装備品は木の棒とぬののふくのままですが、人生という冒険にチャレンジしています。
だったら個人で勝負すればいい。今はそれができる時代なのだから。
違いは、人が挑戦してないことを、恐れずにやるか、やらないか、それだけ。
自分の思考回路や行動をひたすら紙に記録するうちに、発達障害の傾向が見えてきた。私は大人の発達障害、ADHDだろうと思われた。医師ははっきりと診断をしてくれなかったから、自分が何なのかわわからないまま通院を続けていた。
働きたいと思った。私の申し出に医師はしぶしぶ、精神障害者手帳の申請書を書いた。
障害者のある、かわいそうな人として生きるつもりはない。平均的な人に比べてできない部分がある代わりに、障害があるからこそ優れている部分があるのだと確信している。
そういう力を生かしていくビジネスをしたい。そのためには資金が必要だ。
記録を続け、自分の欠点を書き出して、夫にも協力を求めた。一緒に考えてくれると思っていた。
でも、夫は逃げてしまった。自分を律して英語の学習に励む私を、居心地悪そうに見ていた。
一日家に引きこもってゲームしているような私が好きだと言った。
そんな生活、私は苦しくてたまらなかったのに。
自分の無力さと社会から隔離された孤独を感じて、ジャンクフードや惰眠や、テレビゲームで毎日の暇をつぶすだけの生活。健康だって最悪で、毎日どこか痛かった。そういう私を望むのか。
自分よりダメな存在が身近にそばにいることで、自分はここまでダメじゃないと、思いたいのだと思った。それは、母と同じだった。私の成長や自立を喜んでくれないのは。
知ってしまったら、やり直せなかった。
私は今年の一月の終わり、夫に離婚届を強引に書かせて、提出した。
私が私の力を信じて生きるためには、この人とは一緒にいられないと思った。
突発的な離婚を、医師は責めた。貯蓄も収入も見通しもない、愚かな決断だと。患者のくせに、どうして自分の言うことを聞かなかったのだ、という怒りを感じた。待合室で受付の人と話している私のそばを、医師は無視して通り過ぎた。ああ、父にそっくりだな、と思った。
ぎりぎりの精神状態で自分の人生を生きるために下した決断を、さらに上から責められ、お世話になっていた薬剤師は、「それでも先生はあなたのことを想って言ってくれたはずだから、優しい言葉に変換してみましょう」と言った。
傷ついた患者が、医師にやさしくする?
父に死ねと言われて傷ついたことだって、「そんなこと言っても、お父さんはあなたのことを愛しているのよ」となるのだろう。
その言葉が、どれだけ当事者を追いつめるか知っていますか?
悪気はない。
知っている、私はこの言葉と戦い続けなければならないこと。
親はいつも、同じ親によって守られていること。子供は守ってもらえないこと。
傷ついても矢面に立ってやる。それで守られる子供がいる。かつて子供だった傷ついた大人がいる。ならば私は、彼らの代弁者になる。
夫と別れたとはいえ、行く当てもないので当面はまだ、彼の家で世話になる。
私は仕事を探した。5年ぶりに社会に出る。塾講師のアルバイトに就職することができた。英語の勉強が役に立った。
海外の人と交流できるSNSもはじめた。向こうの人は偏見なく、日本のオタク文化を愛してくれている。私はきっと、オタク文化に精通した通訳になれる! 民間外交官の資格を目指してみようと思った。
ゲームが好きなのだから、プログラミングを学んで一人で開発したって良い。絵を描いて、漫画で自分のつらさを作品にしたっていい。予備校に行くお金がない人に、講義動画を作って配信したっていいじゃないか。なんだってやってやる。
人の目はもう気にしない。
去年、はさみで頭を坊主にした。予想以上に寒かったが、慢性的だった片頭痛は治って、医療用のウィッグで髪型は自由に楽しめる。感覚過敏で、ドライヤーや美容院がつらいのだと気づくことができたのも、自分を地道に観察したからだ。
発達障害の本を読み、夫の言動に、ASDの傾向があるとも思った。父をASDだと思っていたので、タイプは違ってもASDの人を選んでしまったことがショックだった。そして、パートナーの共感性のなさに妻が苦しむカサンドラ状態に自分が陥っていることも知った。
でも、知ることができたおかげで、夫にはやさしい気持ちになれた。
先天的にできないことを、なぜできないかと責め続けても意味がなかったのだ。人の気持ちがよくわからないまま、ひとりの社会人として生きているのはどれだけ大変だろうと。
だからこそ、新しく仕事を変えるなんて、考えたくもなかったのだと。
よくがんばってきたね、つらかったよね、と夫の背中をさすると、彼は泣いた。
はじめて彼の涙を見た。彼の心に届いた。
こんなおれのどこが好きなのかと聞かれた。
いいところなんてどこにもないのに、と。
いいところや悪いところで好き嫌いになったんじゃない。
あなたがあなただから、好きだったんだ、と言った。
その気持ちは今もある。
つらいことばかりだったけど、恨んだり憎んだりしていない。
誰のことも、もう手放せている。
これから、貯金して物件を探し、生活保護の申請をして、障害を抱えて仕事を続けていく。
たくさんの困難が私の目の前に積みあがっている。
頼れる人はない。しんどい時もある。朝は憂鬱だ。
少しやせたけど、まだまだ肥満。鏡を見るのは変わらずつらい。
でも、何度でも這い上がろうと思う。生きてやろうと思う。
それが傷つき続けてきた過去の私に、報いる道だと思うのだ。
●さいごに
今、つらいきみ。
明けない夜はないという言葉に、逆に絶望してしまわないか?
その明けた朝だって、いずれ夜になるのだと知っているから。
そういう言葉は、一時しのぎの励ましだと思わないか?
絶望を知らない人の言葉だろう、それは。
きみがほしいのは、その夜に寄り添ってくれる誰かのぬくもりだ。
何回でも、何日でもさ。
そんな言葉で元気が出るほど、きみの絶望は軽くないだろう。
でも、そう言ってくれた相手のやさしさに、きみは孤独を隠して感謝を告げるだろう。
相手はきみを励ませたという満足でいっぱいだ。
きみはつぶれそうなむなしさで泣きそうだ。
わかるよ。私がそうだった。
負けるなとは言わない。負けたっていい。
生き続けることがつらいひとに、がんばれというのは、もっと苦しめって言ってるのと同じだから。
だけどその苦しみは、きみの繊細な心は、いつか誰かの光になる。
それをおぼえていてほしい。
そしていつか、きみに会うことができたなら、私はとてもうれしい。
その日を夢見て、私も生きる。
もしも会えたなら、仲間であるきみを、この腕で抱きしめたい。
よくここまで、がんばって生きてきたね、って。
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