「セリのおひたし」 神田の「里」で  こんなことがあった その7

著者: 阿智胡地亭 辛好

東京に出張すると泊るのはつい神田になる。会社員になって連続して勤務した土地は神田美土代町の13年間が一番長い。ホテルはインターネットの「旅の窓口」で予約するのだが、勤務先の本社がある芝公園や浜松町の近辺よりまず神田のホテルを探してしまう。

 神田ステーションホテルに泊まると、だいぶ前から近くに気になる看板の店があった。ホテルを出たすぐ右のガード下に「里」という看板が上がっている。

もうかなり前になるが、神田駅東口すぐ近くに「里」という4、5人も入れば一杯になるカウンターだけの小さい飲み屋があって、おかみが一人でやっていた。大阪から出張して同期入社のNと二人で飲む時、時々彼に連れられて一緒に行った。

 一人でやっている彼女はおかみさんというには痛々しい感じだが、それでも、ものに動じない明るい人だった。客は誰もが彼女のことを○○ちゃんと名前を呼んでママともおかみとも言ってなかった。当時の彼女はそういう歳回りでもあった。

 あるときNと店の前を通りかかったら、その店の電気が消えていて、聞いたら、近くに店が移ったと言う。その晩は彼がそこへ行こうとも言わなかったので自分としては「里」は、結局どこに移転したのかもわからずそのまま縁が切れた。そしてそのあとは、神田駅に向かって店の前を通るたびに、ここでNと時々飲んだなあと思い出す場所でしかなかった。

 半年ほど前に一度、「里」という看板が出ている店の前を通りかかったことがあるが、暖簾もなく障子がピシっと入り口を塞いでいて中の様子は一切何も見えず、一見さんお断りのような、なじみ客相手の店のような感じがして、そのまま入らずじまいだった。

 先週久しぶりにこのホテルに泊まった時、また看板の「里」の字が目にとまり、ロゴもやはり見覚えのあるロゴだったので、思い切って店に入ってみた。

 いらっしゃいとこちらを見て言った人は少し歳をとったように見える彼女だった。先客は一人で、なじみらしかった。二人で笑顔で話をしていた。店は前の二倍かそれよりちょっと広く、調理場を囲んだコの字型のカウンター席が12、3席でそれでも一人でやっているのは変わりなかった。ビールを頼んで2、3杯飲んでから、ここへ移ってどれくらい経つのかと聞いたら5年だと言う。

 前の店にいらしてくださっていたんですかと聞くので、N君に連れられて時々行ったことがあると答えると、すぐに、Nさん、ここんとこ暫く顔を出してくれないので皆でどうされたのかなあって言ってるんですよと言った。じゃあご存知ないんだ、一年ちょっと前に亡くなってしまいましたと答えると、彼女の笑顔がとまってしばらく黙った。

病気ですか、そうですか、早かったのね。ちっとも知らなかった。良く来てもらったんですよ。そして少し唐突に、Nさんにはうちの犬も貰ってもらったんですよ。もし元気ならあの犬13才になるわと言った。

でもここんとこ、お酒の飲み方が凄くてね。そんな一遍にぐいーって飲み方しないほうがいいよってよく言ったんだけど。

亡くなった前年の秋口から年が明けた2月頃まで、大田区の新しい勤務先の工場に時々連絡して品川あたりでNと何回か二人で飲んだのだけど、なんか怖いようなピッチで飲んだのを思い出した。

店は始めて32年だが、前の場所で最初4、5年手伝っているのを入れると、35、6年店をやっていること、Nは間があいても20年以上は通ってくれたこと、大田区の工場の帰りにもよく寄ってくれたことなど話してくれた。

小さな黒板にその日出来る品が10品ほど書いてあり、その中に「セリのおひたし」があったのでお銚子とそれを頼んだ。暫くして大きな器に入って出てきたセリはちょうどいい茹で加減で量が思いのほか多く、きれいな青い色の残るセリのほのかな香りと熱燗の日本酒がよくあった。

話を聞いていた先客が、○○ちゃん今日はいい日だね、ずっと気にしてたことがわかってと言うと彼女は微笑みながら、でもちょっと強い口調で、私にはちっともいい日じゃないよ、悲しい日だよと言葉を返した。   

その時、女性客が一人で入って来て、先客の横に座り、最初から熱燗を頼んだ。この人、この店の数少ない女の常連客で、売れない女優なんですよと前からの知り合いらしく先客が紹介してくれ、彼女もニコッと軽く目礼してきた。こちらは一見の客なのに、この店の客は人懐っこい。

そのあと、ぼちぼち客が入ってきた。どの客もどの客も、今晩「里」に来ることが出来て「うれしゅてたまらん」と田辺聖子さんなら表現するだろういい笑顔で入ってくる。

 ジャンパー姿の客が入って来ておかみの真正面に座ろうとしたが、彼が座るか座らないうちに彼女が言った。ねえ、Nさん亡くなったんだって、いまこのお客さんから聞いたとこなんだけど。

