【その1*感性磨きのために女子ひとりたびをしてみたお話*】〜クロアチア・イタリア9日間の旅〜

著者: 松葉 有香

「そうだ、ひとりでヨーロッパへ行こう」

と、さも京都へでも行くかのように、サラッと言い放った。

ここでひとりたびに至った経緯はいろいろあるけれども、一番は「感性磨き」のためでした。

「ひとり」ということには深い意味があります。

それは、五感をフル活用できる最高の条件だということ。


想像してみてください。

あなたは友人と二人で海外へ行きます。


見知らぬ土地を歩くとき、観光名所を回るとき。


何が見えますか?何が聞こえますか?


外界を見ているつもりでも、あなたは隣の友人を見て話をしている。

周りからは外国語が聞こえてくるのに、日本語を聞き、日本語を話している。

つまり、あなたの五感は分散されているのです。


それが悪いわけでは決してありません。

ただ、感性磨きを目的とした旅では、私にはなんだか物足りないように感じたのです。


目、鼻、耳、肌、舌。

これらをすべて外界に向けること。いつもと違った空間に触れさせること。


いつも以上の刺激を受ければ、

いつも以上に異常な思考を巡らせることができるんじゃないか。

それが海外なら、なおさらです。


日本人がいない、というのもポイントです。

いい意味で日本を忘れて、日本語を忘れることで、

ありのままで異国を感じることができるんじゃないかと思ったのです。

だから、今回はツアーも使いませんでした。


すべてひとりで。
それが私の挑戦でした。

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ドゥブロヴニク、ローマ、ヴェネチアの3都市を巡る旅。

景色を楽しむ。景色を感じる。

まず最初に降り立ったドゥブロヴニクは、
1番刺激を受けた場所でした。

打ち寄せる波の音。
遠くで響く鐘の音。
果てしなく透き通るアドリア海の青。
そして、そっと吹き込む風の舞。

わざわざ景色のいい部屋にした甲斐があったというものです。

ホテルからですら、この感覚。
けれども、
もっと面白いのが、街の中で感じる情景。

周りにこだまする鐘の音、
息を飲むほど美しい橙色、
肌で感じる風との抱擁、
遠くでささやく波の音。

同じ状況なのに、ぜんぜん違う。
この感覚に惚れていました。


五感を解き放っていたから、
今でも鮮明に思い出せる。

舌が忘れても鼻が、
鼻が忘れても肌が、
肌が忘れても耳が、
耳が忘れても目が、
目が忘れても心が。

感性が開かれた状態って、こういうことを指すんだって、
そう実感した場所でした。

きっとひとりじゃなかったら、
こんなにも空気に酔いしれることはなかったんじゃないかって。

そして、きっと、
狭い路地にひっそりと覗く、あの綺麗な青空も、
見上げることがなかったんじゃないかって。

そう思うんです。


そして、もうひとつあることに気づく。

それは、ファンタジーは現実だということ。

アニメも好きだし、ゲームも好き。
でもそれは非現実的だと、ただの夢だと思っていた。
でも、そこには非現実がった。夢があった。


いつか遊んだゲームで見た、まるでダンジョンのような世界。


いつかアニメの世界で見た、綺麗な素敵な海の街。

この世に作られた物語は、
すべて誰かの記憶の塊で、
すべて世界のどこかにある。

つまり現実。

至るところに散りばめられているだけで、
近くでは見えないだけで、
本当は存在するんだ、と。

つまり、この世界には無限の可能性が秘められているってこと。

その真実に気づいただけで、
なんだかなんでも出来るような気がしたのです。


本当は雨が降ってたんです。
この街を周る日。
でも、それでも楽しかった。
その雨すらも。

風でケーブルカーが止まっていたけれど、
この景色を見るために、
傘を差しながら、山を登った。

けれどもそれがあったから、
この景色が特別になったんだって思うんです。

悔いのないように、やりたいことはとことんやる。

そう決意して、山に登ると決めたあの瞬間は、
きっと今後も生きてくる。

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