないからだ」と言い続けられて、
私がしっかりしなきゃ!妹のことも弟のことも、なんとかしないと両親に怒られる。



 と、思い込んで
生きてました。




 親は、選べない。

 アメリカでは、夫婦喧嘩を子供にみせると虐待だそうです。ここは日本だから、そんなことはないけど、それくらいの威力があるらしい。



 世の中には、親に虐待されて亡くなるお子さんもいるのだから


 大人になるまで生きてきた私は虐待なんぞされてない、と思ってきたけど




 どんなに、蔑ろにされても、私は親を嫌いになれなかった。



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