過去は再定義できる〜なぜ子育てが大切だと気づいたか〜

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クッソ!自分クッソ!俺ちくしょう!!腹がたつ!俺っ!!


撮影開始時刻は若干遅れましたがなんとか撮影も終えたので事なきを得ました。

そのトラブル以来、「それをやるにはその前段階でまずこれが必要だよね」とか「その見方はこんな見方も出来ないかな」というふうにかなり用心深くなった?気がします。

自分がしている仕事、テレビやメディアで誰かが発言していること、それらに対して「その言葉を発言したその人の背景には何があったのか」「なぜそう思っているのか」という意識を持ち始めた気がします。当時はめちゃ勘ぐり深くて時々自分でもこんなことを考えるのが疲れることもありました。

「相手の言動の意図」みたいなものも大阪にいた時から漠然と意識していました、今回のトラブルも重なってより「相手」だけではなく「物事」に対しても意識が行くようになったのかもしれません。実際はどうか分かりません、でもこの出来事で新たな視点というか考え方というか、自分の中の何かを引き出したような、そんな気がしています。

仕事上で「そこまでしなくてもいい」と言われていたとしても、一歩先を想像し、最終的には提出や報告をしなかったとしても先を見越してできる限り準備を意識するようになりました。この出来事は本当にヒヤヒヤした出来事でしたが、僕にとっては経験しておくべき重要な体験でした。ですが、考えることと行動に移すことは別問題です。まだこの時は考えていてもそれを誰かに言ったり行動に移したりするほど勇気も行動力もありません。まだまだ自分の中だけでモヤモヤを抱えたり、自分一人で納得できてしまう感じでした。


映像を創ることは思考力や想像力が身につく、かも。


このミュージックビデオは自分で編集を行いました。編集ソフトはFinal cut pro7を購入、高かった!貧乏暮らしの自分には超高額でした。提案から編集、完パケまでの一連の工程を全てやると映像がどうやってできるのかを初めて体験しました。そしてとても楽しかったことを覚えています。さらには想像力が鍛えられる、とも感じました。


頭の中であーでもないこーでもないを繰り返し、紙に書き起こし、絵コンテにして、物語を作るこの一連の流れは本当にイメージ力が身につくと僕自身は感じました。「映像を作る」という体験、これは多くの人に経験していただきたいと思いました。極端に言うと、専門学校以外の公教育や私学でも映像制作を学習内容に取り入れてもいいのではと思っています。

個人的に楽しいとか出来上がっていく過程が楽しいとかの感情的な部分より、映像を作るという行為は思考や想像の訓練になるのかなと。この想像するという役割を果たすポジションとして1つ目は「ディレクター」、2つ目は「編集(エディター)」かなと、そして3つ目は「発信力」ではないかなと思っています。


1つ目の「ディレクター」

物語を作るために様々な情報を蓄積し、頭の中で思い描き、台本に落とし込んだり絵コンテを書いたりしてイメージを視覚化していきますよね。これはまさにイメージ力・想像力です。まだ見ぬ世界のイメージを膨らませる作業はとてもクリエイティブで想像力の訓練だと思っています。様々な情報からピックアップし、選択肢を絞りながら面白くなりそうな物語を脳内で構築し、新たな展開を生み出す想像と思考の繰り返しです。そしてスタッフ間で共有するというコミュニケーション能力や言葉の表現力を養うのにも役立つかもしれません。


2つ目の「編集(エディター)」

実際に画面を見ながら「こうしてみよう」「あれを入れてみよう」「この効果はどうだ?」「タイミングはここか?」などの、試行錯誤を繰り返すという気の長くなるような作業の中に自分の想像を実行する作業の連続です。一つ一つの画面をつなぎ合わせ、加工(se・エフェクト・BGMなど)を加えながら少しづつ具現化していく流れを自分で作れるポジションがエディターということです。もちろんディレクターの指示を受けてからが編集ですが、自分の想像次第ではディレクターのイメージを超えるものを生み出すことも可能だと思います。「実際に自分で操作をして目の前に想像したものを具現化する」という意味では、感覚的にはプログラミングと近いかもしれません。

