【男が道に迷ったら】とある石油会社の重役に、利根川で鯰を釣りながら教わった人生の指針。

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自分が志した小説と音楽が、上手くいかなかったこともある。芸術とは、自分を追い詰めることでしか良いものは出せないと思い込んでいたから。そんなときも、職場の人たちは「阪口くん、だめだよ無理しちゃ」と優しく接してくれたのだった。


4ヶ月前の2010年5月、張り詰めていたものが切れ、僕は自殺をしようと思って失踪事件を起こした。


結局、死に場所を見つけきれずに終わったが、仕事は辞めることになった。付き合っていた恋人にもフラれた。携帯電話を壊し、友達と音信不通になった。僕は精神科に通い始め――その1ヶ月後、服薬自殺をしようとして、それにも失敗した。



伊波さんはどうして鬱病になったんですか?


 と僕は聞いてみた。



2年間も動けなくなるのは――僕にはとても想像できません。そんなに仕事が忙しかったんですか?




 伊波さんは黙って首を横にふった。そしていつもの調子で、優しい、淡々とした口調で、


伊波さん
奥さんが亡くなったのさ。


時が、止まった。



悲しみを抱えたまま生き続けることを選んだ男の強さ





伊波さん
俺が23歳の時に出会った人でな。綺麗な人だったんさ......一目惚れだったなあ。


伊波さん
あの当時はずいぶん色んな女の子を渡り歩いていたけど......全部やめてしまった。あんな人と結婚できて、俺は宇宙一の幸せもんだと思ったぜ。


伊波さんはこちらを見ずに、じっと浮きを見つめていた。瞳の色が薄くなる。枯れ果てた涙の跡が透けて見えるような気がした。


伊波さん
白血病だったんさ。


伊波さん
なんの冗談だろうって思った。調子悪いなーくらいにしか思ってなかった奥さんが、いきなり白血病ですって告げられるんだぜ。たまらんぜ...。そんなん、ドラマの中の話だろって。ふざけるなよなあ。


伊波さん
だんだんな、大好きな人が弱っていくんよ。それをな、もう見ていることしかできないんさ。いくらお金があっても、どうにもならないものはならない。



伊波さん
奥さんが死んでからな、もう何も考えられなくなったんさ。なんであいつなんだ、なんで俺を殺さなかったんだって...なんど神様を呪ったかわからん。


伊波さん
もう動けなくなってしまってな。仕事は休職させてもらった。蓄えもあったし、会社からの手当もあったから、子どもは3人大学に行かせたけれど......もう無気力になってな。身体にも心にも何も力が入らないんさ。


伊波さん
何度死のうと思ったかわからん。こんな人生は無意味だってなあ。でも、子どももいたし、結局死にきれんでなあ。そこから立ち直るのに、2年かかったんさ。


立ち直ってなんかいない。この人は全然、立ち直っていない。立ち直らないまま、その悲しみを抱えたまま、しかし生きることを選んだのだ。


その悲しみを、それを抱えて生きる伊波さんの強さを、僕は想像することもできなかった。




自分の方向性がわからないんです。



翌日も、利根川の桟橋に行くと、釣りをする伊波さんの後姿があった。


伊波さんはこの近辺での仕事も終わり、明日には別の場所の下見に行くと言っていた。今日が、肩を並べて釣りをする最後の日だった。


僕らは肩を並べて糸を垂らす。かかるのは相変わらず鯰ばかりだった。しかし伊波さんは、別に気にしない様子で、魚がかかる度に「来た!来た!」とはしゃぎ声を上げていた。


僕は伊波さんと別れる前に、どうしても聞いておきたいことがあった。



僕は自分の方向性がわからないんです。


垂らした釣り糸を揺らしながら僕は言った。


夢もありました。目標もありました。大好きな人もいました。でも......それを失った今、何を支えに生きていけばいいのかわからないんです。



精神科の医者には、「とりあえず今は、休みなさい」と言われていた。

しかし――休んで元気になったあとで、一体何をしていいのか僕はわからなかった。


何を目的にしていいのかわからない。夢を失い、恋人を失い、死にたいと思っていた、その願いすらも叶わなかった。もう、自分の心の中はひからびて、どんな感情も、情熱も、夢のひとかけらすらも、湧き上がっては来なかった。しかも――そのことに危機感を感じていない自分がいた。


