装備品は木の棒とぬののふくのままですが、人生という冒険にチャレンジしています。

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駅前の踏切にきて、力尽きた。

人は心が破壊されると、足にも力が入らないんだなと思った。ヒビが入ったスマホの画面のように、私の全身にひびが入っているのを感じる。今にも粉々に砕けて割れそうだ。

 

彼氏にメールをした。

もう人生を終わりにしたいって。

 

彼氏はちょうど仕事上がりで、車で私を拾いに来てくれた。

そのまま自分の家に連れて行ってくれたが、私をお風呂に入らせたあと、寝てしまった。

 

 

 

あれから、6年。

希望と、絶望を繰り返し、傷ついても這い上がり、私はまだ、生きている。

 

 

 

 

 

●新しい街

 

 

家を出て三日後くらいに、母からメールが入った。「どこにいても母はあなたの幸せを祈っている」と書いてあった。その間、心配をして連絡をくれていた知人から、母の言葉を聞いた。「〇〇さん、あなたも娘に死ねって言ってくれればよかったのに」という内容だったそうだ。

 

前の奥さんを追い出したばかりの家は、奥さんのものであふれたゴミ屋敷のようになっていた。彼女が彼に飲ませたかったのだろうマカのサプリや、お料理DSのソフトや、彼女の使用済みのナプキンや、榊の飾ってある祭壇のようなものや、ありとあらゆるものを片付けた。

 

ローンを組んで購入した分譲マンションでの夢にあふれた暮らしと、その果てを見た気がした。

 

着るものも何もなかったので、荷物を送ってほしい旨だけ連絡すると、私のものがぎゅうぎゅうに詰められたダンボールが毎日何箱も届いた。いるものもいらないものもすべて。家から私の存在を消してしまいたいという怒りを感じた。

それなのに、私が大切にしていた友人の年賀状だけは絶対に送ってくれなかった。

 

住民票、国保、戸籍の分籍。こういった手続きをひとりでやるのははじめてだった。保険はともかく、年金は支払えなくて、未払い期間が今でもある。

 

希死念慮にさいなまれながら、生きることだけを目標にした。大声で泣く日も、腕を切って耐える日も、薬局の睡眠薬を数日分一気飲みする日もあった。そんな私を見捨てなかった彼氏に信頼を覚えた。

たとえ私の傷だらけの腕を、血は怖いと放置したとしても。私の両親にたいして、酷いと怒るとか、そういう否定的な感情を見せなかったとしても。私が死にたいと泣く朝、普段通りに出勤していくとしても。私を愛してくれる人は彼しかいないと思うと、些細な違和感など我慢しなければと思った。

 

 

有休をとってくれたことはない。早退もない。彼の仕事に傷がつくようなことは。一緒に過ごしたこの6年で数回、1時間程度の遅刻をしてくれたぐらい。仕事に行けば忙しくて私のことは忘れてしまう。

彼のお給料だけでは経済的に苦しくて、せめて有休がとれる仕事に変えてほしいと頼んでも取り合ってくれなかった。話し合いにならなくて、仕事のことを言うと目が据わってしまう彼に、期待した分、失望を感じた。

 

彼に養ってもらっていると思うと、文句は言ってはいけないと思っていた。彼が平気でマンションの前に路上駐車をしたり、お店の店員さんに冷たくしたり、他人に迷惑をかけることを何とも思わないのを目にしても、はじめは注意することもしなかった。

 

 

新しい街で通い始めた精神科医が、両親を治療にかかわらせたいと言った。直接連絡を取ることが怖かった私は、医師に連絡を取ってもらうことにした。自立支援で減額される診察はともかく、臨床心理士のカウンセリングは保険適応外で、とても払えるような額ではなかったから、治療費だけでも出してもらえるならありがたかった。

 

両親は医師の医院まで足を運び、その場は和やかに終わったらしい。治療費も出すと言ったそうだ。ただ、娘に直接お金を渡したくないので、必要経費を病院に払うということだった。

 

しかしその後、医師から、電話が通じなくなったと言われた。携帯電話の着信拒否ではない。固定電話が変えられていた。私も電話をかけた。かつて自宅の電話番号として十年以上使ってきたその番号に。

 

「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません」

 

そこまでするのか。そこまでして、私を拒絶したいかと思った。私は唇をかみしめながらその無機質な音声を聞いた。

 

 

 

●結婚

 

 

彼氏と暮らして一年が過ぎるころ、入籍する話になった。親に伝える気はなかったが、彼の両親からの強い勧めで仕方なく連絡を取った。彼の両親には何度か会っていて、いくら親子関係がつらかったことを話しても、「でも親子なんだから、ご両親はあなたを愛してるに決まってる」という価値観を押し付けられて終わった。

