「学食の店長」から地方創生プロジェクト責任者に。現場一筋の料理人が淡路島で得た喜びと「人」の価値
人口減少による人手不足、テクノロジーの発達などを背景に効率化・省人化があらゆるビジネスで進む。コロナ禍も相まって、そんな状況下だからこそ人と人とが関わる場やコミュニティの形成、そこで生み出されるものの価値が相対的に上がり、改めて見直されている。
飲食店にとって立地条件が良くない土地に、特長に合った店舗を展開する「バッドロケーション戦略」で都市部・地方問わず店舗を増やしている株式会社バルニバービは、兵庫県の淡路島西海岸で地方創再生プロジェクト「Frogs FARM ATMOSPHERE」を展開している。今まさに、「Frogs FARM」では島内外の多様な人が集まり、新しい形のコミュニティが生まれている。
そうした場所にはコミュニティを創出し、主導する人材の存在が不可欠だ。
同プロジェクトの責任者を担う井上 隆文は、まさに人を惹きつけ、人と人を繋げる「言語化できないスキル」によって、淡路島に新たな価値を生み出してきた。
「Frogs FARM」は、2019年から始動した淡路島西海岸一帯の約15店舗の飲食店と宿泊施設などで構成されたエリアプロジェクトで、それまで手入れされていなかった淡路島西海岸の閑散とした海岸地を開発し、展開している。
井上の今の肩書きは、運営子会社である株式会社バルニバービオーガストの取締役 兼「Frogs FARM」プロジェクト責任者だ。しかし、立ち上げ時から淡路島で暮らしながら店舗の現場で働き、先頭に立って来店客やスタッフ、地元住民とコミュニケーションをとる毎日を送っている。
「バルニバービに入社する前もそうですし、入社して20年になりますが、現場以外の仕事はしたことがないですね。今後もずっと現場に立ち続けていたい、いろいろな人と仲良くなりたい、ずっと笑っていたいと言うのが根本にあるので」と井上はいつものエプロン姿で語る。
(Frogs FARMの様子。淡路島西海岸一帯に店舗が広がる)
機械科学生から現場一筋の料理人へ
滋賀県彦根市出身で、高校は工業高校の機械科。自動車整備士のコースだった。
進路に迷っていたところ、アルバイト先の寿司屋で「車も料理も同じ職人であまり変わらない」という言葉をきっかけに、飲食業界への転職を決める。
「元々食べることは好きでした。ただ美味しいものにこだわるというよりは友達や一緒にご飯を食べること、その『場』が好きという感じ」という井上は、その寿司屋で紹介を受けて京都の割烹に就職し、その後は洋食・フレンチ・イタリアンなどさまざまなジャンルで調理の腕を磨いた。様々な経験を積む過程で、25歳の頃にバルニバービに入社する。
今でこそ自ら「人間関係や、人と仲良くなることは負けない」と語り、“コミュニケーター“やプロジェクトの“ハブ“として地元住民や社内外の人々を惹きつける井上だが、元々は内向的で人と絡むことはそこまで得意ではなかった。「入社するまではホールで接客をする機会もなく、バルニバービに入って開花させられた感じ」と笑いながら話す。
とはいえ当時は飲食業を続けていくこと自体も不安が大きかったという。業界として給料も低く、自身の実力や現在地がわかりづらい点がそうした感情に繋がっていた。
バルニバービも当初は3年ほど働いて勉強し、地元で独立をするつもりだった。
しかし入社半年後には店長を任されると、その後も運営する複数の店舗を渡り歩き、4年ほどが経ったあと、大学の学食の店長の業務に従事し、8年間に渡って続けることになる。
「もちろんその間に色々葛藤もありました。ですが途中で子供が生まれたり、何よりそこまでに折々出会う人たちがめっちゃ親切にしてくれたり、教えてくれたりという経験が本当に大きくて。やめたらもったいないと思って続けていました。」
「会社の金で失敗したらいい」転機となった地元滋賀でのプロジェクト
そんな井上に大きな転機が訪れる。地元滋賀県の大津駅のリニューアルプロジェクトだ。
JR西日本、大津市と合同で、大津駅に300席ほどのレストラン、カプセルホテル、観光案内所を同時にオープンさせるというプロジェクトの責任者を打診された。
「当時滋賀が地元の人間は私しかいなかったですし、社内で将来独立して地元に店を持ちたい、という話は1回したかなとは思うのですが、本当に学生と楽しくつるんでいた学食の店長から急に都市開発の責任者に、という話。いやいやいや何を言ってるんですか、と」
一度断った井上の元に、運営子会社であるバルニバービオーガストの社長である田中が訪れた。
