おじいさんとの対話 12   免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論

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著者: おおさき あきお

おじいさんとの対話 12

  免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論

※ここまで切り口を変えて同じような内容を繰り返してきましたので、かなり洗脳が出来たかなと思います。そろそろ最終段階に入りたいですね。

himaari: よく医学では麻疹、チフス、赤痢を初め種々の伝染病に罹り全治すると免疫ができて、後は一生かからなくなるものがあるそうですが。その理由として、その種の感染症に対して抗体ができるといいますね。

おじいさん:その理由を言うと驚くだろうが、まずその前に病原菌と言われる細菌の働きはなんだと思うかね?

himaari:それはもちろん細菌が毒素を発生させて細胞を食い尽くすんでしょうね。

おじいさん:うんそうじゃな。免疫という意味を次の様に解釈しているのじゃろう。「白血球などがバイ菌やウイルスなどに対して食菌作用を起こす」という様にね。しかし、人間の病気というのは体の中を掃除するための浄化作用だといってあるじゃろうが。感染症といえども浄化作用の原理から離れるものじゃないのだよ。

himaari:浄化作用の原理と言うと、「体内にある汚物毒素を排除するために自然良能力が働く」ということでしたね。

おじいさん:そういうことじゃ。ただ少し違うのは体の働きだけで浄化作用を行わないというところじゃな。

himaari:でも、汚物毒素として排毒の対象になるのが細菌やウイルスということですね。

  細菌やウイルスは浄化に協力

おじいさん:そこが少しばかり違うんじゃな。細菌やウイルスが病原としての対象物ではなく、じつは浄化作用の協力者となることなんじゃ。細菌とウイルスは体内毒素と密接な関係になるんじゃがな。

himaari:え!協力者ですか!医学では病原となっていますよ。体にとって悪さをする敵じゃないのですか?

おじいさん:一見そう見えるものじゃからな。そう解釈されるのは無理もないんじゃが、じつは体の中の毒を早く掃除してくれる味方というものじゃな。

himaari:おどろきました。これも信じられない話ですが。

おじいさん:細菌は大きいから直接的に、ウイルスは小さいから情報拡散という間接的な働きじゃろうな。

himaari:ちょっと意味が分からないんですが。外から入ってくるウイルスや細菌を防ぐのが免疫という意味じゃないでしょうか?

おじいさん:そう、体内に原因があるというより外に原因があり、それに抵抗する働きを免疫力として医学は解釈すのるだろうそれは根本から見るといささか見当違いというもんじゃ。

himaari:もう少し詳しくお願いします。

おじいさん:その前に伝染病とか感染症と言われているものの正体を知らねばならんのじゃ。そもそも伝染病とは人間の血液中に存在する悪性養分を消滅させんが為のものである。

血液浄化のために自然がつくって用意してある恩恵なんじゃ。

himaari:え!病菌やウイルスが恩恵なんですか!?

おじいさん:そうじゃな、あらかじめそういう自然界の仕組みを作ってある中に吾ら人間が生息しているようなものじゃ。わしらの体内は常に汚染や毒素から守られるようにあらかじめ浄化装置としての働きが備わっているのは説明したが。

himaari:それと病原菌やウイルスがどうして毒素排泄の浄化作用とどう関係あるんですか?

おじいさん:もちろん大いに関係あるのじゃ。菌やウイルスが働くときは必ず体内の毒素と関連しているのじゃからな。そして、伝染病にかかる時は、最も急速に行われる浄化作用であって、これ程結構なものはないのだよ。

himaari:結構なものなんですか?

おじいさん:そう、濁血者は虚弱で病気もおこり易いから、ここに自然はその濁りを排除するために浄化作用がおこるのじゃが、面白い事には、その濁りを解消する作用として黴菌という微生虫が発生してその仕事をするのじゃ。

himaari:バイ菌がですか?病原じゃないのですか?

おじいさん:病原は体内の毒素、血液の濁りが真の病原じゃ。

himaari:感染症もやはり浄化作用として見るわけですね。そして細菌やウイルスなどに対して汚れた血液が病原としてあるわけですね。

おじいさん:そうじゃ、濁血をきれいに掃除する役目。細菌はもちろんその毒素を排泄する役割じゃ。分解して外に出すと言ってもよいかな。そこのところが重要ポイントだね。

で、まず黴菌が侵入するや伝染病が発生するものとしないものとあるだろう。

himaari:はい、それを「免疫力」とか「抵抗力」とか言うんでしょう。

おじいさん:そうだね。それは説明した如く体内にある毒素の多少によるのだ。しかし細菌に対しての抵抗力という意味としてもあるが、「必要とするかどうか」という意味も含まれている。

himaari:必要?体にとってですか?

