過去は再定義できる〜なぜ子育てが大切だと気づいたか〜

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これが「正解主義」です。


本来、その間違いこそが成長の鍵になるもののはずです。「何故間違えたのか」「その間違いから何を得るのか」これが大きく人を成長させるポイントになるはず。しかし、その間違いを良しとしないのが今の教育システムです。「自分から能動的に好奇心を持って知る」という根本的なところに重きを置かず、昔からのやり方をただ踏襲しているだけなのではないか。

「知識の詰め込みは」受験では有効です。子供達も受験に合格すると嬉しいでしょう、それが子供達にとっては目標ですから。しかし、本来教育の目的は、「社会で活躍できる力を身につける」ことが目的であるはず、その為には受験よりも先を見据えた意識を教師自身が持ち、「子供にとって何が重要か」を考え続ける必要があります。それが本当の「子供の為」なのだと個人的には思います。

会社内での「他人事意識」と、学校の教育システムは紐付いていると僕自身は考えています。

 

行き着いた先は「母親」

思考力の弱い大人、おかしい事に声を上げない。

矛盾や疑問を今の会社で感じ、その根本的な問題は何なのか、どこが原因なのか。

自己肯定感の低い大人が溢れかえっている現状、これは好奇心や疑問力を高めることが出来なかった学生時代の教育システムが原因だと当然ですが考えました。

ここの改革をするには国家レベルのテコ入れになるので、一個人では正直厳しい。


更にその先を考えてふと浮かんだのが家庭環境です。

要するに、学校で知識をインプットする前に、家庭での「愛情」が自己肯定感に最も影響を与えるんじゃないかと。

家庭環境の中でも特に最重要なのが「母親」、母親とお子さんとの良質なコミュニケーションが最も重要だということに行き着きました。

人生最初の教育とも言える母親からの何気ない会話、問いかけ、そして母親の笑顔が子供の思考力や好奇心・疑問力の土台になる、僕の結論はそこに至りました。

やりたいこと認めてくれる、肯定された状態で成長する場合と、「やめなさい」「早く行きなさい」と言われ続けた状態で成長する場合。どちらが想像力や好奇心が醸成されると思いますか?間違いなく前者です、断言します。

そしてこの想像力は、未来を良い意味で変える力も持っていると確信します。想像力のない大人が一歩先を想像出来ず、目の前のことだけに囚われ、主観で物事を判断して他者と合意形成もできない。そのような価値観で仕事をする。

「いじめ」の原因もここにあると僕は考えています。

つまり、「自分以外の価値観がある」ということを意識できない、考えられないから結局自分の価値観に合う者同士が集まる。自分の中の「当たり前」という価値観にそぐわないものを排除する行為が「いじめ」なのです。


麹町中学校の工藤勇一校長の著書【学校の「当たり前」をやめた】にも「他者との対話による合意形成」の重要性が書かれています。「他者を意識できない人」はそもそもなぜそんな意識になっているのか、この本を読んで腑に落ちました。言語化できないモヤモヤを「他者との対話による合意形成」という言葉で言い表されていて、本当にしっくりきました。

いじめ、差別、足並みを揃える、「指示・命令」という同調圧力と思考停止。

他にも色々あると思いますが、これらは全て学校で「他者との対話による合意形成」を小さい時から行う経験が少ないから起こっているのではないか。その結果「自分以外の価値観がある」という意識をそもそも持てないことが根本的な原因なんだと考えました。


①母親と笑顔会話している状態で学校教育を受ける場合

②母親がイライラして会話も少なく「早くしなさい」「困らせないで」と言われた状態で学校教育を受ける場合


どちらがより自己肯定感高く学校生活を送れると思いますか?考えるまでもないかもしれませんが、一度考えてみてください。

 

子供の脳

下の画像はエビデンス(科学的根拠)も実証されている統計です。

子供の脳は、個人差はありますが大体3歳くらいまでに80%成長しきることが実証されています。つまり、学校に行く前の家庭での良質な声かけや会話、触れ合いというコミュニケーションが脳の成長に大きく影響し、成長に連れて脳の成長度合いにも大きく影響します。

母親の笑顔は子供を安心させる効果があります、そしてこの安心が好奇心や疑問力、行動力に繋がるのです。だからこそお母さんの力は重要であり、お母さんの笑顔は社会に良い影響を与えると信じています。それぐらい重要な存在だと認識しています。

僕が子育てや教育に関する取り組みをする理由はここにあります。

 








振り返って

小・中学生時代は他者の言動を強烈に意識するいじめという体験。芝居や映像と出会って想像力の重要性を感じる体験をすることができました。これらは僕が偶然出会った事象であり、誰でも同じ経験をするわけではありません。もし同じ経験をしたとしても、その経験をどう捉えるかは人によって当然違います。僕と同じ考えになることはまずないでしょう。

しかし、どれか一つ欠けていても「今自分が大切にしていること」や「今の考え方」は得られなかったでしょう。ひょっとしたら考えることから逃げている生活を今でも送っていたかもしれません。

「いじめ」を受けていなければ他者を意識することもなかったかもしれません。勿論経験する必要のないことも当然あります、僕の場合はまだ程度が軽かったので良かったんだと思います。

