だれも見たことのない世界をデザインする 瞳の記憶を未来へ 「víz PRiZMA」 ブランドづくりへの挑戦
会員制バーチャル墓地「víz PRiZMA」(ヴィーズ プリズマ)。今夏始動するこのサービスは、インターネット上で、「この世」と「あの世」をつなぐ。さらに、生前から他界、その後の遠い未来まで、このサービスが紡ぐ時は、人の一生よりはるかに永い。まだだれも目にしたことのない場所、時代を、どのようにデザインするのか? どのように表現するのか?
「víz PRiZMA」のブランドサイトのデザインをしたSHIMA ART&DESIGN STUDIOの小島沙織さんと島田耕希さん。そしてeach tone社 Chief Designing Artistの下邨尚也が、「víz PRiZMA」ブランドづくりへの挑戦を語ります。
(左から)小島沙織さん、島田耕希さん、下邨尚也。
víz PRiZMAという世界観の構築
下邨 「víz PRiZMA」は、「瞳」(虹彩)から拡がる世界観でできています。ひとは瞳で世界をとらえ、自身の内なる世界を、瞳を介して世界へ発します。時として、目は言葉よりも雄弁です。瞳は、視力の有無にかかわらず、本質的な世界をとらえます。瞳(虹彩)は黒目のまわりのドーナツ型の部分ですが、その文様は、その人の独自性、唯一無二の存在であることを象徴する部分です。虹彩の模様は、成長過程で、まばたきなどでつくられるシワですので、DNA由来ではありません。よって、DNAが同じ一卵性双生児であっても、虹彩の模様は異なり、虹彩データは認証に使われたりするのです。虹彩のことを英語でiris(アイリス)と言います。アイリスは、ギリシア神話に登場する「虹」の女神の名前。虹は、この世と天界を結ぶ懸け橋で、アイリスは、ここを司っているのです。瞳(虹彩)は、まさに、この世とあの世をつないでいるといえるでしょう。
ブランドロゴタイプは、優美でありながら、力強さを強く意識しました。元となる欧文フォントは、「Optima」という特徴のあるサンセリフ体をベースにしています。「víz PRiZMA」というブランドネーミングが決まった瞬間に、このフォントが相応しいなと感じました。
ブランドカラーについては、上品に、けれども意志を強く、思い切ってモノトーンとして、少しだけ黒の濃度を落としております。彩度を持たせなかったという点で、皆さまの創造の余地を残し、且つ、どの様にも変容しないという二律背反した意味を含ませました。これは“偲び”や“祈り”という行為を強く意識したものです。創造とそれらの行為は、一見、類似性が高いように見えますが、思考のベクトルが、創造では外側に、“偲び”や“祈り”では内側に向いており、相反するものなのです。後者は非常に独自性が高く、ある対象に対して、個々がそれぞれ抱く強い感情であるからです。同じ理由から、「víz PRiZMA」はロゴタイプのみとし、ロゴマークは持たないデザインとしました。
このような、未知な世界観にあふれたサービス。お二人は、このお話をした時に、開口一番「興味深い」と仰ってくださいました。どの辺りを興味深いと思ってくださったのでしょう?
小島 「祈り」という行為にすごく興味がありました。私は普段から、西洋美術史を語る上で切り離せない「キリスト教」の勉強をしていて。信仰心が薄いとされる日本人が、どうやって「祈り」という場を持つのか。どうやって「死」に立ち向かっていくのか。そういったことに向き合っていくブランドのこれからに興味を持ちました。
下邨 音楽の発生もキリスト教の存在は外せないですよね。グレゴリオ聖歌とかもそう。
島田 僕は、みえるもの・みえないものにすごく思い入れがあって。みえないけれども感受出来る世界をブランドの視点を通して表現してみたいなと思いました。詩人・吉野弘さんの「眼・空・恋」という詩が好きで。「水晶体」をモチーフにしている詩なのですが、打ち合わせでお話しを伺ったときに思い浮かべました。あとは、虹彩を個人識別に使っているところにも興味をもちましたし、既存のお寺や墓地を否定するわけではなく、多様な選択肢のひとつとしてサービスがあることに共感しました。
下邨 ブランドサイトのビジュアルを生み出すことのご苦労や工夫ってありましたか?
