『熟成やずやの香醋』を25年間、みなさまにお届けしている理由
株式会社やずやは、1975年の創業以来「本物だけをまっすぐあなたへ」を理念に、世に埋もれている本物の商品を探し出し光をあて、生産者と消費者の懸け橋になることを使命として歩んできました。商品づくりの基準は「売れるかどうかより、自分たちが欲しいと思うか、大切な人におすすめできるかどうか」です。健康に良いとわかっていても容易に摂ることが難しい食品をライフスタイルに合わせて習慣的に摂れるような形にした健康食品を開発・販売しています。
今年25年を迎えた『熟成やずやの香醋』は創業者である矢頭宣男が遺した最後の商品で、弊社にとっては思い入れの強い商品の一つです。その大切な商品をみなさまに知っていただきたいという想いで放送した「やずや(828)、やずや(828)」のテレビCMは、私たちの予想を超える反響をいただきました。おかげさまで25年経った今もこうしてみなさまにお届けできていることを心より感謝申し上げます。
創業者、矢頭宣男のお酢探しの始まりは今から25年以上前、
お酢が体にいいのはわかっているけれど、独特のツンとした匂いが苦手
という妻のために
「味や匂いを気にせず毎日摂ってほしい。同じように思っている全国の方に自信を持ってお届けできる商品をつくりたい!」
という想いからでした。
「良いお酢がある」と聞くと現地に足を運び、製法を目で見て、試飲を繰り返しましたが「これだ!」と思えるお酢にはなかなか出会うことができませんでした。
それでも創業者の情熱が薄れることはなく、納得のいくお酢探しを続けていた時、中国に「宝の酢」があることを知りました。香醋(こうず)と呼ばれるそのお酢は、中国の江蘇省・鎮江で昔から変わらぬ製法で作られているといいます。
これはと思い見本を取り寄せたところ、日本のお酢とはまったく別ものでした。見かけは醤油のように濃い黒で、名前のとおり風味豊かな良い香り。口に含んでみると、ほどよい酸っぱさの奥に複雑なうまみが感じられたといいます。
「お客さまに自信をもってお届けするためにはこの香醋しかない!」
矢も盾もたまらず中国へ行き、香醋をつくっている工場を訪ねてみることにしました。
空路で上海へ渡り、そこから車で高速道路を北西へ向かって約3時間走ると、香醋のふるさと鎮江に着きます。長江(揚子江)の下流に近い町で、九州とほぼ同じ経度。昔から温暖な気候と豊かな水を利用した殼倉地帯として有名で、かつては大運河を通って北京まで米を運んでいたそうです。中心部の繁華街には近代的なビルが建っていましたがそれはごく一部で、創業者が訪ねた当時は、一歩郊外に出るとまるでその時代の日本の農村のような田園風景がどこまでも広がっていたといいます。
創業者が訪れたのは香醋を作っている国営工場の一つ、鎮江食品有限公司でした。中国には昔から四大銘酢と呼ばれるお酢があり、鎮江食品有限公司の社長は、中国全土で愛用されている香醋への愛情を自信たっぷりに語ってくださいました。もともと中国のお酢は杜康酒(とこうしゅ)という酒をつくる工程で生まれたもので、江蘇省でも約千年前からお酢を作ってきたそうです。それが鎮江の香醋というブランドで全国的に認められて以来、伝統製法を守り続けているとのことでした。
歴史深い話を聞いて、ますます興味を持った創業者は「伝統製法を見せてほしい」とお願いしましたが、「企業秘密だから見学はできない」と断られてしまいます。
やずやの商品づくりの信念として、生産者の顔や製法を納得いくまで確かめたものでないとお客さまにはお届けできません。その後も何度も鎮江を訪れ、こだわりの製法を見せていただきたいと一生懸命お願いしました。
「この香醋の素晴らしさを日本のお客さまに伝えていきたいのです」
あきらめずに頼み込んだ結果ようやく熱い想いが伝わり、ついに香醋づくりを見せていただくことができました。
お酢蔵に入った瞬間の香り、ぷくぷくと発酵するお酒の音、もみ殻を触ったときの温かさ、たくさんの香醋が甕(かめ)に入って並ぶ壮大な光景。五感に響く感動的な体験だったそうです。
「発酵を助けるお酢蔵に棲む微生物が、目に見えない力で助けてくれる。
部屋全体が土壌になってくれるからこそ、良い香醋ができます。
どちらが欠けても鎮江の香醋にはならないのです」
これは初めてお酢蔵を見学したときの職人さんの言葉で、創業者が心打たれた言葉です。
※「醋」という文字は酢のもともとの形。「酉」は酒を表し、昔は「二十一」という数字を表すものだったそうです。香醋には酒を21日間寝かした香り高いものという意味が込められています。
豊かな田園地帯にたたずむ古いお酢蔵で、もち米から丹念につくるお酒。
そのお酒をお酢にするための独特のもみ穀を使った発酵など、そこには古来の製法をかたくなに守る職人さんの魂がありました。
こうして長い年月をかけ出来上がった香醋を使い、ようやく生まれた商品が『熟成やずやの香醋』です。
やずや専用のお酢蔵
香醋を提供していただいている鎮江の工場では近代化の計画で工場を建て替え、設備を新しくするという話が上がったことがありました。
当時から私たちは醬油などの調味料を販売していたのですが、製造元の醤油屋さんから、蔵ごとに独特の微生物が棲み、それが特有の味や香りを生むことや、蔵付きの微生物を一度失ってしまうと同じものをつくるのが困難になることなどを勉強していました。
その知識のおかげで、鎮江で昔からの手づくりの製法を見せていただくたびに、私たちは感激せずにはいられなかったのです。
だからこそ昔からの手づくりを守りたい、お酢蔵とそこで働く職人さんたちを守りたい、という想いがありました。
きっと、近代化した工場でも良いお酢はできるのだと思います。
ただ発酵のメカニズムには科学的に解明されていない部分も多いといわれていることなど、学べば学ぶほど、古いお酢蔵と伝統製法を残したいという想いは強まるばかりでした。
お酢蔵と職人の技を守りたい
香醋のお酢蔵と職人さんたちの伝統の製法を残すことは、私たちの責任ではないかと思ったのです。
そこで思い切って「工場をやずやの専用工場として残してください」とお願いしました。
今考えても、それはとても大きな決断だったと思います。なぜなら工場で生産した香醋を、すべてやずやが買い取るという条件だからです。
当時、香醋を知っている日本人はほとんどいなかったため、正直言ってどれだけ販売することができるか、私たちに自信はありませんでした。
しかし、出会ってしまったのです。
こんなに良いお酢なら日本の方々にきちんとお伝えすれば、より多くの方にご愛用いただけるはず!と私たちは大海原に乗り出しました。
多くの方々へ『熟成やずやの香醋』を知っていただくため、最初は地域を限定したテレビCMからスタートしました。
その後徐々に地域を広げていき、ようやく関東・関西など大きなエリアでもテレビCMを流せるようになりました。
ありがたかったのは、ちょうど世の中のお酢ブームと重なったということ。
そのおかげで多くの方に『熟成やずやの香醋』をお伝えするきっかけをいただきました。
やずやの歴史は『熟成やずやの香醋』の歴史
そういっても過言ではない香醋は、製法にこだわり、産地にこだわり、原料にこだわり、大切に大切に育ててきました。そして何より『熟成やずやの香醋』を育ててくださったのは、ご愛飲いただいているお客さまお一人、お一人だと実感しています。お客さまからのご意見やご感想を拝見していると、外出時も必ず持ち歩いてくださったり、祖父母から子、子から孫と三世代にわたり飲み続けられていたりと、生活の一部としてお役立ていただき大変うれしく思います。その中のほんの一部ですが、ご愛飲くださっているお客さまの嬉しいお声をご紹介させていただきます。
【お客さまからいただいた嬉しいお声】
元気の源です。
香醋は二十数年間、飲んでおります。先生が「お薬手帳」をご覧になって薬を服用していないことにおどろいていました。だから好きなんです。(90歳女性 24年ご愛用)
いつもそばに香醋がありました。
私の人生の頑張りどころであった「仕事」「義父母の介護」「子どもへの仕送り」のときに健康で乗り越えられ今があるのは、いつもそばに香醋があったからこそ!
当たり前すぎて感謝!(67歳女性 20年ご愛用)
『熟成やずやの香醋』をご愛飲くださる理由はさまざまですが、お客さまに喜んでいただいてこその商品だと実感しています。
古くから続く伝統製法を守り、大切に大切に香醋を作り続けてくださる中国の方々の想いを受け継ぎ、私たちはお客さまと生産者の懸け橋となって商品をお届けしたい、そう思い続けて25年になります。
ですが、もちろんこれで終わりではありません。
これからも「売れるかどうかより、自分たちが欲しいと思うか、大切な人におすすめできるか」を商品づくりの基準とし、みなさまへ商品をお届けし続けていきます。
※ご愛顧いただいているみなさまへ日頃の感謝の気持ちを込めて、25周年を花火とリボンで祝う記念パッケージ
やずやショッピングサイト https://www.yazuya.com/
やずや企業サイト https://www.yazuya.co.jp/
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