映像をやっていなければ間違いなく今の会社に入っていないですし、人生最初の教育である家庭での親子のコミュニケーション、そして母親の重要性に気がつくこともなかったでしょう。

そしてそのきかっけをこの会社で得ることができました。

特にこの会社では疑問や矛盾を感じることができて本当に良かったです。この会社と出会っていなければ間違いなく「疑問」を直視することもなかったと思う。そして「子育て」にも「母親の重要性」にも目を向けていなかったでしょう。


企業としては課題が山積してるかもしれません(どんな企業でも課題は常にあると思います)が、僕個人ではその課題を現状維持や放置している事実と直面した結果、「そもそも」を考えることができました。その時その時の状況をどう捉えるか、それ次第で課題も見えてくるでしょうし、どう判断するかでも状況は変わります。

時代時代に応じた捉え方や自分なりの判断基準を見つけるには、様々な情報をインプットする必要があると思います。そして、常に考え続けることです。

 

過去を再定義

僕が経験した出来事は今の僕を作っています、それは間違いありません。そして1つ1つの出来事を今の自分がどう捉えるか、それ次第では「いじめ」も”経験”に変えられます。勿論いじめを肯定しませんし、経験する必要のないことはいくらでもあります。しかし、経験してしまったことは取り消すことはできませんから、過去に対する捉え方を自分なりに工夫することが重要になります。

今では自分の過去を再定義できたのでは、とも思っています。しかしどう捉えるかは、自分の中に知識がないとどう捉えていいかわからなくもなります。経験したことに対してどう認識するか、どうアプローチするかは自分の中の引き出しからアプローチの方法を探さなければなりません。その引き出しが空っぽだったり少ないと辛い出来事も辛いままです。

引き出しの中に様々な知識があれば辛い出来事に対してどう対処するべきかを選ぶことができると思います。だから僕はできる限り様々な情報を吸収するようにしています。(多少は嗜好もあるので偏ってますが)

ニュースアプリや人から直接聞くことももちろん重要です、いろんな勉強会やセミナーに参加することもいいでしょう。「知らない」ということは選択肢を持たないということに似ています、というか同じだと考えています。

そして僕自身は、「自分が何をしたいか」という目標を見つけることで過去を再考察・再定義することができるようになりました。ただ、もし過去に戻れるとすれば1つだけやっておきたかったことがあります。学生時代、色んな疑問や矛盾に対して、自分なりの「思考」をもっともっと、とにかくもっと考えていたかったと思っています。その時に答えは出なくてもいいんです、アウトプットしなくてもいいんです。

考え続けることが何よりも重要で、この訓練が新たな視点を見つけ出すきっかけになるからです。

今の僕は、やっと少しは物事に対して別の視点で考えられるようになりましたが、もっと若い時から考えられるようになっていたらどれだけ世界をもっと俯瞰して見ることができたか。これは経験値としては大きなハンディキャップを負ったと思っています。

 

ターニングポイント

「何となく」生きることができるのが今の日本です、目標を持たず周りに同調し、摩擦を生じさせないよう振舞っていたら過去が嫌なもののままだったかもしれません。過去の体験のなかで自分自身が何に違和感を感じ、何が楽しかったか、何が悔しかったか。いつまでも心に残っている「違和感」がひょっとしたら原体験なのかもしれません。その「何か」を意識し続けていれば過去を原動力としてこれからの人生を大きく動かすキッカケになるかもしれません。

大切なことは、違和感を忘れないことです。そうすれば、見えてくるものが必ずあるはずです。


僕の座右の銘は、「全ては繋がっている」です。これは十数年前から変わっていません。(その前は座右の銘なんて持ってませんでした)

良いことも悪いことも、感動も喜びも悔しさも後悔も全て繋がっていて、「やりたいこと」を見つけることで、自分自身を作る要素になるかもしれません。少なくとも僕はそう思っています。

この執筆した記事は自分の身に起きた事象を、今の自分がどう捉えているかという視点で書きました。端から見れば思い出したくない出来事だったり、どうでもいいことかもしれませんが、それらも全て捉え方次第でターニングポイントになると思っています。


この記事をご覧の方に僕から何を提供できるかわかりませんが、僕自信の経験として。

過去の事象、そして今感じている違和感を忘れず、考え続けることができれば捉え方も変わるはずです。ターニングポイントとは、起きた事象に対して自分自身がどう捉えるか、だと思います。

その為には色々な情報を吸収してください、趣味嗜好で偏りはあってもいいと思います。インプットの癖を身につけて下さい。そして考え続けて下さい。考えるとは「得た知識を脳内で編集・応用する」ということです。考え続けることで新たな視点、閃きなどのヒントを生むと思います。この考える力が、悔しい過去や思い出したくないこと、おかしいと思う事象を「再定義」という結果に導いてくれるんだと考えています。

 

書けていないことがまだまだありますが、とりあえずこんなところです。

この記事は構成など一切考えてないですし、めちゃくちゃな乱文で申し訳ありません、校正もしていませんのでご理解ください。


機会があれば清書でもして再公開、しないかな?



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