島田 “偲び”や“祈り”という繊細なテーマに触れることの難しさを感じました。併せて、ブランドサイトとしての訴求性も兼ね備えないといけないなかで、2回目の打ち合わせで、下邨さんの「意志を伝えていくというよりは、ただ、そこにあることがいいのです。」という言葉を一番心に留めました。víz PRiZMAのロゴやサービス概念から、「水」「光」というイメージは早い段階からイメージしていまして、着地の「感情」から、どういった表現、形、色にしていくかを考えていました。
小島 行き着く先の「感情」は、二人の中で、シンクロ率がすごく高くて。島田の方でビジュアルを上げてきて、それが相応しいか私がジャッジしていく感じでした。
下邨 素晴らしいチームワークですね!
「自分を失わせる」ことにある、美しさ
島田 商業デザインの現場と違って、二人でやっている今はまるで、離れ小島に居るような感覚です。自分たちはデザイナーとしてこうだ! みたいな「デザイナー」の枠を決めずに、楽しいと思うことを好き勝手やっている感じです。
下邨 世間の方は、「私はデザイナーしています。」って申し上げると、ほぼ「ファッション・デザイナー」を思い浮かべられますよね。島田さんは離れ小島に移って、なにが違うとお感じになりましたか?
島田 仕事の関われる範囲が違いますよね。デザインチーム内の一スタッフとしてでは、制作しても、制作物を使う人の顔がみえない。僕は受け手の感情から逆算して作っていきたい性分なので、その人を知らないと、その人のイメージがつくれない。独立してからは、直接クライアントと一緒にお話できるような環境をつくれたことが良かったし、それを求めていました。自分のフィルターで相手の想いをいかに歪めずに伝えるかを意識しています。
小島 美術予備校時代からそうですが、「デッサン」の大切さをすごく感じていて。モチーフなり、人なり、対象を「観察」して、どう伝えるか。そこに、どういう「空気」「感情」があったかを伝えたいです。見たものをそのまま写し取るだけだと、それは対象の説明だけになってしまって。どうやって、その時の「雰囲気」まで伝えるかを大切にしています。
島田 同じものをみても、答えはひとつじゃないですよね。今日はそうでも明日は違う。その観察から僕らの場合は「自分を失わせる」ようにしていて。クライアントさんがどう感じているかを憑依させて、こういう表現がいいかも! と、提案しています。だから毎回テイストも決まっているわけでもなく、バラバラかもしれません。僕ららしいね、とはよく言われますけどね。
下邨 デザインって、制作物を納品しているようでいて、実は“発信者”と“受け手”の「人間同士の関係性」をつくっているのですよね。そこで、面白いなと思ったのは、テイストをクライアントにあわせつつも、お二人「らしい」仕事と言わせる兼ね合いはどこにあるのかなと。
島田 自分の美的感覚にそぐわないと思うものはつくらない、というのが僕たちらしさを貫いているのだと思います。
小島 そういうものを自然と選択しているのはあるかも知れませんね。私たちがなんでデザイナーをしているのかって、「美しい」と思うものがちゃんと日本にも残っていければ良いなと思っています。ビジュアル的な「美しい」ものだけではなく、感情や関係性も含めて「美しい」ものを大切にしています。
下邨 お二人はお仕事において、どの様に連携・役割分担されてらっしゃるのですか?
小島 島田と意気投合したきっかけになりますが、私は子供の頃から、ピエール・ボナール*の模写を続けていまして。浪人時代に島田とはじめて会ったとき「僕はエドゥアール・ヴュイヤール**が好きなんだよね。」と言われたのです。(*,** 共にポスト印象派とモダンアートの中間点に位置する「ナビ派」と呼ばれる画家。)この二人の画家は大親友でして。同じ審美眼を持つ島田とは、将来的にも同じビジョンを描けるなと。この人の目は間違いないなと思いました。学生時代に、グループワークの授業もすごく多くて。私はそれが苦手で。みんな美的感覚が違うのに、なぜ共同で制作しなければならないのだろう? と思って。でも島田とだけは、グループワークが出来ました。
ゆずらないこだわり
下邨 多様な価値観の現代、グループワークを通り越して、一緒に生きていかなければいけない世の中ですよね。その辺りのクライアントとのコミュニケーションを、お二人はどの様に関わっていけば良いとお考えですか?
