プロサッカー選手だった私のスタートアップ創業秘話
まず簡単に僕について自己紹介したい。
・7歳からサッカーをはじめ、小中高大の全てをサッカーに捧げる。
・大学在学中に海外(ドイツのマインツ→ポーランド→タイの計3カ国)でプロサッカー選手として生活。
・サッカー選手として完全燃焼し、ビジネスマンとして人財業界へ。
・エン・ジャパン株式会社にてトップセールスになる。
・人財採用コンサルタントとして独立。
→スローガン株式会社、株式会社エボラブルアジア、株式会社アカツキ、etc.にて採用設計から新卒セミナー、中途採用、PMIまで人財に関わる支援を行ってきた。
幼少期からずっと人生をサッカーに捧げ、プロサッカー選手になることができた。その後ビジネスの世界に転身し、人財業界でキャリアを歩んできた。
そんな中で、徐々に人財業界に対する課題意識が生じ始めた。
その課題は業界ではタブー視されていたりするわけだけど、どうしてもこの状況を傍観しているわけにはいかない気持ちになった。
そして、僕は起業することを決意した。
少し長くなるけれど、どうか、最後まで付き合ってくれると嬉しいです。
サッカーに捧げた人生
サッカーとの出会い
サッカーを始めたきっかけは、不純な動機だった。
たまたま昔から足が早かったため(50m、5.8秒)、
「女の子にモテそう」
「人気者になれそうという」
という気持ちがあったからだった。
とにかく、ずば抜けて足が速いことが武器だった。
中学に入って、もっと本気でサッカーに取り組みたくてクラブチームへ入団した。
中学1年ながらも3年生の試合へ出場することができた。ここまでは負け知らずという状態で、都内では、FC東京、ヴェルディJr.に次ぐ強豪チームだった。
サッカーで初めての挫折
しかし、15歳にして初めて挫折を経験した。
自分が進学をしたかった、強豪校と言われる高校のセレクションに全て落ちてしまったのだ。Jリーグのクラブチームも受けたが、ことごとくダメだった。
ただ、そこで唯一拾ってくれた高校があったのでそこへ進学をした。
今思うと、これも必然であったのかもしれない。
進学した高校では挫折を乗り越えるために、ただひたすらサッカーだけにのめり込んだ。それ以外のことは一切捨てた。全てがサッカー中心の生活だった。その甲斐もあってか地域選抜、東京選抜と選ばれるようになった。自分の武器が通用して嬉しかった。
そして、大学進学では自分が第1志望で望んでいたサッカー強豪大学へ進学することができた。
プロという夢
そして、この大学進学をしてから、本当の試練が待っていた。
選手のレベルが段違いに高かった。
自分達の世代では、全国優勝メンバー、国体選手、U18日本代表など。過去最高に最強のプレイヤーが集まっていた世代であった。
これまでの自分はたかが東京都内で軽くぶいぶい言わせていただけのレベルだった。一緒に練習をするだけでも、レベルの差が歴然であった。
これまで生きてきた世界が変わり、結果、価値観が変わった。
不思議なことに自分は「こんなにも恵まれた環境はない」と、なぜかめちゃくちゃポジティブに考えることができていた。
今思うと、恐らく貪欲にサッカーが上手くなりたい。という一心だったのかもしれない。本当に強い仲間と一緒に研鑽できることが刺激的だったのかもしれない。
実際、毎日の練習が物凄く楽しかった。
練習時間は、毎朝4時起きで、高尾山の奥に通った。
そして猛者たちの中で揉まれて、自分の中にある想いが強く湧いた。
それは、"プロサッカー選手"になりたいという想い。
レベルの高いメンバー達を見て、こいつらはプロの世界にいくなと思った。同時に、自分も負けたくないし、だんだんとプロを意識するようになった。
プロの壁
ただ、現実に目を向けてみると、大学サッカー部でも自分の位置づけはプロサッカー選手から程遠かった。部員が200人強いる中で、トップチームでスタメンになれなかったからだ。
一般的に言うと、スタメンでないとスカウトの目にも止まらず、プロになるのは不可能と言われていた。
このままでは、プロになれない。焦りが湧いていた。
プロへの道はほとんど不可能な状況だった。ただ、スピードだけでは誰にも負けなった。だから、自分の個性で勝負できる舞台を探した。
海外への挑戦
プロを諦めたくなかった僕は、海外でチャレンジしようと決心した。
当時、香川真司選手がドイツで活躍し盛り上がっていた。この日本人フィーバーに乗っかりたい。
意を決した僕は夢を実現させるためにドイツへ旅立った。
現地でのトライアウトには、世界中から色んな国の選手が挑戦しに来ていた。
そこでの競争は熾烈で、友達になった選手が次の日には来なくなるなんていうのは日常茶飯事だった。
そこで僕はトライアウトに合格した。プロサッカー選手になることが決まった。
自分の持ち味であったスピードという個性がドイツにきて評価された。
ようやくプロの舞台に立つことが楽しみでワクワクが止まらなかった。
プロサッカー選手デビュー
ドイツでプロサッカー選手としてのキャリアがスタートした。
下手なプレーをしたら、簡単に首を切られる世界。命を懸けた戦士のような覚悟を持って臨んだ。
ところが、そんな気持ちを裏切られるような不運に見舞われた。
入団したての夏のキャンプで、左足の第五中足骨骨折をして、チームから構想外になってしまったのだ。つまり、いきなりの戦力外。
自分のプロサッカー選手としての人生は終わったと思った。
しかも、足の手術をしなくてはならなかった。チームには帰国を迫られた。
ただ、絶対に帰れない。このまま日本に帰れるわけがなかった。日本にいる仲間たちに合わす顔なんてなかった。死ぬ思いでドイツにしがみつき、残った。
こうした状況での異国の地の生活は孤独感が半端ではなく、辛くて仕方がなかった。
他の日本人選手の活躍を見て、部屋にこもって泣いた日もあった。
この時に、支えてくれた日本人の方々や選手には本当に感謝している。
周りの人の支えもあり、改めて、頑張らなきゃ。と心を奮い立たされた。
そうしたなかで、プロサッカー選手としての自分はやれることはやった。
ドイツでのチームを出た後、ポーランド、タイと国を渡りプレーした。
国を渡る中で、プロサッカー選手としての自分の実力を自分で客観視していた。
20歳から3年半海外でプレーしてきた。十分やった。
孤独でずっと海外でやっていくことに完全燃焼してきた自分に気づいた。
日本でプレーすることを考え始め、帰国することになった。
そして、帰国
自分はサッカー選手として完全燃焼することができた。引退することにした。
日本に帰ってきて、先輩の紹介でエン・ジャパンに入社し、社会人生活を歩むことになった。どうせ社会人になるなら、社会人として活躍する新しい野心の炎に火をつけて、もう一度、違う世界で戦うことに決めた。
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