「さあ、素顔のルクセンブルクを語ろう。」欧州の小国がノベルティグッズに込めた7つのストーリー
欧州の小国の素顔とは?
世界で唯一の大公国、人魚伝説、古くて美しい橋やお城、中世に起源を持つ移動遊園地、伝統ワイン やスイーツに代表される美食文化...
これらはすべて欧州の、とある小国、ルクセンブルク大公国にまつわるキーワード。そしてまだ、ほとんど知られていません。ルクセンブルクとはどのような国なのでしょうか?
私たちルクセンブルク貿易投資事務所は、ルクセンブルク経済省傘下の在日本政府機関として、日本とルクセンブルクの間の経済交流を促進する活動を行っています。ルクセンブルクはベルギー、ドイツ、フランスに囲まれた欧州の真ん中にあり、神奈川県くらいの面積に約62万人の人が住んでいて、小さいけれども独自の魅力がそこかしこに見られる素敵な国です。首都のルクセンブルク市はEUの拠点都市兼欧州有数の金融センターとして、政治や金融、経済の分野では知られています。しかし、この小さな国の“豊かな”歴史や文化、名所旧跡などは、日本ではほとんど知られていません。
今回、こうしたルクセンブルクの素顔をもっと多くの方に知っていただき、親しみを感じてほしいという想いから、ルクセンブルク貿易投資事務所オリジナルのノベルティTシャツとトートバッグの製作をイラストレーターの中嶋クミ氏に依頼しました。
今回制作したノベルティグッズ、本来は大使館で開催されるセミナーやレセプション等に参加いただいたゲストの皆様にお配りするつもりでしたが、コロナ禍の影響によりそのような機会を設ける事もしばらく難しそうです。それならば、とルクセンブルクの国の記念日である6月23日(火)から、SNS上でプレゼントキャンペーンを発足する事にしました。このPR STORYをお読みいただき、ルクセンブルクの事をもっと知りたいと思っていただいた皆様、是非プレゼントキャンぺーンにご応募下さい。詳細についてはプレスリリースをご覧下さい。
今回のノベルティグッズのイラストには7つのルクセンブルクを代表するアイテムが描かれています。それぞれ何をモチーフにしているのか?またどんなストーリーがあるのか?スタッフ同士で議論を重ねながら最終的に選定にいたった想いとは?などご紹介します。個々のアイテムのストーリーを知っていただく事で、よりルクセンブルクへの理解が深まり、また愛着を持ってグッズを使用いただき、さらにはご家族やご友人にルクセンブルクのストーリーを宣伝いただくアンバサダーとしてご活躍いただける事を期待しつつ。
ノベルティグッズに込められた7つのストーリー
1、Adolphe Bridge(アドルフ橋)
ルクセンブルク語ではAdolphe-Bréck(アドルフ・ブレック)といいます。多くの人が思い描くルクセンブルク市内の代表的な景色の一つであり、観光パンフレットにも良く掲載される、二階建ての大変美しいアーチ橋です。旧市街の外側のペトリュス渓谷にかかり、1903年に完成しました。昨年何度目かの修復が完了し、今は自転車専用道路もあります。橋自体の美しさとペトリュス渓谷と橋との高低差から生み出されるドラマチックな風景に目を奪われます。
今回私たちは、ルクセンブルク市内のシンボルを必ず一つイラストに含めようと考えました。特に美しい旧市街の風景やモニュメントに着目しました。いくつかの候補がある中で、イラストの枠上部に組み込むアイデアをイラストレーターの中嶋氏に提案いただき、アドルフ橋を選定するに至りました。
アドルフ橋。あだ名は”新橋”!
