4浪して獣医学科に入った私がなぜ生協で営業の仕事をしトップをとっていたかの話

<

2 / 3 ページ

>
著者: 平松 育子

電話帳を頼りに動物病院に電話をかけ、面接をしてくれるところを探した。

子供のいる女性獣医師が就職できる動物病院は本当に少なかった。

そんな中でも、面接をしてくれる病院が見つかった。


院長先生から、やはり子供のことを言われた。

・子供の病気では休まないこと。


「はい」と返事をした。その職場だけでなく、子供を理由に休まない事が、その当時女性が働く場所を得ることにつながっていた。


4月からの採用が決まり、子供を保育園に預けた私は獣医師という肩書きをまた持ち現場に戻った。

正直、勘の鈍りはすさまじく本当に大丈夫か?採血できるか?あれは?これは?


そんな不安ばかりがよぎった。



こどもがいるということはハンデなのか??? 

私の獣医のキャリアは途切れ途切れだ。

その理由は、子育て。

それをうらんだり、子供がいなかったらよかったのにと思ったことは一度もない。

私自身仕事をしている両親の背中を見て育った。

幼稚園のころから私ができることをやり仕事を手伝ってきた。

謝る姿、熱があるのに仕事をしている姿、ご飯抜きで仕事をしている姿、休みでもお客さんが来たら喜んで引き受ける姿。。。。

様々な姿を見てきた。

だから、私もそうありたかった。

仕事をしている私というものを子供たちに見てもらいたかった。

必死こいて命と向き合い、助けられない事を思いっきり悲しみ、助かったことや良くなっていく事を狂喜乱舞する姿を見てもらいたかった。


子は親の背中を見て育つ


それは、私にとって大事なことだった。

私自身がそうだったからかもしれない。

私の両親が子供に自分が果たせなかった夢を託したのと同様、私にも私の仕事を子供に継いで欲しいと言う思いがあったのかもしれない。


女だからと言われることも、女のクセにと言われることも、時に女であることを言い訳に使うことも抵抗があった。

大学時代、待合で待っている飼主さんに言われたことがある。


「ねえ、女医さんよ~。女だてらに畜生の医者になってどうすんの?花嫁修業でもやっとけばいいのに。ろくなもんじゃね~~~」


今でも忘れないこの一言に、どれだけ背中を押されたか。。。絶対に、開業して「女だてらに。。」と言わせない獣医師になろうと、悔しい思いをするたびに心の中で握りこぶしだった。


まだまだ、女は家庭が主流だった時代に、逆らいたい思いと絶対に開業するんだという学生時代からの夢を追い風にして獣医師に戻ったけど。。。。


「まま~」

と泣き叫ぶ子供を保育園に預け、泣き声を聞きながら子供に背中を向けるのはかなりの勇気が必要だった。私はとってもひどいことをしているんじゃないのかな。。。

顕微鏡を覗きながらふと子供のことを思い出すと視界が曇った。


ある日、保育園のお迎え時間に間に合わなかった。閉園時間をはるか過ぎ、先生にも子供にも申し訳なくて急いで行きたいのに、そんな時に限って渋滞。。。


やっと保育園に到着し、先生に感謝と謝罪をし、


「遅くなってごめんね。」


と、子供に言ったその瞬間、園長先生の雷が落ちた。

「謝ったらいけません。頑張ってきたよと言ってください。何も、悪いことをしているのではない。間違ったことをしているのでもない。謝られることで子供は後ろめたさを覚えます。だから、お母さんは仕事で遅くなった時にごめんねといってはいけません。お仕事、頑張ってきたよと代わりに言ってあげてください」


きっぱりとした一言だった。

それから、仕事で遅くなっても「ごめんね」は言わなくなった。

さすがに、緊急などで夜中の2時を回っちゃったときには「ごめん!!」だったけど。


存在感と信頼感と安心感・・それが今のあなたにはない

子供の親になってから何度か職場がかわった。

その中で、私の考えを根底から覆した職場がたった一つある。

そこはまるで毎日が戦場だった。こんなに激烈で、命のために戦う動物病院があるのか?全員がそうだった。

看護師が新米の獣医師以上に働き、看護師が新米獣医師に教える。

私も、教えられた。

教えてくれた看護師とは事情があって連絡しあうことはないが、心はいつも繋がっている。久しぶりに会ったときには、今の私の仕事ぶりを見透かされたくないという思いがいつまでたっても抜けない。それほど、存在感のある看護師だった。