おじいさん:そうじゃ、体の方が主体だからね。つまり血液がきれいな状態なら必要ないが、汚れた状態なら必要だということじゃね。

himaari:発想の転換というか、視点が全然ちがうというのか、解釈が医学とは反対なんですね。主導権を握っているのが人体の方だとは!

おじいさん:もちろん本人の表面上の意識ではないがね。身体の方の意識というか、身体の方で必要な状態ということが細菌を引き寄せたり、しかも発生させたりもする。

感染症に限らず病気発生者は毒分多有者である。というのは今日の人間は非常に血が濁っている。この原因はいつもいう通りむやみに薬を体内に入れるからで、薬は元々毒であってその毒が血液へ吸収されて濁血者となるのである。

himaari:現代では薬だけじゃないですよ。あらゆる毒性物質が食べ物や環境から入ってくるし。

おじいさん:うむ、君の時代になると多種多量の毒物があふれているようじゃな。

そこで、病原菌をバイ菌として説明してみよう。一度バイ菌が血液中に入り込むや、たちまち自己の食物である毒分を喰いつつ非常な速度をもって繁殖するのだね。

himaari:え、バイ菌の食べ物!細菌が毒素を食べるというのですか?

  バイ菌のエサとは?

おじいさん:そうだね。バイ菌にもえさがあるはずだろう。細菌と言っても生き物だからね。何かしら食べ物があるはずだ。微生物の分解作用と言ってもよいのじゃが。

himaari:そのえさとなるのが体内の毒素、つまり血液中の毒分というわけですね。

おじいさん:そうじゃ。血液ばかりじゃないだろうよ。細胞内にもぐり込んでいる溜まっているはずじゃ。それらを食うということは毒素を分解処理して早く外に排泄してくれるということになるね。

himaari:それって、どんどん繁殖して拡がるんですよね。細菌がどんどん身体の中で増殖して行くんでしょうか?

おじいさん:無限に繁殖を続けるのではないのじゃ。都合の好い事には一方では繁殖しつつ、他方では自己の役目だけ果たしたものは次々と死んで逝く。そして毒素排泄物と一緒に体外に排泄される。その様にしてある程度の毒分を喰い尽す事によって病気は治癒するという事じゃ。

himaari:ということは浄化作用そのものなんですね。ただ、普通の浄化作用とちがうのはそこに細菌やウイルスが関与しているかどうかの違いでしょうけど。でも結果として体内がきれいになるのは同じことなんですね。

おじいさん:そういう事じゃ。このようにして細菌は毒素を喰いつつ繁殖するのだが食べた後は次々に死んで行く。そして死んだ細菌はいろいろな形で体外へ排泄されることになる。発疹や膿や下痢、出血などいろんな形で毒素とともに排泄される。というわけじゃね、簡単に言えば。

himaari:感染症にかかると、かなり高熱になる事が多いようですが?

おじいさん:浄化作用で発症の際は固結した毒素では喰いがたいし排泄しにくいじゃろう。だから固まった毒素を液状化する必要があるのじゃ。このため体の働きによって毒素のある局部に熱を発生する。高熱ほど毒素溶解に効果あるのは言うまでもない。

himaari:なるほど、液体化すれば移動も容易だし、だいいち堅く固まった毒素じゃ分解処理が難しいですよね。医学の方でも、細菌やウイルスは高熱に弱いと言いますし。高熱は必要なんですね。

おじいさん:まあ、高熱で固結毒素を溶解すればあとは熱の必要がなくなるから自然に熱が下がるのじゃ。同時に微生物の役割も終わるという事じゃろうな。微生物たちが攻撃されるためというよりも、固結毒素が分解され液状化して排泄し易くなった為に「微生物の手助けが必要なくなる」からじゃろう。

himaari:人体と微生物が一体となっての浄化作用なので、高熱が出る時には必要なくなるという事と、高熱で微生物が死滅するのと同時的なんでしょうか。どちらの理由にしても固結毒素が溶解して外に排泄されれば、微生物たちも用無しになるという意味なのですね。

おじいさん:伝染病と呼ばれる病気の目的は、あくまでも体内の毒素の排泄作用ということじゃ。それが自然界の中で人体が微生物に助けられて行われる人体浄化作用だが。

その結果、毒分のない浄血者になる以上、再びその伝染病にかかる憂いがなくなる。

そして、バイ菌の食べる毒素にも種類があり、その毒素に対応した細菌がいるのじゃ。

himaari:なんと、毒素の種類に応じて掃除役の微生物の種類も異なるのですか。

地球上には、色々な種類の毒を分解してくれる細菌が存在しているそうですから、体の中でも同じような事になっているんですね。

おじいさん:微生物の方では毒素の分解に手助けしてやり、一方、人体の方では食いやすくするために、高熱を発して固結した毒素を溶解する。高熱は必要あってのことだから、氷で冷やしたりするのはせっかく溶けて移動しやすくなった毒素を再び固結させることになるからじゃ。

himaari:高熱を出すというのは人体の働きなんですね。それは細菌のせいというより自ら発生させているわけか。だから冷やしたり、解熱剤などで熱を無理矢理下げたりすると、どこかにまた固まってしまい具合が悪いということか。で、一生免疫というのはどういう意味なのでしょうか?