隅の席に座った自分の席から、入ってきたこの角刈りの客の横顔を見たとき、自分と同年輩か少し上と見た。こちらに向きなおった彼は、精悍な顔の眼のひかりが強かった。

よく海外出張もしていた人ですよね。ここんとこ大田区の工場に勤めていたNさんだよね。この店でよく一緒に飲んだ自分が知っているNと、今亡くなったと聞いたNが本当に同一人物か無意識だろうが、確認する言葉が続いた。

 そうですか、いつ頃ですか、おいくつだったんですかねえ。まだ若いやね。どこの土地の出の人だったんです? いつもここに入ってくるなり、今度こんなとこ行ってきて、こんな事があったよなんて周囲おかまいなく喋りだしたりしてねえ。まあ、だけど豪傑のように見えるけど神経のこまやかな人だとあたしは思ってたよ。

ひょっとして定年で会社を退いて、たしか家は市川かあっちの方よね?こっちへ来る事がなくなったのかな~なんてお噂してたんですよ、とおかみが彼の言葉に続いた。Nの家に貰われた犬の兄弟犬が彼の家にも貰われていて、その犬はもう死んだらしかった。

こちらも、Nとは同期入社だったこと、彼の新婚家庭に寮の仲間で押しかけて、皆腰を据えてしまい、すぐ飲んでしまうので新婦の奥さんがアパートの前の酒屋からビール瓶を数本ずつ、何度にもわけて、皆にわからないように割烹着の下に隠して買って来た事、同じくらいしか給料を貰ってなかったはずだから、その月の家計は大変だっただろうなとそのことが今も忘れられないこと。

お互い出張の時は若い時から大阪や東京で良く飲んだ事、千葉の家にも何回か泊めてもらったこと、自分が神田勤務をしていた厄年の頃、会社に出ることが出来ない日々が長く続いた時、当時東予に居た彼の家に電話して、東京の心療内科の医者を紹介してもらったこと。お互い自分の知っているNの話をしあって、お互いにうなずきながら飲んだ。

 こないだのあれはうまかったね、次はいつ入る・・。

かならず今度は、お出でよねというような話が客とおかみの間に流れていく。

この店では始めてのネクタイ姿の人が入って来て隣に座り、○○ちゃん、明日はこないだ言ったように休みが取れて、松本へ行って来るよとおかみに言ってるので、信州の方ですかと声をかけると、いや、自分は東京の人間だけど、学校が向こうでね。明日が去年死んだ友人の祥月命日なんで、仲間が集まって奥さんと子供と仏壇の前で一緒に飲むんですよ。おいくつだったんですか?56歳でした。

そのうち、先程長く話した人が軽く会釈して、今日は供養になりましたと言って帰っていった。この店はねえ、うまいもんが食べたくなると時々小岩から来るんですよと明日無事有休が取れて友人の法要にいけるのでホッとしたのだろう、隣の席に座ったサラリーマン風の彼が、こちらに向けて話をつづけた。

 追加で頼んだイカの一夜干しもいい柔らかさで、あぶり加減もよく、うまみが一味違った。おおぶりのコップの焼酎のお湯割を飲み終る頃、もう店もいっぱいになってきた。代金を聞いて千円札3枚を出し100円玉一個のお釣りをもらい、Nが長年つきあっていたこの店のお仲間の皆さんに心中さよならを告げ、おかみにごちそうさんと言って店を出た。

 ちょっと歩き、もう一度振り返ると前の店の入口にはあった、ある政党の常設掲示板が今度の店にはなかった。そういえば店の中にもそれらしい掲示は何もなかった。

時が移り、客も変わりおかみも変わったのか、それとも現実的になったサヨクの今のありようなのか、それはわからないが,Nはそれとは無関係にあの空間で、店の常連に好かれ、飲み仲間を作って長らく楽しんでいたのは間違い無いと思った。

 長年気になっていた遅配物をようやく届けた郵便配達人のようにホットしたが、本当は、任務をおえても配達人はお届け先では飲んではいけなかったのかも知れない。それとも、もしかしたら届けてはいけない郵便物だったかも知れない。

 だが、彼が20数年間、気のおけない人達と過ごした会社を離れた異空間に、もう一度だけ身を置かしてもらった。つい数日前、人間は死んだらどこへいく、知っている人たちの胸の中に飛び込んで行くという文章を何かで読んだばかりだった。

  あのNがここにもまだ居るなあと店で感じ続け、二度とは入らないだろうあの店が、あのおかみと常連客の皆さんと一緒に出来るだけ長く続いて欲しいと思いながら、もう後ろは見ないでホテルに向かった。        

 2003.1.26記  

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