その動物病院では私はまるで何もわからない役立たずだった。


手を出す隙がまったくなかった。どこにも手を出せなかったのだ。新米の獣医師がやるくらいの仕事は、看護師たちがさっさとリズミカルにスピーディーに正確にやってのけた。

私はといえば、言われたことを「はい」と言ってやる。でも、それだけ。

その当時の私とその病院のスタッフは、「レベル」も「心構え」も「根性」も何もかもが桁外れに違いすぎた。足元にも及ばない。


まさに、場違いという言葉がふさわしかった。


罵声は私には飛んでこない。その代わり、だんだん、声を掛けられなくなっていった。


またもや負け犬になった私はマネージャーに退職について相談した。


マネージャー
獣医師というのは治療はできて当たり前。一通りのことができるというのは大前提。

院長とあなた、何も話さずに立っている。どちらに相談しにいくと思う?絶対にあなたじゃない。

自信なさげで、下を向いて、自信がないから人の後ろに隠れる。。。違う?

そんな人から、信頼感やまして安心感など沸いてこない。余計不安になる。

何でも聞いてください、どうしましたか?今のあなたに言える?

聞かれたらどうしよう。。。と、こそこそしているあなたにはどんな患者さんも頼りたいと思わない。
わたし
・・・・・
マネージャー
これからどうするの?行き先は決まってるの?
わたし
まだこれからです。。。。
マネージャー
仕事で苦手なことは何?
わたし
営業です。。。
マネージャー
じゃあ、営業にいってみたら?苦手の克服として。必ず獣医に戻る、そのために必要なことと思えば「獣医」のプライドは傷つかないでしょう?

マネージャーの言葉は本当にそのとおりで一つ一つグサグサ刺さった。自信がないので、目立たなく後ろに下がっていたし、話しかけられたくないのでドンくさい格好をしていた。


「じゃあ、がんばって!」

あっけない幕切れだった。引き止める人が誰もいない退職。普通に再開される診察。


《 ナンデ、ソウナンダ? ナンデ、イツモソウナンダ? 》


誰も見送ってくれる人はいなかった。私の存在意味などまるでなかったかのように、外来の診察は続く。


「あんたってなんなのよ!!!!!」

自分自身に本当にイラついた。

いつも、逃げてしまう私。

弱い私。

言い訳がましい私。

全部嫌いだった。

本当にがんばったのかといわれれば、そうではなかった。

完璧な実力の違いを同じ獣医師に見せ付けられて、比べられることが辛かった。

肩書きだけはあるけど、何にもできない私。

できなければ、意味がない。

本物の獣医になりたいと、治療できなかった・助けることができなかったと壁を殴って本気で悔しいと泣く、そんな熱い獣医になりたいと思った。

気持ちが逃げている私に、なれるわけがなかった。

「性根入れて、出直そう」

アドバイス通り、営業の仕事につくことにした。



営業の仕事、こんなに頭を下げたことあるか???

営業職の求人をさがした。

営業の仕事って想像以上に多かった。

苦手だから、せめてなじみのあるものを。。。と思ったら、生協の営業が見つかった。

かつて利用していたので勝手もわかる。


面接に行った。

人事
志望動機は?
わたし
利用したことがあり、私自身がこの生協のファンです。だから、多くの方にもっと利用していただきたいと思いました。(なんて、当たり障りのない内容なんだろう。。。。)
人事
大体わかりました。ほかに、面接に来ている方もいらっしゃるのでまたご連絡しますね。
ちなみに、いつから来れそうですか?
わたし
来週月曜からでも可能です。
お返事はいつぐらいになりそうですか?
人事
う~~~~ん。来週入ってからでもいいですか?
わたし
すみません。今お願いします。
人事
・・・・・・・・・・・今ですか?
わたし
すみません。今です。
人事
じゃあ、よろしくお願いします。
わたし
ありがとうございます。よろしくお願いします。



めちゃくちゃ、直球勝負だった。


晴れて、営業の仕事につくことになった。商品知識や利用システムは、利用していたのでなんとなくわかっていた。後の問題は、本当に私の話し方で利用したいと思う人がいるのか?実際に加入してもらえるのかということだった。


・テレホンアポイントメント(テレアポ)

著者の平松 育子さんに人生相談を申込む