鬱病であれば、夢や人生の目標がないことの、言い訳ができた。社会と交わらなくても良かった。逆に、鬱病と診断されている期間は、社会保険で守られた。友達も恋人もいない、ひとりの自分を肯定することもできた。鬱病であることを盾に、自分を傷つける全てのものから逃げることができた。


社会生活から日に日に遠ざかり、人間としての機能を失っていく自分。その自分に対してすら、もう何も感じなくなりはじめていた。本当に――僕はどうしたらいいか、わからなかったのだ。


伊波さん
仕事をすることさ。

僕の言葉に伊波さんは優しく、しかし力強く即答した。

逡巡する間も、なかった。


伊波さん
どんな仕事であってもいい。正社員じゃなくても、コンビニやガソリンスタンドの店員でもいい。どんな職業や職種であってもいいから働くことさ。
......働かないのは駄目ですか。
伊波さん
駄目だな。それじゃあ何も見つからない。男の場合は特にそうだ。どんなことでもいいから社会と繋がっておくことが大事なんさ。繋がりがなくなったら、本当に何も考えられなくなる
僕はいま、働くことがすごく怖いと思ってます。


と僕は正直に言った。



伊波さん
わかるぜ。でも、それでも働かなくちゃいけない


伊波さん
男はな、働いていないと何を見つけることも、何を手に入れることもできないんさ。今すぐ、とは言わない、でも仕事をしなさい。それ以外に救われる道はないよ。




自分が思い描く「仕事」をゼロから作ってきた3年間。


伊波さんは別れるとき、僕に釣り竿をくれた。それは見るからに高そうな、黒光りする釣り竿だったが、「次にまた落ち込んだら、釣りをしなさい」と渡してくれたのだ。


その釣り竿は今も、実家に大切に置いてある。幸いなことに、あれから3年半が経った今も、僕はこうして元気に仕事をすることができている。


伊波さんと別れてから1ヶ月後、僕は車中泊で日本を縦断する旅をはじめた。


自分の夢に決着をつけ、自分のやりたいものを、思い描く仕事を、ゼロから見つける旅だった。駅前や路上でベース一本で音楽を奏でたり、車の中で小説を書き進めたり、そんな毎日を送った。



そうして気がついたのは、僕はただ、自由に旅ができるような仕事であれば、それが音楽でも小説でもなんでも良いのだということだった。

旅が終わってから僕は、小説を書くことを止め、楽器を売り払った。そして、旅をしながらできる仕事、PC1台でできるWEBの仕事をゼロから始めることにした。伊波さんと出会って2年後の夏、僕は日本を出国した。



僕は今、スペインのバルセロナでこの文章を書いています。


冬のバルセロナの空は、宇宙が透けて見えるほど透き通っていて、高台から街を見下ろすと、ぎっしりと詰まったレトロな街並みの向こうで、地中海の深い碧色がキラキラ輝いている。僕はそんな景色を眺めながら、文章を書いたり、WEBサイトを作ったり、そうして旅を続ける仕事を続けています。




伊波さんと別れてからのことは、「鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話」と「あいりんt区で元ヤクザ幹部に教わった、○○がない仕事だけはしたらあかんという話」というストーリーで書いています。よろしければ合わせてご覧ください。



最後まで読んでいただきありがとうございました!



追記:今回の記事が元になった本が、出版されることになりました!

★書名:「うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話」

★出版社:朝日新聞出版

★発売日:2014年4月18日(金)

★値段:1400円+税

★著者:阪口裕樹(さかぐちゆうき)

⇒Amazonでの予約・注文ページはコチラです。


23歳のときにうつ病になり会社を辞めてから、
25歳で出国する力を身につけるまでの2年間のストーリーを書きました。


内容は、

・千葉の実家で半年間寝たきりだったときのこと
・自分の夢に決着をつけるため日本縦断した話
・異国の街に恋人を置いてきた、その悔しさを晴らすために起業した話
・うつ病を克服するために九州の旅館で住み込み働いた話
・大阪あいりん地区に潜伏し、元ヤクザ幹部に人生を教わった話
・世界を自由に飛び回るためにWEBで稼ぐ力を身につけた話

など、僕が実際に体験したストーリーを、追体験できるようなものになっています。よろしければご覧いただけると嬉しいです。

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