健康診断毎年受けよう。乳がんは、早期発見大事。右胸に小さな嚢胞。嚢胞は良性だけど大きくなるなら要注意の話。
結局、右胸に小さな嚢胞があり、良性でした。
死ななくていいけど
大きくなるようなら、また考えましょうとのことで、悪性になることも、ある?
人間って歳を重ねているから、どうしても健康を維持していかないと、実年齢に侵される。
健康って、お金だけじゃどうにもならなくて、努力も必要なんだなって今回身に染みた。
死ぬことも、覚悟した。
小さな嚢胞や腫瘍でも 生検したら悪性の癌でしたってことも、あることを友人がなってしってるからだ。
生きていることに、感謝する。
生きてると、辛いことがある。
誰かに嫌われることがある。
大好きな人から嫌われることが、ある。
それでも、仕方ない。相手にも好き嫌いがあるし、相手にも選ぶ権利がある。だから、どうにもならない。
選ばれないときは、ストーカーにならないように、去るしか、ない。それが最後の私の愛情表現だと思う。
去ろうがなにしようが
相手は嫌になったら
『気持ち悪い』って思うかもね。
好きでもない人からの好意は、人によるけど『気持ち悪い』と私も思う。
ファンとか、私の作品や文章が好きですって言われるのは嬉しいし、基本的に好意を持たれたことが嬉しい。
けどたとえば生理的に受け付けない人からの、『好意』は、好意すら受け付けないよね。それこそ、言葉が悪いけど気持ち悪いと思うかもしれない。
私は乳がんとか、なにか病気で死ぬにしても、自分は、いいの。もうだいぶやりたいこともやって、今後もなにかこれがしたい!っていうのは、あるけど絶対やらなきゃダメってほどじゃない。
ただ
『子どもが成人したり、結婚するまで生きたい』と思う。
私を大好きになってくれて、私の心配をしてくれて、ずっとずっとママ大好きって愛をくれる。
この子たちを、見守りたい。
護りたい。
それだけで、いま、私は生きてる。
小学校6年生のときに
クラスの女王様タイプワガママMちゃんSちゃんが毎回毎回掃除の時 ほうきしかしなくて。
『私もほうきやりたい』って言ったらさー。半年間フルシカトされたよね。
それもクラスの男女みんなに。
お弁当の日があると私は1人で図書館で食べたし、休み時間は図書館かトイレに逃げたね。
いるとボールを男子がぶつけてくる、女子には嘲笑われる。
上履き捨てられる。
移動教室、行こうとすると邪魔される。
で、私は寝れなくなって
首吊って死のうとしたんですよ。12歳くらいかな。
あのとき、
夜中に家を忍びでて、秋かな。なんか肌寒い日で田舎だから、空気が氷のように張り詰めてて、車の走行音もしなくて。
田んぼからの虫の音。
物置部屋のまえの面格子に
ロープつけて、首をつろうとしたら
『満月』が見えた。
あまりに、美しくて
私は死にたいのか?!って何度も聞いた。自分の心に。
死にたくない。
そもそもおかしいだろ、ほうきやろうとして虐められるとか!!
それで私は死ぬのを辞めた。
『死ぬ気で、本気で、やろう。本気で生きてやる!!』
次の日
体育のペアを組むとき相変わらず私は余って、先生が俺とやるか?と聞いてくる。こいつも担任なのに気づいているのに助けない。
『だれか、私と組んでください。お願いします。』
なんとか叫んだ。
いい。まずは、声をあげろ!泣き寝入りするな。嫌だ!と叫ぶんだ!って。
『まって!ことねが悪いわけじゃないよね?!これ、もう辞めようよ!』
『私もMちゃんたち怖くて、無視してきたけど、ことねちゃんのこと嫌いじゃない。ごめんなさい。』
そう、その日から
立場が逆転して
いじめっ子2人が孤立した。
恐怖で支配しても、続かない。
最初はみんな怖くて従うかもしれないけど、そんなものは、続かない。北風と太陽。
いじめっ子が北風なら
私は進んで太陽になって
みんなを照らして助ける。
そう、あのとき
12歳で自殺して死のうとしたんだから、1度死んだと思って
もう40歳になる。
ここまで生きてこれた。まだ生きられるなら生きたい。でもいつ死ぬとしても、悔いなく生きてきた、と信じる。
誰かを傷つけるかもしれない。
全員傷つけずにってそれこそ偽善で、かなり難しい。
自分の選択を信じるしかない。その選択肢で良かったと、思えるように、生きていくしかない。
胸の良性嚢胞と共存して
長生きする。
来年も健康診断を受ける。
コロナの渦も生き延びよう。
みんな!NEXT stageへ
行こう。
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