私がDNAを残したくない理由の話

著者: 足立 晴子
私は最近母と連絡を取るのをやめました、それはいろんな理由が有るのですが、遡ればサンタクロースが居る事を知ったあたりまでさかのぼります。

幼稚園で友達がクリスマスにはプレゼントをもらうパーティをすると言っていました、私はそれを素直に母に話しました、
クリスマスの朝私の枕元には欲しかった編み物が出来るおもちゃが置いてあり、小躍りしながら下の階に降りました、当時はもちろんサンタクロースが居ると思っていたので激しく興奮していたのを覚えています。
実家は一階が店舗になっていてその日はたまたま休業だったと思います。降りてみると従業員の連れてきた同い年くらいの女の子も居ました、彼女もおもちゃをもっていました。
『サンタさんがね〜くれたんだよ』とその子に自慢げに見せた私のおもちゃをその子は激しくほしがりはじめました。無論宝物です、渡すつもりなんてさらさらないわけです、
しかし
母は、『あげなさい』と言い放ちました
泣いて抵抗するわたしからサンタさんのプレゼントは彼女の元に‥
一日泣いて過ごしました。
翌年のクリスマスかな、しばらくあとかな、サンタクロースの存在を忘れ始めた頃、弟がクリスマスにゲームソフトが欲しいといい出しました、おもちゃ屋に行く事に成り、夜母と弟の3人で車でおもちゃ屋までいくと
『あんたは乗ってなさい』と言われなぜかわからないまま12月の寒い車内で二人を待ちました。戻ってきた弟は念願のゲームソフトを嬉しそうに抱えていました。
何かを期待しなくなったのもこの辺りかな
お正月のある日弟を連れて町内会のカルタ大会にいきました、もちろん行き先も告げて、しばらく遊んで居ると血相を変えて世話役のおじさんがやってきました、
『お母さんが急いで電話するようにって慌ててたよ』
と言われなにかあったのかと直ぐに電話をすると部屋の掃除がまだなのに遊びに行った事を激しく咎められました。出かける時は弟をよろしく、楽しんでおいでと言っていたのに。
その足で弟を家に帰し家出しました、だんだん母がわからなくなって来ました。
ピアノの練習をサボってテレビをみていたらそのテレビを2階から投げ落とした事もありました
小学校の高学年になってある日ハサミを壊しました、故意にではなく劣化です。新しいハサミを買うお金をもらって文具屋へ行きました、いつもいっている文具屋なので20円おまけしてくれたのでポケットにいれて帰りました。それをすっかり忘れて洗濯に出したら20円が出て来て
『あんた万引きしたの?』
そう言って激しくしかりつけられ文具屋に電話させられました、幸い文具屋のおばさんが覚えていて濡れ衣ははれました。
愚痴です、すみません。結末は少し違うので最後までお付き合いください
女の子は経験があるはずですが、生理が始めて来るとお祝いでお赤飯を炊きますよね、私にもそんな日が来たのですが、母に話すと
『汚らわしい』
と一言いわれお風呂も禁止されました。
友達に話すと同情され泣かれました。
今の母はとにかくわたしをそう遠くない未来の介護要因にしかみていません、育てたんだから面倒見るのが当たり前、いままで私に使った学費や生活費は返すべき、そういいます。
今年始め、携帯の番号を変えました、住まいも近いうちに変えます、
母の子であるという事は私にもああなる素質が備わっているという意味なのです。
それが空恐ろしい、
今、結婚しようとしている彼が居ます。子供も本当はほしいのかもしれないのですが、私も子供に正しく向き合えない気がして勇気が出ません。
私は私、母は母なのだとわかっては居るのですが、どうしてもあの母と同じ鬼になってしまうのでは無いかという不安が先に出ます。
彼には申し訳ないとおもっていますが、子供は無理だと思います。
親が居るだけ幸せだと言われるかもしれません、わかってます。生まれて来た恩もあります。そこだけは感謝しています。
いま子育てして居る方にお願いです。
自分も母のような子育てがしたいと思えるようなお母さんでいてください。生活の事、子育ての事いろいろ大変かもしれません。でも子供が親から受ける影響は友達から受けるそれとは別格です。
背中をみて育つと言われるとおりなんです。
私は最近彼に生活の基礎ができていないとよく言われます。料理、洗濯、掃除、なにも教わった記憶がありません。正直教えて欲しかった、キッチンに一緒に立った事はなかったと思います。
子育てを私が語るのはおかしいのかもしれませんが、子供の子供、またそのこどもまでお母さんの影響力は及びます。
幸せは何かを問うのであれば、それは家庭や家族の中に有るものだと考えます。
仕事がうまく行っている、お金が有るそれがどうなんだと‥
幸せな家庭の本質を作るのはお母さんです。いま子育てで悩んでいる方は相談してください、誰でも行政でも良いので。
父が忙しく一人でなんでもしていかなくてはならなかった母に同情の余地はあります。
でも結果母は自分の娘も孫も失った事に成ります。今のところ‥
仲良し親子になれというわけでは無いです。喧嘩もいいと思います。でも子供は別の人格で別の人間です。夢も生き方も違うのです。本当に愛玩したいなら犬とかにしてください、虐待してしまいそうなら、育児が辛かったら早く逃げてください。助けてくれる人は必ず居ます。
子供のSOSを見つけたらすぐ自分を振り返ってください。
子育てをしている方を応援しています。私が出来ない事をしていて凄いと感じます。
わたしは、自分のDNAはわたしの代で終わりにしたいのです、
それはそれで生き方として有りかなと最近思う様に成りました。
今は幸せです


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