田中は「店を持ちたいなら会社の独立制度を使ってまずはやってみたらいい、失敗をおそれず、挑戦したらいい」という言葉をかけた。
「今思うといずれ独立したい、という想いに対してチャレンジの機会を与えて、引き上げてくれたんだと思います。その言葉を受けてやってみたら、予想通りぼこぼこにされましたけどね…」と少し嬉しそうに井上は笑う。
それを契機に、大津の後にも県内で草津、守山と2店舗を立て続けにオープンし、飲食店の運営に軸足を戻した井上だが、次に運営した大阪の豊中の店舗の売上が芳しくなく、改めて飲食業の難しさに直面することになる。
「人員不足で厳しい時もありました。自ずと労働時間も多くなりますし、売り上げに対するストレスも溜まり、その時期はしんどかったです。こんな状況なら独立した方がいいのか、だとしても状況は変わらないのではないか、こんなことがしたかったのかな、という思いがありました。とはいえ自分はこれしか仕事を知らないから…」
長い飲食経験の中でも解消しきれなかった課題感を感じていた頃、次なる大きな転機が訪れる。
会長から直に「淡路島でのレストラン出店・立ち上げ」の話を伝えられたのだ。
「一目惚れ」した夕日の下で、更地が年間35万人が集う魅力あるエリアに
現在「Frogs FARM」として海沿い400メートルに渡って開発されている、当時全くの更地だった一帯に初めて足を踏み入れた井上は、夕暮れ時に一望できる瀬戸内海に沈む美しい夕日に「心奪われました。一目惚れでしたね」と回想する。それは当時の自身の停滞感を払拭するに十分なものだった。
(出店前、当時の様子。)
「このような場所へ出して大丈夫なのか」という不安も確かにあったという井上だが、2019年4月28日に1店舗目である「GARB COSTA ORANGE」がオープンすると、それはすぐに杞憂に終わる。
料理や店舗の質はもちろん、神戸、大阪からのアクセスの良さや海が目の前に広がるロケーションも相まって連日繁盛を見せた。
翌年夏には宿泊施設「KAMOME SLOW HOTEL」がオープン。2021年に「Frogs FARM」としてのプロジェクトが始動し、BBQキャンプが楽しめるピクニックガーデン、飲食店もラーメン、寿司屋、カラオケバーなど、今に至るまで多様な業態が展開し、年間来場者数は35万人にまで増えた。
「エリア開発」というと、自然を壊し現代的で無機質な建物を建てていくイメージが持たれがちだが、全ての店が美しい自然の景色と一体になり、その土地ならではの環境と、食やアクティビティなどの体験の両立が実現しているのが「Frogs FARM」の特長だ。
バルニバービが掲げる「地方創再生」の理念は、住みたくなる街をつくることが真の地域活性化に繋がり、そのために食を突破口に地域がコミュニケートする拠点を作る、というもの。
食は人と人とのコミュニケーションの上で重要なインフラであり体験である。生命維持の機能だけではない、体験としての食文化やそこから生まれるコミュニティ形成を盛んにすることで、その土地・地域文化に大きな豊かさをもたらすことができる。
それを体現する形として、暮らしと直結する食に中心に関わりながら、井上が先頭に立ち積極的に地域・地元と繋がっていくことで作り上げられてきたのが「Frogs FARM」だ。
今後淡路島での計画としては、多くの店舗を揃えた飲食店以外も含め、さらなる暮らしの充実に繋がる場の創出を行う。そうした活動を通して、「街」としての機能を強化していく方針だという。
食から暮らしと繋がり「地域の店」になるためにやるべきこと
約4年間のスピーディな展開で、責任者として奔走してきた井上。現在は出店ペースも落ち着き、土台ができてきた中で「ようやく色々とじっくり考えられるようになってきた」と話す。
今までの店舗作りの過程で苦労した部分は「人」だと言う。
「お店は人が作るもので、人ありきの商売だとは思うのですが、特にバルニバービの店舗作りは店舗の場所と働いている人によって大きくお店のあり方が変わるので、土台となる人材を揃えることが重要です。出店が相次いだ時は正直大変でしたが、今はそれも整ってきたと感じています」
また、こうした街を作っていくようなプロジェクトにとって、最も重要な地元地域との関わり方について「ベースは最初から変わっていない」と井上は語る。
井上はプロジェクト開始から淡路島に暮らし、飲食店の店長として生活しながら、地元住民と日々の暮らしの中でつながることを重要視している。