アドルフ橋は今年117回目の誕生日を迎えますが、ルクセンブルク市民からはニュー・ブリッジ(新しい橋、すなわち新橋)という愛称で呼ばれています。何故か?それは1861年に造られた“Al Bréck”という橋がすでに別の場所にかかっていたため、当時市民にとっては新しく作られた橋と認識され、その呼称が現在まで残っています。
ルクセンブルクの“新橋”、ご訪問の際は是非ご覧ください。
2、Grand-Duc Guillaume Ⅱ(ギヨーム二世)
このイラストは、ルクセンブルク旧市街中心にあるギヨーム二世広場に建つギヨーム二世像を描いています。元々ルクセンブルク大公国は1815年の成立当初、ネーデルラント連合王国(現在のベルギーを含む)を形成する一つの州でした。1839年ロンドン条約により初めて独立が認められ、その後1840年にオランダ王兼ルクセンブルク大公に即位したギヨーム2世が、1841年にルクセンブルク人によるルクセンブルクの統治を宣言して、真の独立国家としての歩みを始め、今の国の形が作られました。そのためギヨーム2世は現在もルクセンブルクの人たちに大変人気があります。
こちらの広場、歩いて数分のところにあるアルム広場と同様に、周辺にはホテルやレストランが並び、賑やかな街歩きの中心といえる場所です。毎週水曜日と土曜日はマーケットが開かれ、観光案内所もあります。クリスマスの時期にはスケートリンクやクリスマスマーケットの屋台が立ち並びます。
3、MELUSINA(メルジーナ)
ルクセンブルクの国の起源は、西暦963年まで遡らなければなりません。モーゼルとアルデンヌの伯爵だったジークフリード1世が、ローマ人が築いた要塞の跡地である「Bockfiels」(ボックの砲台)にお城を築きました。そこが古代ゲルマン語で「小さなお城」を意味する「Lucilinburhuc」(ルシリンブルフク)と呼ばれたのが、ルクセンブルクという呼称の起源とも言われています。
どうしてこの地にお城を築いたのか?そこにはジークフリード1世と人形メルジーナとの悲しい恋の物語があったと言い伝えられています。日本の『竹取物語』や『鶴の恩返し』にもどこか似ているメルジーナの人魚伝説。恋物語の詳細はこちらのリンクをご参照ください。
©Alfonso Salgueiro www.alsalphotography.com LFT
メルジーナが姿を現すと言われているアルゼット川
4、SCHUEBERFOUEUR(シューバーファウアー)
ルクセンブルクの人たちが心から楽しみにしている、毎年夏の終わりに約2週間開かれる欧州有数の規模を誇る移動遊園地です。その起源は盲目王ジャンによってこの地で始められた1340年の交易市まで遡ります。アトラクションは250を超え、毎年延べ200万人が来場するそうで、ルクセンブルク全体の人口が約62万人なので、国の人口の3倍以上の人たちが訪れている事になります。遊園地ではルクセンブルクの各種郷土料理やポップなスイーツが食べられる屋台が多く立ち並び、この時期に市内では各種露店市も開かれます。8月下旬~9月上旬にルクセンブルクを訪れる際は是非シューバーファウアーの日程をご確認ください。このお祭りでは、全国の市長がチャリティーで給仕する日があるなど、普段シャイなルクセンブルクの人たちのユーモアあふれる一面が垣間見えるイベントです。
©Sebastian Grebille LFT
夏の風物詩 シューバーファウアー
今回、私達はルクセンブルクを代表するお祭りとして、この「シューバーファウアー」をイラストに入れましたが、実はルクセンブルクにはもう一つ、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている有名なお祭り「踊りの行進」もあります。「踊りの行進」の、白いハンカチを持って皆で踊るという独特のスタイルは、15世紀にはすでに現在の形で行われていた、という記録が残っていますが、その形式が出来上がるに至るまでの起源や由緒はいまだにはっきりしていない、謎めいたお祭りです。7世紀終わりにルクセンブルクのエシュテルナッハという街に修道院を建てた聖ウィリブロードは、その地で亡くなり埋葬され、以降巡礼者が集まるようになった事からお祭りに発展したと考えられています。同じくらい歴史も興味深い「踊りの行進」と「シューバーファウアー」の二つのお祭り、いずれをイラストに加えるべきか最後まで悩みましたが、「踊りの行進」は毎年聖降臨祭の次の火曜日1日だけの行事であるため、より多くの人にとって参加しやすい「シューバーファウアー」を選定しました。
エシュテルナッハの踊りの行進
5、VIANDEN(ヴィアンデン城)