さらに、映像の場合は手を加えても加えても、もっといいものはできないか?という上を目指せばきりがありませんから、果てしない?のかなと勝手に思ってます。「試行錯誤する」という思考の訓練という意味では、映像編集は思考を鍛えるのにいいツールかなと思います。あと、編集は忍耐力が身につきます笑。


補足として、「撮影」は絵の中に何を取り入れ、どう構図を作るとかいうアート思考が養われるとメディアアーティストの落合陽一さんも仰っています。

絵の中に何を入れ、何を省き、何を主張し、何を影に潜めるか。

1つの絵にどんな物語を作るかという視点でファインダーを覗くと「記録」とはまた違った視点で撮影できそうですね。これも思考の訓練になると思います。


3つ目の「発信力」

今後益々発展するであろう映像メディアを活用し、自らも発信できる力を身につけられるという点です。これは多くの方が有用性を説いていますので、ネットで調べれば色々出てくると思いますので簡単に。

「映像メディア」はこれまで以上に身近になってきています、それは自分のPRや表現というツールにもなってきていると思います。しかしその作り方については、絵の書き方は教わっていても「映像メディア」の作り方を教わることは普段ほとんどありません。

映像という知識・技術を持っているのと持っていないのとでは表現方法の幅も変わりますし、選択肢を多く持つことが柔軟な発想につながります。もっと突き詰めたい場合は専門学校で学べばいいと思います、学校教育では「映像メディア」とはそもそも何で、どんな種類があり、活用方法は何があるのか、といった簡単な映像制作の実習はあってもいいと思います。


「思考の訓練✖️映像制作」は、活用できそうな気がします。

 

AD→フリーランス→今の仕事へ(ちょい駆け足)

本格的に映像の道へ進むために当時所属していた芸能事務所を脱退し、制作会社でADとして働き始めました。ミュージックビデオを作った時は全て独学でやっていたので、基礎は誰からも学んでいませんでした。

制作会社でロケハン・アポ・機材準備・編集などAD業を一通り学ばせて頂きました。やっぱり有名企業が絡む内容は忙しいけど楽しい、ちょっと高尚な気分に浸ったりもしました笑。

働いた期間は短かったですがここで色々と学ばせて頂きました。株式会社みこしの皆さん、特に勝浦さん、ありがとうございます!

東京で映像制作に転向して大体3年経った時に、家庭の事情で大阪に戻ることになりました。祖母の体調不良が理由です。

大阪に戻ってから最初はフリーランスで仕事をしていました。東京で知り合った方から編集の仕事を頂いていたので、自宅で部屋に閉じこもって黙々と編集をしていました。編集の量はそれほど多くなかったので生活の為に制作会社へ自分のポートフォリオを作って営業して仕事を受けたりしていました。


この時の僕は物事に対して、能動的ではなく受動的でした。仕事自体は淡々と進めることができると思いますし、とくに大きなトラブルもありませんでした。skypeでの打ち合わせや事務所に行って打ち合わせ、地方に行っての撮影や素材データを受け取って編集。最初に期日を決めれば、あとは基本的に自分で撮影や編集スケジュールを決めて進めていました。それほど大きな仕事を受けていないっていうのもありますが、、、。この時に感じたことは、リアルな人間からの情報や刺激、そして社会が動いている実感がわかないことに対する「不安感」でしょうか。

当時僕はニュースアプリで情報収集やTwitter・Facebookもやっていませんでした。インプット・アウトプットはほとんどしていなかったのです。周りの人間がどんなスキルアップや経験、どんな現場に行っているのかが正直分からず、孤独感すら感じていました。同僚や近くに他者がいれば話をしたり行動を見るだけでも自分なりの考えを巡らすことはできますが、それらが基本無かったので自分の主観でしか物事を考えず、俯瞰して判断できないような状況でした。自分が能動的に情報を集めることをしていなかったことは自分の責任ですし、考えが甘かったのも事実です。しかしこの時はそんな考えを巡らすこともせず、ただモヤモヤを感じていました。

