現役の路上生活者が半生を振り返ってみた。( 1/3 )
これから語る私のストーリーについて自分本位すぎるとの批判は覚悟していますが、「生きる。」ということについて少しでも何か考えるきっかけになってもらえたら幸いです。
突然の訃報
2019年1月
日頃お世話になっている団体の代表から、問い合わせに私あてのメールがきていると連絡を受けた。
それは母方の従姉からで、4年近く前にすべてを捨てるために路上生活者となった私を見つけ出した経緯は分からないが内容は「父の余命が残りわずかで兄に連絡してほしい」との旨。
私は数日悩んだ末、絶縁中だった兄に「現状を教えてほしい」と電話ではなくメールを送った。
翌日返信がきているのを確認したがいろいろ思うところがありその日は開かなかった。
そしてその翌々日、再度兄よりメールが送られてきて件名に「今朝亡くなった」と書いてあった。
それで父の死を知ることになるのだがある程度覚悟していたことなのでただその現実を噛みしめながらその前のメールを見た。
一昨年に母が亡くなっていたことを知った。
自分がない人生
親族との付き合いがほとんどない典型的な核家族でどちらかといえば貧しい暮らしだったと思う。
父の仕事は夜明け前の出勤であったため寝るのが早く休みの日は趣味などで家にいないことが多かったので小学校に上がった以降はあまり親子の会話をした記憶がない。
母は専業主婦で何かにつけて「普通に生きろ」「人様に迷惑をかけるな」と言うとても他人の目を気にする人だった。
兄は中学校に上がる前にすでに芸術の道に進むことを決めそのままデザイナーになった。
私は「正義の味方」や「スーパースター」という曖昧な憧れを抱いているだけで自分がやりたいことや将来なりたいものがなく常に親の顔色を伺うような子供だったので期待を一身に背負う羽目になった。
兄が通っていたのでおさがりが使えるからと同級生とは別の中学へ入学。
行きたい高校がなかったので父の悲願であった県内一の進学校に入学。
さすがにもう自分の役目は果たしたと高校時代は勉強そっちのけで遊び呆けた。
しかし、だんだん母が国立大学への進学や将来公務員になることを求めだしてきたのでいい加減そういう期待が窮屈になり当時ブームだったお笑い芸人になるため家出を計画するも失敗。
しぶしぶ浪人し仕送りが期待できないので地元の国立大学に入学。
子供時代の反動なのかとにかく「普通に生きる」ことにとても嫌悪感を抱いていてほとんど大学に行かず音楽活動したり競輪選手を目指してトレーニングしたりしたがうまくいかなかった。
いよいよ実家にいることが精神的に追い込まれてきたので、家族や先生、友人たちに一切相談ぜすに県外の就職を決め中退、そして家を出た。
最初に就いた仕事は特殊な職業でやりがいもあり自分の心を満たした。
絵に描いたような仕事一辺倒の毎日だったがそれなりに出世していった。
しかしある時、上司の裏切りもあり大きな失敗の責任を負うことになった。
解雇は免れたがテレビドラマのような閑職に追いやられ、そこで自分を見つめ直すことになる。
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