原料不足の危機から生まれたビッグカツの開発秘話
株式会社すぐる(スグル食品グループ)は駄菓子の「ビッグカツ」、おつまみの「いか姿フライ」、広島名物のお惣菜「がんす」など魚を主原料とした商品を製造している広島県呉市の食品メーカーです。
ビッグカツは創業者である大塩季郎が1970年代に開発しました。今回は創業者がビッグカツにかけた想いや開発秘話をお話させていただきます。ビッグカツを食べたことがある方だけでなく、まだ食べたことがない方にもこの機会にビッグカツのことを知っていただけますと幸いです。
―ビッグカツとは
ビッグカツはスケトウダラなどの魚肉のすり身をシート状に成型した、「プッチン」と呼ばれるものをカツにした駄菓子です。豚肉を使っていると思われていた方も多いのではないでしょうか。
そんなビッグカツですが、創業当初から主力商品だったわけではありませんでした。
大塩季郎は1973年に有限会社スグル食品を創業しました。事業内容はいか天やのしいかなど、いかを主原料とした商品の加工・販売です。1975年に株式会社スグル食品へ改称、会社としても「これから」という時でした。
―プッチンとの出会い
しかしちょうどこの頃、主原料であるいかの入手が困難になり、売るものが無くなってしまいます。
なんとか売上を作らなければならない。
必死の思いでもがいていた時に出会ったのが「プッチン」と呼ばれる魚肉のすり身をシート状に成型して焙焼した原料でした。さきいかの代替品として業界に登場したこの原料を活用し、いか天やのしいか風の商品を製造できるのではないかと考えた大塩季郎は、早速商品を開発。これを株式会社スグル食品の目玉商品としました。これは現在でも「いか味天」「いかサーティ」としてスグル食品グループの主力商品となっています。
その後大塩季郎は
「天ぷらができるなら、カツもできるのではないか?」
と考え、当時の子供達が食事としてもおなか一杯美味しいものが食べられるようにとの想いで低価格帯の商品とすることを決定。この頃カステラが高級品で美味しい憧れのお菓子の代表格だったこともあり、カステラのレシピを参考にしながらふわふわ食感のカツを目指しました。
肉のようなプッチンを独自で開発し、販売当初は串に刺して大きなポットに30本入れで駄菓子屋の店頭に一本10円で販売するスタイルと、大袋にグラム計量で袋詰めしおつまみ売り場に展開するスタイルを取りました。
―販売苦戦と時代の流れ
世の中にない全く新しい商品だったこともあり、最初は全くお店に置いてもらえませんでした。売り方も分からず、社内には諦めのムードが漂っていたそうです。しかし10円や30円の商品で利益を出すには、大量生産で原価を下げることが必須でした。
そこでもともと営業畑だった大塩季郎は、自分自身で全国を売り歩くことを決意。徐々に取り扱い店舗が増え始め、さらに1980年に急速に拡大し始めたスーパーやコンビニエンスストアの流れに乗ることもでき一気に全国流通が実現しました。ようやくビッグカツの原価が下がり、利益が出るようになり始めました。
さらにバーコードを印刷する必要があったため、串を外しポットや量り売りから現在の個包装に変え、この商品とともに会社を大きくしたいという想いから「ビッグカツ」と名付けました。
当時は現在の3倍以上の生産量だったとも言われており、ビッグカツを製造する工場を増設し株式会社すぐるが誕生。スグル食品グループとなり現在の体制となりました。
―ビッグカツのこれから
30円という価格を維持するために生産量はとても大切です。しかし今は大量生産、大量消費の時代ではありません。改めてビッグカツという商品に込められた想いや歴史から醸成されたブランドをしっかり見つめ直し、「ビッグカツらしさ」をどんどん出していきたいと思います。
スグル食品グループの「限りある資源を有効に活用し、食文化の向上に努める」という理念を実現するために、これからも安心安全・美味しい商品作りを続けてまいります。
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