もしかしたら他の理由があったのかもしれません、思いだしたら追記します。そして、どこかの制作会社か企業に所属して働こうと決めました。


求人募集を漁っているとたまたま教育系企業の映像職募集を見つけたので応募しました。当時は派遣社員として派遣会社から出向の形でした、面接も1回でだけで通過したのでそこで働くことになりました。教育にもともと興味があったわけではなく、この時は本当に偶然この仕事を見つけただけです。映像授業と呼ばれるネット配信用の動画の制作です、東進のCMでやっているような動画です。この仕事は2012年3月から2019年6月の今の時点でも継続しています。フリーランスは約1年半ほどで終了しました。

 

教育系企業(進学塾)で授業映像を作る

関西で200以上の校舎を展開する進学塾に就職し、映像の仕事に派遣として従事することになりました。入社当時僕は32歳でした。授業映像を制作する専用の撮影スタジオがまだできたばかりでした。

反転授業と呼ばれる家庭で視聴する10分程度の動画や生徒が欠席した時用の動画、有料コンテンツなど映像に関する制作をしています。基本的には教師が白板の前で授業を行なっている動画なのであまりクリエイティブな要素はありません。ただ数が相当多くて、年間約1000本弱程度は撮影しているでしょう。


入社当初、撮影の準備・撮影時の流れ・編集時の注意点・ファイルの管理・サーバーアップの手順などは一切決まっていなく、僕以外はアルバイトだけだったので全ての手順を僕が決めていきました。入って3ヶ月くらいは昼飯は週1か2日くらいしか食べる余裕はありませんでした。まあ動き出して最初の時期は大体どこもそんなもんかな?と勝手に思ってます。

入社から2年くらい経った時に、僕がスタジオの責任者になることが決まり、派遣から正社員として正式に採用されました。

 

ショップ運営

会社に入ってから3年程して、映像以外の何かをしたいと思うようになりました。その理由は、祖父母が営んでいた自宅兼居酒屋の店舗が何年も前から荷物置き場になっていて、なんか勿体無いなあと大阪に帰ってきた時から思っていました。使えるスペースがあるんだから有効活用できないかな。

シェアリングエコノミーが広まり、スペースマーケットなどのシェアサービスも出てきていることは知っていたので活用方法を探していました。

貯金もそれほど蓄えがあったわけでもないので、費用を抑えて何かレンタルや販売ができるものはないかと考えた結果、委託販売であれば資金を抑えられると考えました。

そして思いついたのが「ハンドメイド」でした。


2015年ですがホビー全体の市場規模は1兆9331億円、クラフトでは8906億円にも登ります。関西では定期的に大きなイベントも開催されたりハンドメイドの委託販売はやっている人もそれなりにいるので知名度はあると単純に考えました。それからオンライン販売を視野に入れて居酒屋の店舗改装に着手しました。

水道管とガス管は個人ではできないので業者に依頼し、それ以外の簡単な電気配線・扉修繕・塗装・壁紙張り替え・コンクリート埋め・天井の補修などは、週末や連休を利用して約半年間かけて妻と一緒にやりました。リノベーションまじ楽しかった!

HPを作り、google mapにも店舗を登録しました。フライヤーやショップカードも作りました。店舗の改装が終わり、オープンの日程も決まったので近隣住民の方々に安いですがハンドタオルと手紙を一緒にして挨拶周りをし、2016年8月にやっとこさオープン!