「ガソリンスタンドでたまたま会ったおばあちゃんにお裾分けをもらったり、バーや食事の場でたまたま会って話したり。”地域の店になる”ことが地方創生で重要なことだと思っていますし今もその過程ですが、例えば悪天候の日に地元のおじいちゃんおばあちゃんが『今日は空いてると思った』と来てくれたりすると、本当に嬉しいですね。」
バルニバービでは淡路島以外でも地方創再生プロジェクトを広く展開していく予定で、島根県出雲市でも既に計画が進んでいる。
プロジェクトを進めていく上で、地域に対するあり方として最も重要なことは、現地で起きる些細な変化や出来事に気を配り続けること。そして、その状態を自然と続けていくことができる関係性だと井上は考えている。
「作った場所が賑わっても、地元の方が実際何を思っているかはわからないし、それで渋滞が起こって予定に間に合わなくなった、なんてこともあるかもしれません。もっと細かい、看板の位置が…とか、ちょっとしたご意見や思ったことが積もり積もっていってしまうと良くない。そういった声を『今度井上さんに言っておくか』と都度投げかけ易い状態にして、細かい部分もしっかりと対応していくことで、本当に地元地域の中で1つの機能としてなじむことに繋がると思うんです。」
目指すのは一過性のものでない、その地域の店になること。
「何年か後に『ここ昔流行ってたお店だったんだよね』みたいなふうには絶対に言われたくない。そのためにはただ自分達のお店が繁盛すればいいわけではないんです。」
好きなこと、得意なことが仕事になっている
当初は立ち上げ期の半年が終わり次第帰るつもりで、自宅がある京都から単身赴任でやってきた淡路島に、井上は今も暮らしている。今後は家族も呼び寄せ定住するつもりだ。
「ここで人を育てて、安心して任せられる人材にしっかり引き継いだら、淡路島で独立してお店をやりたいです。」
井上をそうまで思わせている理由は淡路島の自然や環境の良さと、現在の仕事の充実に他ならない。淡路島に来てから、今までになかった大きな喜びを感じている。
「お客さんから即レスポンスをいただくのがこの仕事の醍醐味だと思いますし、美味しかった、と言ってくれることが一番のやりがいです。もちろん以前にもそういう機会はありましたが、淡路島では、より心を込めて言ってくれているように感じるんです。それは料理の美味しさやロケーションももちろんですが、労働環境や生活の質、プライベートとの共存だったり、さまざまな条件によって感じられることで、本当にいい環境にいさせてもらえていると思っています。」
人手不足や過重労働、賃金の上がりにくさなど、飲食業界に依然として課題は存在している。自身が身を置く淡路島に限らず、食やサービス業で得られる原初的な喜びややりがい、好きな気持ちを仕事にして飲食店を続けられるような体制作りが重要だ。
「私が働き始めた頃に比べたら業界の労務的な環境や、会社としての人の受け入れ体制は非常に充実していると感じます。その中でももちろん簡単な業界ではありませんから、当時培ったノウハウや経験値を今の人に伝えながら、長所を活かす『人づくり』をしていくのが大切です。店を作るのは人ですから。そう言う意味ではバルニバービは本当にいろんな長所の人が集まっているところで、『個』を引き上げてもらえる環境が揃っていると思います。」
井上自身のキャリアを振り返っても、本来苦手意識すらあった人間関係の構築やコミュニケーションを大きな長所に、さらにそれを仕事として、”個”としての自分を引き上げてもらったことが大きな転機に繋がっている。
「正直やめようと思ったことは何度もありました。要所要所で会社に声をかけてもらって踏みとどまれたり、やりたいことに対して機会をいただき、それを自分で決断して選択していったことで今の環境があると思っています。」
日本の飲食業のレベルは非常に高いが、従業員の生き方、働き方の選択肢はどうしても制限されがちだ。
時代が変化する中で「食」という人間と切っても切り離せないものの喜びや愉しみ、そこから生まれるコミュニティの価値を高めていくために、働き手の強みや想いを活かした店舗・環境作りは1つのポイントになっていくだろう。
「今はあまり仕事だと思ってやっていないですね。得意なことをやっていて、それが仕事になっている」
バルニバービは「食べるという仕事を通して、なりたい自分になる」をポリシーの1つとして掲げている。自分らしく働き、価値を創出するロールモデルとして、井上はこれからも現場に立ち続ける。
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