大嫌いだった父が亡くなった日 第3回

前話: 大嫌いだった父が亡くなった日 第2回
著者: 今井 香

もうすぐ3回忌


あれからの時間、母にも弟にも私にも多くの変化があった。

弟はあまり帰ってこなかったのに、ちょくちょく帰ってきては私を呼び出しみんなで食事をする。



母は初盆が終わった時に

もう淋しいこともないから、アンタしょっちゅう帰ってこんでもええさかい。

と私に言った。


今は 週末できるだけ一緒に夕食を取るようにしている。

母ともいつまでこうして過ごせるだろう





父が亡くなってから、疎遠だった弟と頻繁にやりとりをする。

旅行に行くとき 日帰りでも京都から離れる時、母と弟には必ず知らせる。

母にも私にも何があるか分からないからだ。

父の死が突然と言えば突然だったので、私は危機管理を考えずにはいられない。

海外旅行に出かけるときには、私はメモを置いて行く。


貴重品がどこにあるか

臓器提供について

遺骨のひとつかみだけでもこういう場所に撒いてほしい


冗談ではなく本気である。




大量に出てきた父の若い日から晩年までの写真。

1周忌に弟がその写真を組み合わせて、父がよく歌った石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」が

バックに流れるDVDを作ってくれた。


父は幸せだったのだ。

好きな植物の仕事をして、同僚や職場や地域のために様々な役割をこなして、母とふたりで

力を合わせて私達を育て、好きなお酒を飲み・・・


私は父の思いを知りながらも、好きなようにしてきたつもりだった。

けれどいつもどこかで、父の言いそうなことが分かるだけに自分の本当にしたいことや思いに

十分向き合うことなく来てしまった。


看護師やったらいいやろう。

そんな動機で出発したから結局何もかも中途半端だったのだ。



父が亡くなって、自分でも意外なくらいに喪失感が大きくて、失恋なんてこのことを思えば

なんてことはないと思った。父が家族ひとりひとりを愛していたことも、生前よりずっと

感じている。別れは悲しいけれど、それと同じだけ重たい足かせが取れた。


人はいつか死ぬ。

看護師のくせに今頃何を言っているのだろう 私は。

けれどこれは自分の肉親を失った痛い経験から得た起こりうる事実なのだ。


いつ終わりを迎えても後悔がないように精一杯やる。


お父さん

お母さんのことはかっちゃん(弟)と私が付いてるから心配しんでもええよ。

そのうちそっちへ行かはるから、気長に待ってて。

かっちゃんはパートナーもできて好きなことガンガンやってるし心配ない。

香は・・・まずは自分自身を幸せにするわ。


ありがとう。



今日も私は父の写真に「おはよう」と声をかけて、1日をスタートさせる。





                 終


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