店名は「krukku(クルック)」と名付けました。

魔法陣グルグルご存知ですか?その名前をもじっただけですが、個人的には結構気に入ってます。



平日は会社員、週末はハンドメイドショップを開くというスタンスで続けていきました。基本休みは大型連休の時に数日休める程度で、それ以外の日は全て店舗を開けることにしました。オープンして1・2カ月は近所の方やチラシを見て来られる方、物珍しさでお客さんもそれなりには来てい頂きました。

しかし、3ヶ月目くらいからはお客さんはそれほど多くは来ませんでした、理由はやはり場所です。ほぼ近隣住民しか通らない「シャッター商店街」と言ってもいいでしょう。人通りが少なく、駅からも歩いて10分程度かかります。民家街にある店舗なので、このお店のためにわざわざ来るお客さんも少ないでしょう。しかしそれは想定してました、場所がよくないので店舗での売り上げはそれほど見込んでいませんでした。売り上げの主軸はオンライン販売を考えていましたから。

オンラインでの販売方法を模索し、プラットフォームを開発することも検討しましたが、minneやcreemaなどのハンドメイド大手オンラインプラットフォームが既にあるので、今から立ち上げても効果は薄いでしょう、しかも個人ですから。知名度も信用度も比較にすらなりません。

オンラインで販売する場合、商品を自分で作っていれば販売金額の7割程度は自分の収益(残りはwebサイト側の手数料)になりますが、委託販売は作家さんに売上げの7割、残り3割がこちらの利益です。なので委託販売は薄利多売、数を売らないと売り上げが上がらないのです。メーカーやプラットフォーマーで主導権を握るレベルにでもならない限りは薄利多売なのかもしれません。

自分の考えの詰めが甘く、結局2017年12月で店を閉めることとしました。

しかし、ここでの経験も大切な「学び」になりました。

 

行動と自問自答

頭の中でビジネスモデルを描いたりイメージしてみたりすることは大切ですが行動が伴わなければ机上の空論、絵に描いた餅です。

まずはやってみて実現可能かどうかを動きながら確かめる、ということの大切さをこの時から考えるようになりました。始める前から実現可能かどうかは分かりません。もちろん資金が潤沢にあればより実現しやすくなりますが、資金のない個人ではまず小規模から試行錯誤してみること。何より「行動するクセ」を身につけていくこともこの経験で大切だと感じました。見苦しい部分はあるかもしれませんが、まずは動き、形を作り、試行錯誤を繰り返すことが大切なんだというふうに考えるようにしました。

そして仮説検証しながら同時に行動する。

考えながら行動し、予測と異なる結果が出ればそこから軌道修正、また検証しながら行動。当時、そんな事を感覚的に考えていたと思います。


そして、もう一つ。

自分のアイデアを疑うこと。

行動の大切さを書きましたが、「そのアイデアは考え尽くしているか?」という自分へ問いかける意識は持ち続けなければなりません。それがてきなければ行動しても途中でビジネスモデルやプラン変更の確率は高まります。行動は大事ですが、途中で変更が発生すると逆に時間がかかってしまったり場合によっては最初のアクションが無駄になる場合もあるでしょう。

過信せず、自分へ問い続ける、そして迅速な行動。

このことを店舗運営で学びました。

 

違和感

店舗を閉めた後、気持ちを切り替えるために今の会社の仕事に集中して取り組んでいました。撮影や編集そして数十人いる撮影に来られる講師とのやりとりや情報共有、各事業部から種々入ってくる案件に対応していました。管理的な仕事も多いですが、それなりに頑張っていました。仕事は集中して取り組んでいたと思いますが、入社当初からある疑問というか違和感みたいな「もやもや」を感じていました。多分多くの方が感じていることだと思います。


ちょうど店舗を運営している時くらいからだったと思いますが、この疑問や違和感の原因は「そもそもどこから来ているのか」ということを考えるようになりました。これが今自分が行なっている取り組みのきっかけになります。

その違和感は2つです。


1つ目は、

この会社に入って早々から気になっていた事ですが、「自分毎意識」を持っている人が少ない、ということです。

例えば、「本来伝えなけえればならない相手に情報が伝わっていない」としましょう。伝える側は「ちゃんと伝わっているか」、複数人が絡んでる場合「ちゃんとみんなに伝わっているか」という確認が場合よっては必要でしょう。しかし、メールを「送った」という1つのアクションで満足しているのでしょうか、確認する事なく終わるケースが度々起こり、情報を伝えるべき相手に伝わっていないケースが発生したのです。つまり、誰に連絡すればいいか分からない状態で、「おそらくこの人に送ればいいだろう」程度の認識でメールを送り、知る必要のある人が知らない、という問題が起こったのです。

