起業をしたワケ

著者: 後藤 慶太

私の父は料理人で、職人でした。

例にもれず、昔ながらの職人にありがちな、寡黙な性格でした。

そんな父と周りの人とのやりとりを子供の頃から見てきて、

製造サイドと営業サイド、それぞれが抱く思いや事情があり、

両者の調整不足で、円滑にいってない現実を見てきました。


また、食品は古くからある業界なので、昔ながらの関係性やルールなどがあって、

決して品質がいいものが世に出るわけではないところがありました。

私はそこに疑問を抱かずにはいられませんでした。


製造や販売などすべての部門の風通しを良くし、

旧来の慣習に囚われず、

単純に、お客様が笑顔になる商品の提供をしていきたいと、思いが強くなりました。


そんな思いを持って、お弁当や総菜の製造、販売の会社を起業したのは学生時代。

父が製造、私が営業を担当し、製造の人が休むとそちらを手伝うこともありました。

そうして自社や他社の商品どちらも扱うようになり、全体の売り場の絵が見えてきました。

その時、自社製造の商品に競争力がないことに気がつきました。

それに気がついた時のショックは大きく、涙モノでした。

そして、やめてしまおうと決意。

社会の中に出ていく商品なので、競争力がないものを作っていてはだめだと思ったんです。

もちろん努力はしましたが、もっと自分の得意なことをやろうと思いました。


やめる時の決断はとても難しいものです。

「勝つための撤退」という言葉があるように、撤退はマイナスの印象がありますが、

続けてだめならやめればいい。

やめる判断も、先を見通す力なんです。

でも、撤退は金銭的にも大変。特に対外的なイメージを保つために、気を使いました。

リーマンショック後で工場もたたみ、従業員にも辞めてもらって…となると

経営不振の雰囲気になります。

そこで、私が選んだのは「青山への移転」。

事業縮小、経営不振ではないと思わせるため、セルフプロデュースしたんです。

それからは、今度は明確に自分のやりたいことを始めました。


商品と売り場のマッチングを目指して。

今は主に首都圏で、メーカー製造のお弁当や総菜を小売店に卸売りをしております。

どれだけいい商品でも、売り方や価格、内容量など、

ちょっとしたミスマッチで売れなくなってしまいます。

首都圏でもさえ、埋もれていくいい商品があります。

地方ではもっと多いかもしれません。

何をどう売ればいいのか分からなくて困っている小売店と

どういう商品を作ればいいのか分からなくて困っているメーカーの両者をマッチングさせ、

リアルに解決していくのが私の仕事です。


いつもおもしろい売り場だな、またあそこに買いに行こう。

そう思ってもらえる売り場を作っていきたいと思っています。


今の私があるのは取引先の方々のおかげです。

応援してくれる人たちがいて、くじけそうな時も支えられました。

貫徹する難しさはもちろんありますが、やりたいことを忘れずにやり続けることができました。


今は、自分が楽しんで仕事をしています。

私はわがままなので、自分ひとりでできる範囲しか仕事をしたくありません。

今後どうなるか分からないので、身軽でいようと思っています。


私の仕事のイメージは、案件ごとに組んでやっていくスタイル。

もちろん、労働集約しなければできない仕事はあります。

自分の得意分野を見つめ、そして、誰と組めばいいかを考えます。

一緒にいい仕事ができると思った人がいれば、外部や内部関係なく、

やっていければいいと思っています。

結局「うまくいく」ことが大切。


そして、自分が楽しむこと。



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