ルクセンブルクは70以上の古城が点在する古城大国ですが、その中で大きさと美しさで国を代表するお城がヴィアンデン城です。CNNが選ぶ世界で最も美しいお城21選にも日本の姫路城などとともに選ばれました。ドイツとの国境に近い渓谷沿いの街を見下ろす森の中の丘にそびえたつ姿は壮麗そのもの。起源は古代ローマの要塞が築かれた紀元前3世紀まで遡り、11世紀から14世紀にかけて今のお城が建造されました。
ヴィアンデンの城下街はフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーが何度も滞在したところとして有名で、彼が逗留していた宿はヴィクトル・ユーゴー博物館になっています。また7月終わりには中世祭りが催され、街全体が中世の世界に変貌します。中世の衣装をまとった人々の行進やパフォーマンス、様々な料理の屋台など見どころいっぱい。甲冑を身に着けた騎士の対決はハイライトの一つです。
6、Crement(クレマンと呼ばれるスパークリングワイン)とモーゼル川沿いのブドウ畑
ルクセンブルクはローマ時代からワインを造っていた伝統産地で、今も50以上のワイナリーがあります。ルクセンブルク東部とドイツの国境に沿ってモーゼル川が流れ、南北約42キロ、川沿いにブドウ畑が広がり、ときに急峻な斜面や冷涼な気候を活かして、主にクレマン(シャンパーニュと同じ製法のスパークリングワイン)と白ワインが造られています。品種はドイツ、アルザス系で、リヴァネールやオーセロワ、ピノ・グリ、リースリング、ピノ・ノワールなど。近年より高品質なワイン造りへと舵を切り国際的にも注目が増していますが、生産量が限られるためほとんどは国内と周辺国や大都市の一流レストランで消費されてしまいます。特にクレマンの評価は高く、本家フランスのクレマンコンクールに海外から唯一参加が許されるのがルクセンブルクです。日本にはごく少量しか輸入されていないため、まだまだ知る人ぞ知るワインです。本国では2年待ちの人気ワインもあるとか。
©Carlo Rinnen LFT
モーゼル川沿いに続くブドウ畑
モーゼル川流域にはルクセンブルク市内から車やバスで30分でアクセスできます。お薦めの過ごし方はサイクリングやハイキングでブドウ畑やモーゼル川沿いを散策し、複数のワイナリーを廻る日帰り旅です。ルクセンブルクのリースリングを使ったジュレと肉パテをパイで包んだ郷土料理「パテ・オ・リースリング」もお忘れなく。
©Jonathan Godin LFT
7、BAMKUSH(バームクーフ)
日本でもすっかり定着した人気の西洋菓子、バームクーヘン。ルクセンブルク語ではバームクーフと言います。ルクセンブルクでは伝統的なお菓子として、初聖体や結婚式など家族のお祝いや、国の記念日など公式行事やに提供されるケーキです。祝い事では、イラストのように大きなバームクーフの上にマジパンで作った人形などを飾ります。通常は、輪切りまたは小さく一口サイズにカットして提供され、コーヒーや「オードヴィー」と呼ばれるルクセンブルクの食後酒と非常によく合います。
19世紀初頭ニコラ・ナミュール (Nicolas Namur) が初めてルクセンブルクにバームクーフを紹介したことがきっかけで、作られるようになりました。ニコラ・ナミュール は、1863年に設立されたルクセンブルクの高級パティスリーであるナミュールの創設者でもあります。ルクセンブルクの高級パティスリーは、一年中バームクーフを提供しており、それぞれの名店にオリジナルのレシピがあります。オーバーバイズは50年もの間、熟練の技でバームクーフを作り続けており、ルクセンブルクの「バームクーフ大使」として認められています。2017年に英王室キャサリン妃 (ケンブリッジ公爵夫人) がルクセンブルクを訪問された際、オーバーバイズによって制作されたバームクーフが提供されました。
©Namur
ルクセンブルクの人たちが出張や旅行で日本を訪れた際、びっくりして私達に訪ねるのは「どうして日本にはこんなにたくさんバームクーフが売っているの?」という事です。もしルクセンブルクで柏餅やおはぎがデパートやスーパーでも売られていたら?と想像すると、きっと私たちも同じような質問をしてしまいますね。
©Oberweis
さて、ルクセンブルクをめぐる7つのストーリーはいかがでしたでしょうか?このノベルティグッズをきっかけに一人でも多くの方にルクセンブルクの知られざる魅力に触れるきっかけになればと願っています。6月23日(火)から始まるプレゼントキャンペーンへのご応募もお忘れなく!
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