結果として、期日ギリギリになって「聞いていませんが・・・」「詳細がまだですが・・・」などの問題に発展しかねない出来事が頻繁に起こりました。最近では「情報を受け取る側が確認をすることが前提」みたいな風潮も感じて、「そもそも知らないのにどうやって確認するんだろう・・・」みたいな、仕事ってそもそも何なのか、色んな矛盾を感じていました。

仕組みができていればこんな問題は回避できるかもしれませんが、その仕組み自体が出来ておらず、そこにテコ入れする必要があると申し入れても、「う~ん」とか「それはどうしょうもねえ」など、果ては「俺は指示を受けただけだから」というなさけない返答。

現状維持ならまだいい方かもしれませんが、現状維持すらできていないケースが多々あります。課題を感じている人は大勢いるでしょうが、そこに踏み込もうとしない人が大勢いるんだということを身をもって感じました。


この問題は、私がいる企業だけに限ったことではなく、経営年数が長い企業ほど陥りやすい問題だと思います。よくいう「大企業病」というやつでしょうか。社会がデジタルに変化しても思考がついて行かなかったり、前例を踏襲してアナログな手法で解決しようとしても相手がデジタルであれば根本解決には至らず、問題が複雑化して浮き彫りになることもあります。そのような体質になってしまった企業はそう簡単には変化できず、それが長くなると「もういい」「そんなもんだ」などの他人事意識を生み出すのかもしれません。

はっきり言ってあまりにも無知と言わざるを得ないと思いますし、危機管理が無さすぎる。そして情報を共有するという意識があまりにも欠落している、これがどれほど混乱を招き、人の成長を阻害している行為かを恐らく認識すらできないのかもしれません。


●どうやって情報共有するか。

●伝えた相手は同じ認識を持っているのか。

●一緒に物事を進めるため、合意点を見つけるまで話し合っているか。

(個人で何かをやるのなら別ですが会社で同じ仕事をするわけですから合意形成は必要だと思います)


こういったことまで想像できるかどうか、おそらくここが重要なんだと個人的には思います。そしてそれが「他人事」ではなく、「自分事」と捉えることになるんだと考えています。そこが欠けているような気がします。


※トップダウン体質の企業は権限委譲をあまりしないので、上長や関係各所への確認のオンパレードです。他人事意識の原因はダントツでここです。

で、私の所属する企業もこれにあたります。

 

2つ目は、今の学校教育システムです。

大多数の方が受けてきた教育方法だと思います、教師1人対数十名の集団授業というシステム。これは明治維新頃に生まれた集団授業、そして戦中・戦後に確立された軍隊教育の名残がシステムとして今だに継承されています。この集団授業に違和感を感じます。

20年くらい前は僕もこの形式で授業を受けていたのでわかるのですが、全員一緒に同じ問題を解いて一緒に進める。教師の誘導で教科書通りに進めるこのシステムは、高度経済成長の時代では有効であり効率的に均質な人材を輩出する教育を提供できていたんだと思います。しかし、時代や価値観は当然変わります。現代において、本当に子供の「知りたい」という気持ちや疑問力や好奇心を養えているのか、という疑問は当然感じます。

教師が「わかる人」と言って生徒が手をあげる。完全に誘導であり、わからない人は後で先生のところに質問に行ったり、質問せずに分からないまま帰る。これは置いてけぼりを食う子供が出る仕組みです。問題がわからない生徒に寄り添ったアプローチができていない。

質問タイムでもない時に生徒が手をあげ、間違っていても両隣や前の席の友達がサポートしたり、それを教師や生徒達が認めるという土台がそもそもできていないと感じました。正解を言わないと恥ずかしい。間違えられない。だから言わない。間違えることが成長のヒントだということを現代社会ではまだまだ理解できていません。

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