母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑨
母も安心するのだろうか。
いまいちわからないが、自分から呼んだってことはそういうことなのかな。
もうベッド上で姿勢を保持する力が無くなってきている。
食事も相変わらず口にしてない。
もう2週間近く絶食している。
時折口に含んでいた氷もなめなくなってきた。
いよいよ尿量も少なくなり、尿の色もかなり混濁してきている。
まだ下血してないのでそこは大丈夫だろうけど。
唇の乾燥も痛々しい。
まさに「人間の死に至る過程」をまざまざと見せ付けてくれる。
文字通り「命がけ」で。
一人ではどんどん不安や恐怖心が募るなか、祖母がきてくれて良かった。
なかなか伝えられないけど、ありがとう。
2003年9月7日 last 3 day
札幌から俺の友人がきた。
2、3日前「母の状態を伝え札幌にある俺のアパートのポストをチェックして整理してほしい」と電話したら予告なくいきなりだ。
「先生に会いたい」と希望したが、申し訳ないがお断りした。
もう、母はすでに誰かに会える様子でも状態でもなくなってる。
考えて見ればそいつとは母の経営する塾で一緒に勉強してた時から付き合いだから、もう10年もの腐れ縁だ。
母はそいつのことを「素直でいい子で私は好きだ」といつも俺に言っていた。
そんな母の気持ちが伝わったんだろう。
昔からとても良く慕っていた。
一緒に元町地区を散歩して、母の意識がはっきりしてる頃教えてくれたカレー屋で昼飯を一緒に食べた。
そいつにとっても最期の別れとなるので母に会わせてやりたかったが、やはり仕方ない。
母は親戚も自分の友人もずっと面会を断り続けてるぐらいだし。
やはり、伝えたいことは互いに元気なうちに伝えることが何より大事なのだろう。
いつまでも元気でいるというのは、あり得ない。
人間は、死ぬ。
それが痛いほど良くわかった。
死に至る過程の中では切ないほど、何も出来ない。
意識がある内にこそ、日頃から感じることを伝えないといけない。
なかなか難しいよなぁ。
でも、そうしないいけないということが今回よくわかった。
突然来た友人は散歩中に4つ葉のクローバを見つけた。
それをティッシュに包んで、「先生の枕元に」とくれた。
それに札幌からゼリーやヨーグルトを「もし食べられたらと思って」と、持ってきてくれた。
確かに優しいやつだ。
母の枕元に置いてその旨伝えるが、すでに母は返事も出来なくなっていた。
声も出せず、目を伏したまま時々苦痛に顔を歪めるのみだった。
2003年9月8日 last 2 day
全身の肌は乾燥し、上半身は骨と皮。
下半身は異常な浮腫で腰部まで腫れ上がってる。
骸骨のようなその顔で口と眼は常時半開き。
呼吸も苦しそうに大きく肩でしているが意識はすでにない。
唇はひび割れ濡れガーゼで湿らせても効果なく、半分開いた眼から覗く瞳は虚ろに宙を泳がせている。
問いかけにも返事はなく、時々痛みでうめくだけ。
著者のTakai Reiさんに人生相談を申込む
著者のTakai Reiさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます