地域の支え合いの文化が息づく岡山の被災地支援のための取組みとこれから
災害や事故に遭われ不安な気持ちを抱えるお客さまの心に寄り添い、安心を提供するために率先して動く。その「人のために」のSpiritは、損保ジャパンが創業以来受け継いできた組織文化です。
そのSpiritを体現した事例として、損保ジャパン岡山支店が岡山交通、岡山NPOセンターと3者で締結した、災害時の支援物資輸送における包括連携協定をご紹介します。
損保ジャパンの社員が災害の損害調査時に利用するタクシーを活用し、被災した家庭や近隣の避難所に届ける仕組みは、物資輸送の「ラストワンマイル問題」を解決します。この取組みがどのようにして発案されたのか、キーパーソンにインタビューしました。
異業種の3者による包括連携協定
2022年10月5日。岡山市内の岡山交通株式会社にて、特定非営利活動法人岡山NPOセンター、岡山交通、そして損保ジャパンの3者間の包括連携協定の締結式が行われました。
この締結式では、損保ジャパンのマスコットキャラクター「ジャパンダ」を車体全面にあしらったフルラッピングタクシーもお披露目。一度見たら忘れないインパクトがあり、地元メディアに広く取り上げられました。
NPO、タクシー会社、損害保険会社という異業種同士によるこの包括連携協定は、大きく次の2点が柱となっています。
①災害発生時における損害調査用タクシー車両の優先手配
②被災地における支援物資の運搬に関すること
ここで特に注目したいのが、「②被災地における支援物資の運搬に関すること」です。
岡山NPOセンターでは、岡山県内の民間企業・団体・行政が災害時に協働で支援活動を行うための民官ネットワークである「災害支援ネットワークおかやま」の事務局を運営しています。
同ネットワークには、災害時に備えてあらかじめ地元企業・団体から提供可能な物資を登録してもらい、リスト化する「できるかもリスト」という仕組みがあります。このリストがあることで、いざ災害が起きたときには被災地のリクエストに応じて支援物資の提供を依頼し、スムーズに調達する体制を整えています。
ところが、ここで問題となるのが、集まった支援物資の輸送手段。被災した現場には一般の個人や団体が進入できないよう規制線が張られており、現場の近くまでは運べても、その先の被災者の自宅まで物資を届ける「ラストワンマイル」の手段がなかったのです。
一方で、損保ジャパンは大規模災害が発生すると、災害対応の特別チームである「災害対策本部」を立ち上げ、契約者であるお客さまへの保険金のお支払いを行います。その際、お客さまの家屋などの損害を調査するために現地を訪問します。通常、大規模災害が起きると、交通規制が張られることが多く、車両が入れないこともありますが、規制線の先に入ることを特別に認められており、時に数十台ものタクシーを手配して、災害現場の家々を回ります。そこに、アイデアの種はありました。
タクシーで災害現場に入る際、後ろのトランクに支援物資を積み込めば、損害調査とあわせて物資を必要としている方々のお宅まで届けることができるのではないか? ――このアイデアから、災害時の物資輸送の「ラストワンマイル問題」に対してスクラムを組んで解決するという3者連携協定が実現したのです。
雑談から生まれた、災害支援のアイデア
「確か、『あの日』の中村さんとの雑談からそういう話題になったんです。被災地に支援物資を届けるお手伝いができるんじゃないかって……」
その包括連携協定のアイデアが生まれた“瞬間”について、岡山支店法人支社 支社長代理の森慶一郎は、そう語ります。
森が言う「あの日」とは、岡山NPOセンターが主催する災害に関するセミナーに、損保ジャパン社員を代表して登壇した日のこと。
「災害のセミナーか。でも、何を話したらいいんだろう。保険金のお支払い以外に、災害時に当社ができることって何だろう……」
話すテーマに迷った森は、普段から相談相手として慕っている、中国保険金サービス第二部 担当部長の中村仁に、何気ない雑談の延長で相談してみました。
「その中村さんとの雑談の中で、ふと『当社は損害調査のために被災した地域に入れるから、タクシーのトランクに物資を入れて運べるのでは?』というアイデアが出て。『中村さん、どう思います?』とぶつけてみたんです」
中村も、その時のことを振り返って「いいアイデアだし、私たち保険金サービス部門としてもぜひ協力したいと思いました」と言います。
「損保ジャパンとしても、保険業務だけでなく、減災への取組みや災害からの復興支援なども今日では取り組むべき課題になっています。森さんのアイデアも単なる社会貢献活動でなく、本業にも直結しうる取組みだと感じました。同時に、保険金のお支払いを担う私たち保険金サービス部門が率先して対応すべき課題だと感じました」
そう話す中村には、自身が着任して3カ月後に起こったという、2018年の西日本豪雨の記憶がありました。
2018年7月6日から8日にかけて、西日本11府県を襲った西日本豪雨。もともと「晴れの国」として災害の少ない県とされていた岡山県でも住宅4,800棟以上が全半壊し、半壊や浸水被害も含めて家屋の風水害では戦後最悪の惨事となりました。
「あれだけの町全体が沈んでしまうほどの水害が起こると、規制線もだいぶ手前から張られてしまいます。私たちがタクシーで入れる範囲も制限されてしまったので、やむをえず自転車で現地の家々を回りました。その実体験があるから、後に『ラストワンマイル』という言葉自体ははじめて聞きましたが、それでもリアリティをもって問題の深刻さがわかったんです」
営業部門と保険金サービス部門という部署の垣根を超えて生まれた「ラストワンマイル問題」を解決するアイデア。セミナーの場で話したところ「それ、いいですね!」と登壇者の賛同を得て、連携協定の締結に向けた一歩を踏み出しました。
支援物資を確実に届ける「ピース」が埋まった
「森さんからご提案をいただいて、まずは率直にうれしかったですね」
岡山NPOセンター 代表理事の石原達也さんは、そのセミナー当日、森から後に3者協定につながる「ラストワンマイル」を解決するアイデアを聞いた時のことをそう振り返ります。
2018年の西日本豪雨でも災害支援活動の先頭に立ち、その教訓をもとに「災害支援ネットワークおかやま」を中心になって立ち上げた石原さん。前述した「できるかもリスト」も、石原さんのアイデアから生まれたものです。
西日本豪雨のように広域にわたる災害では、被害の大きいエリアに支援も集中しがちで、必要な支援が十分行きわたらない地域がスポット的に生じることがあります。その状況を目の当たりにした石原さんは、「災害時こそ、地域で支え合う仕組みがあれば、支援のばらつきを補うことができるのではないか」と考えたそうです。それが、「できるかもリスト」のアイデアを生みました。
「災害時にも、その周辺では被災を免れた地域もあります。なるべく地元に近いところでお互いに支え合う関係を構築できれば、支援物資を調達し届けるリードタイムも短縮できるし、ひいては、災害に強い地域のレジリエンスにつながると考えています」
「できるかもリスト」によって、支援物資は確保のめどは立った。しかし、必要な人に届ける「足」がない――石原さんも「災害支援ネットワークおかやま」の活動を通じて地元の運送会社などに協力を呼びかけていましたが、災害時のニーズを考えると、より多くの輸送手段を確保する必要性を感じていました。
「損保ジャパンが災害調査時に、タクシーで規制線の先も回ってくれれば、支援物資が届けられない空白地帯を大きく減らすことができます。森さんの提案が、『ラストワンマイル』の足りないピースを埋めてくれました」
地域の交通インフラを担う会社の思い
「おかげさまで、大きな反響をいただきましたね。『フルラッピングのタクシーを街で見かけたよ』と多くの方に言っていただきました」
岡山交通株式会社 執行役員 タクシーユニット営業本部 法人戦略部CMOの𡈽谷知史さんは、3者協定の締結式を振り返り、笑顔を見せます。
岡山市、倉敷市を拠点とするタクシー会社の岡山交通。岡山市内では約3割の台数シェアを占める地域最大のタクシー会社です。母体である「両備グループ」は40を超える企業を抱える、岡山を代表する企業グループで、バス、鉄道、物流など地域のインフラを幅広く担っています。そのように岡山という地域と切っても切り離せない存在だけに、𡈽谷さんにも2018年の西日本豪雨の記憶は、心に深く刻まれています。
「当社も小学校や中学校の避難先から自宅へ、また銭湯などへと被災者を送迎する活動を行いましたが、そのときに災害時における交通インフラの重要性を改めて再認識しました。だから、私たちにできる災害支援のあり方についてはずっと考えていました。そのタイミングで損保ジャパンの森さんからお声がけをいただき、ありがたかったです」