島田 each toneのみなさんは、しっかり良いものをつくろうと思ってくださるから。それがよかったなと思いました。いろいろな意味で「ゆずらない部分」を持っているって、とても大切だと思います。
小島 クライアントさんにお願いされたときに、なるべくお話はお聞きするようにしています。けれども、「こだわり」がない方、「お任せするから、好きにやってよ」という依頼にはあまり応えない様にしています。例えばご予算の少ないクライアントさんとお仕事することもあっても、良いデザインのものをつくりたいんだよね! という方は嬉しいです。じゃあ、出世払いで! とか、物物交換で! とか。
下邨 「限られた“時間”」を共通の「こだわり」でご一緒できるのって、ステキですよね。すごく生きている実感がありますよね。
小島 デザイナーをしていて一番楽しいのは、様々な価値観の方、多種多様な職業の方、しかもそれぞれの「こだわり」を持った方とご一緒できること。すごく嬉しいです。
島田 そこでも、その方を「観察」して「こだわり」を探っていきます。だから、クライアントによりデザインを進めていく工程も時間もまちまちです。
下邨 お二人といつもお話ししていて思うのは、すごく「聞いてくださる」姿勢。だからこそ、こちらもしっかりお伝えしなきゃ、って毎回思います。すごく有意義な時間です。やはりアートの基本は「観察」がキーワードですね!
デザイナーという選択
下邨 お二人は、なぜデザイナーという職業を選ばれたのですか?
島田 今も目指してないかも(笑)。未だにデザイナーになろうと思ってない(笑)。社会的に、大人としてデザイナーを自称しているだけで、肩書きとか何者かを語りたいわけではないです。
小島 今やりたいことがたまたまデザインであって、絵も描くし、本も読むし。やりたいことをその時その時、ずっと保っているという状態かも知れません。とはいえ、私は将来の夢はずっとデザイナーでした。うちは両親も祖父も芸術家で。小さい頃から絵は好きでしたが、祖父の作品には勝てっこないなと子供ながらに意識して。彼は天才だなと。でも両親も祖父も、自身の作品のプロデュースはうまくなくて。観せることよりも作ることに熱中していたなと。それを私が代わりに伝えていきたいと。自分の周りのステキな人たちを紹介したい。それがデザイナーを志したきっかけかなと思います。
下邨 クライアントの依頼を細やかに「観察」し、その「ゆずらない」要望や「こだわり」を見いだし、そして、ご自身は「自分を失わせ」ながらも、反面、飽くなき「美しさ」の追求を怠らない。一見、矛盾する「意識」のような移ろい易いものを、お二人の関係性が上手に支え合って、だれも見たことのない世界を視覚化している。その背景には、クライアントの意志をより多くの人に伝えたいという気持ちがベースにある。そんなお二人が、víz PRiZMAのサイトビジュアルをしてくださったことが、すごいご縁だし、光栄です!
************プロフィール************
SHIMA ART&DESIGN STUDIO
小島沙織と島田耕希によるクリエイティブスタジオ。2016年に設立。ビジュアルコミュニケーションを中心に、絵・写真・言葉を用い、紙から空間まで媒体にとらわれない総合的なデザインワークを行う。また、個人としてもアートワークを行うほか、染織作家と共にテキスタイルプロダクトブランド「WARP WOOF 139°35°」を設立するなど、多角的な活動と表現を通し、創造と生活の美の術を探求する。
小島沙織|COJIMA Saori
Designer
1987年千葉県生まれ。2013年に東京藝術大学デザイン科修士課程を修了後、同大学デザイン科で3年間教育研究助手として勤務。2016年にSHIMA ART&DESIGN STUDIOを設立。
島田耕希|SHIMADA Koki
Designer
1986年埼玉県生まれ。2012年に東京藝術大学デザイン科を卒業。同年、イメージコンベイサービスに入社。2017年に退職し、SHIMA ART&DESIGN STUDIOに参画。
下邨尚也|SHIMOMURA Naoya
Chief Designing Artist
1975年東京都生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。印刷会社、デザイン事務所、フリーランスを経て、東京藝大DOORプロジェクト受講後、2021年にeach tone合同会社の設立メンバーに。
each tone合同会社
東京藝術大学DOORプロジェクト発スタートアップ。2021年設立。「アート思考」「デザイン思考」といった藝術的な発想で世界をとらえ、「アートプロジェクト」で社会課題を解いていく会社。目下、1stアートプロジェクトである、会員制バーチャル墓地「víz PRiZMA」(ヴィーズ プリズマ)をローンチし、オンラインサービス説明会など、精力的に活動中。
************連絡先************
【SHIMA ART&DESIGN STUDIO】https://shimaads.com
【each tone】https://each-tone.com
【víz PRiZMA】https://viz-prizma.com
【mail】contact@viz-prizma.com
行動者ストーリー詳細へ
PR TIMES STORYトップへ