 

私はそんな義理の両親に対する信頼を失いつつあった。お父さん、お母さんと慕っていい人ができるんだという期待は、だんだんと失われていった。

あなたたちの可愛い息子さんは、人に迷惑をかけないという一般的な感覚を持たない。私は彼のギャンブル、お酒、たばこ、乱れた交通ルールなど、ひとつひとつやめさせていった。

 

お金はなかったから、結婚指輪はなかった。結婚式場のビジネスはぼったくりだから払いたくないという彼の理由で、結婚式も新婚旅行もなかった。もちろん結納もない。

 

連絡した父は、結婚するというと勝手にどうぞ、と言った。

数日後に現金書留で20万が送られてきた。まるで手切れ金だと思った。

 

 

結婚生活はだんだんうまくいかなくなった。私は夫を責めるようになった。夫はそんな私にうんざりしていた。性生活は身勝手で、それに傷ついて意見すると今度は一切そういう行為をしない。努力して関係を改善しようとするのはいつも私のほう、夫は面倒だと逃げてしまった。

 

そのうち、夫は会社で浮気をした。相手は私の友人でもあった、子持ちの既婚者の女性だった。

 

またか。また私は、愛した人と信じた人に、二重で裏切られるのか。

世界で一番大切な人が、私のことが苦しくなると、女や男に逃げてしまう。

母も、夫も。

 

私も誰か別な男性と恋愛をすればいいのか。セフレでも作ればいいのか。

いや、それはできないし、したくない。

親の不倫や配偶者の不貞が、どれだけかかわる人を傷つけるか知っていて、自分がそれをすることはできない。

 

やり場のない苦しみは、私を食事や買い物に走らせた。

夫と暮らすようになって私は、30キロも太ってしまった。醜い自分の姿にますます鬱になり、すれ違う人がみんな私を哂っているような気がして外に出られず、通販で買い物をした。

 

乱れた食生活と、夫の仕事に合わせた夜型の生活でますます不健康になった。

毎日の微熱は38℃に近くなり、頭痛は死にたくなるほど酷く、生理は何年も止まったまま。美容院に行くお金も元気もない。睡眠薬を飲まないと眠気が来なくて、4日くらいは起き続けてしまう。かといってうまく薬が効かないと、頭がもうろうとして過食してしまう。

 

死んだほうが楽だと毎日思っていた。ただ、死ぬにしても、痩せてからじゃないと首を吊っても紐が切れるんじゃないかとか、変死扱いで警察に写真を撮られるのが嫌だとか、投身は迷惑だからダメだとか、そんな風に考えた。死ぬ勇気もない自分が情けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

●ターニングポイント

 きっかけは何だったか、と言われれば、ある人が配信している、人生を変える動画を観るようなったせいかもしれない。その人は、メンタリストのDaiGoさんだった。私は彼のことは、ババ抜きを当てる人としてしか知らなかった。彼の動画をYouTubeで偶然目にしたことからはじまった。

 

彼の動画を見て、できることからやっていった。実行できなくてつらいこともあった。どうしたらできるようになるかを科学的に分析して教えてくれる彼の動画を観ると、できない言い訳をすることができなかったからだ。

 

彼の尊敬する、パレオさんと呼ばれる人のサイトや本も見た。

彼らの教えてくれる知識をもとに、精神科の薬を減らしつつ、ハーブなどのサプリメントを取り、生活リズムを正し、毎日公園に散歩にいくようになった。

 

体重が10キロ減った。自分の力を信じてみようという気持ちになって、学生時代に好きだった英語を、10年ぶりくらいに勉強しなおした。2カ月で英検2級に合格した。やればできそうな気がした。

 

ピアノの発表会にも出てみた。どうせ暗譜するのだから、裸眼だっていいや、と両眼0.03の視力で舞台に立った。目標を共有するSNSでグループリーダーになり、YouTubeに動画を載せてみた。

 

世界は広がった。

実家からこっそり連れてきた愛猫が15歳で病気になり、心の支えが失われてしまうことを嘆いていたけれど、前を向こうと思った。

 

被害者をやめようとも思った。

 

つらくて苦しんだ経験は、誰かの生きる力を手助けするためにあるのだと思うようになった。

どんなにつらくても、非行に走らず、憎しみに染まらなかった自分を認めた。

許そうとし続けたこと、いつだって、簡単な道より困難な道を選んできたこと。

 

楽して稼ごうとか、適当にやろうなんて思わなかった。いつも真剣だった。

100点をとるなら120点を取るつもりで努力するのが信条だった。

そのストイックさが周りとの軋轢になったことはある。足並みを崩してしまうのだ。だから、チームプレイは苦手だ。

 

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