今回の連携協定では、冒頭でもご紹介したとおり、私たち損保ジャパンの損害調査に伴うタクシーの優先配車も含まれています。多いときには数十台単位に及ぶ規模のタクシーを優先配車するという決断は、簡単ではなかったでしょう。
「ただ、損保ジャパンをはじめ、災害時に損害調査に入る保険会社の存在は、私たちももちろん知っていました。そして、『時間が経ってしまうとなかなか調査がしづらくなる』というお悩みも、実際に損保ジャパンの方からお聞きしていました。そこに対して、地域の『足』を担う私たちだからこそ貢献できると思ったんです」
岡山NPOセンター、岡山交通、そして私たち損保ジャパン。3者それぞれの「人のために」の思いが合致し、一つの大きなベクトルとなって、今回の3者連携協定へと結実しました。
全国に広がりつつある「岡山モデル」
「大きな連携協定の枠組みはできましたが、もちろん、協定がゴールではありません。災害時に機能するものでなければ真に意味のある枠組みとはいえませんし、そうしなければなりません」
森は、そう言って気を引き締めます。
協定を形だけのものにせず、真に意味のあるものにするために、これからはシミュレーションや実証実験などを通して、運用時の課題を洗い出すフェーズに入ります。その必要性は、協定にかかわるすべての人が理解しています。
「災害の規模によっては、当社の保有するタクシーだけでは間に合わない状況も想定できます。そのときはグループ企業の強みを生かして、グループ内の他のタクシー会社の応援を募ったり、自社が保有するバスとタクシーを組み合わせた輸送方法なども検討する必要がありますね」(𡈽谷さん)
そういった実践面での課題はありながらも、この災害輸送における「ラストワンマイル」を支えるスキームは、岡山から他の地域へと少しずつ広がりを見せ始めており、各地域のNPO法人や損保ジャパンの各支店を中心に、連携に向けた議論が進められています。その動きに、石原さんも大きな期待を寄せています。
「この枠組みや『できるかもリスト』に、なるべく多くの方に参加していただくことで、物資の需要と供給のマッチングの精度も高まってくると思います。全国に支店を持ち、代理店とのネットワークを持つ損保ジャパンと組んでいるからこそ、この課題解決の『岡山モデル』を全国に展開していけます。私たちもNPOのネットワークを活用して後押ししていきたいと考えています」(石原さん)
保険のルーツに通じる「支え合いの精神」
ドイツ人の経済学者パウル・マイエット博士が日本にもたらしたとされる、近代的な「保険」の思想。江戸から明治にかけ、幾度となく大火に見舞われた東京で、その保険制度を実現させようと志をもった先人たちによって、1887年(明治20年)に日本初の民営火災保険会社「東京火災」が創設されました。これが、損保ジャパンのルーツです。
保険という仕組みには、仲間同士でリスクをカバーし合う、助け合い・支え合いの精神が息づいています。石原さんは、その保険の普遍的な精神に触れながら、災害の分野にとどまらない保険の可能性を語ってくれました。
「災害だけでなく、教育、経済など、想定しえないリスクが起こりうるさまざまな領域で、保険の理念や仕組みを転用できるフィールドはまだあると思っています。その意味で、損保ジャパンには、これからも社会の課題を解決するアイデアを共創するパートナーとして期待しています」
江戸時代中期、岡山県倉敷市には「義倉(ぎそう)」という地域の支え合いの仕組みがありました。義衆と呼ばれる村の有力者が毎年自発的に麦を出し合い、「義倉」という倉に貯蓄。その麦の貸付利息を、村の難民や生活困窮者の救済や、村人の教育にあてていたそうです。志ある人々によって設立された共助の仕組み。そのスピリットは、保険を日本に広めようと奔走した先人のそれに通じるものがあります。
地域の支え合いの文化が息づく岡山で生まれた、災害物資輸送の「ラストワンマイル」を支える「岡山モデル」。ここから全国へと広がり、数年後、全国のどこかで災害が発生したときに、被災した人々につかの間の笑顔をもたらしているかもしれません。
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