おじいさん:それは保有毒素の種類によってだね。風邪などは一生のうち何度もかかるだろうが、麻疹とか百日咳とか幼児期にかかるものは一生免疫となる。保有毒素が遺伝的古い毒素は決まったバイ菌が担当して掃除するという関係じゃな。

himaari:バイ菌にも好き嫌いがあるのですね。

  バイ菌と毒素の相性

おじいさん:好き嫌いと言うよりもその食する餌である毒素の担当が決まっているという意味じゃよ。バイ菌の餌とは毒素の事だからその種類によって異なるわけじゃ。しかも、最初はその餌から湧くのだから当然と言えば当然じゃが。もともとその毒素からそれを食する(分解する)性質を持った菌が発生するというのが自然界の姿じゃね。

himaari:それは不思議な関係ですね。体の中だけで無く自然界でも排水溝などの毒性のある汚染物質に対応した細菌が、その毒分を分解してくれるそうですね。この地球上では、ある種の毒が存在すれば、毒に対応した細菌が現れて分解してくれるというのですね。

おじいさん:まあ、この地上はそういう風に創られているんじゃから、微生物が地球を守っているようなものじゃな。したがって、体内で、バイ菌のえさになる毒分がなくなれば、再びその浄化は必要なくなる。それは抵抗力というよりも、もう細菌に喰われるエサが無くなるからじゃ。その種の毒素が無くなったので担当の細菌も働く場所がなくなったという事が免疫じゃ。

himaari:それでその種の感染菌が侵入しても発病しないということになるんですね。その菌の食べるえさが無ければ繁殖のしようもない。だから一生免疫となる。まあ、理屈として納得できますね。

おじいさん:君は「まあ、理屈だ」と言うけど、これは自然界の仕組みなんじゃから、現象が先で理屈はあとじゃよ。血液を汚せば微生物が発生して掃除してくれる。それで人体内を清浄化できるという仕組みがあるからこそ、人間は健康を維持できるのじゃな。

himaari:感染症の原因はウイルスやバイ菌などの微生物じゃ無くて、根本は血液の濁りか・・・そしてそれが細胞の汚れにもなるわけか・・そして血液の濁りとは毒素の事なんですね。

おじいさん:その毒素にも種類があって大別して遺伝的古い毒素と生後に入った比較的新しい毒素となる。

himaari:で、古い毒素はだいたい共通している性質なので決まった微生物が担当する。そして掃除してくれるから、あとは一生かからなくなる。こという事ですよね。

おじいさん:一度かかったら再びかかることが無くなるというのは、その種の毒素は古いもので、いわゆる遺伝毒素と呼んでいるが、幼少期にかかる類のものは共通しているね。若い内に古い毒素を掃除してきれいになっておけば、その後の生命活動が円滑に行く。だから幼少期にかかるのは自然の理なのじゃよ。それを嫌って予防接種など行うから、毒素は排泄しにくくなり、つまりその種の伝染病は逃れられるとしても、その先に行ってから浄化しなければならない。

himaari:そうか、かかる時期というのは自然なんですね。だから子供の頃にかかる麻疹とか、人間に共通している浄化作用なんですね。予防接種そのものが劇薬類の指定されているそうですから、その毒も加わって後から古い毒素と新しい毒素まで加えられて、かえって重度の浄化作用が待っているわけか。

おじいさん:感染症は保有毒素の有無とその種類によって症状が異なるから、いろいろな病名をつけるが、根本は同じなんじゃよ。毒素が古い、新しい、種類、量など違いはあっても、人間に共通しているのは「体内の毒素は浄化する働き」が常に働いているわけじゃ。

himaari:医学では非常に詳しく研究結果が出されているようですが、おじいさんの説は単純明快というか、あっさりし過ぎるような話ですね。

  膨大な医学研究より根本が解ればよい

おじいさん:微に入り細に入り研究してみても、この根本が分からなければただの学理で終わってしまうじゃろう。わしの説明はごく簡単だが、根本の土台をついているだろう。即ち黴菌は血液中の濁りの微粒子を喰いつつ繁殖するのであるから。つまり濁血の不純物こそ黴菌の食物になる訳で食菌作用ではなく食毒作用である。

himaari:医学では「食菌作用」で、おじいさんは「食毒作用」ですか。僕はここが一番理解できないところだったんです。バイ菌が免疫細胞などによって食われる事を免疫と思っていましたからね。ところが「バイ菌の方が食べる」とは。しかも毒素を食べるというのですから、まったく正反対の考えですよね。

おじいさん:わしの考えが医学の視点と正反対なのはよく分かっているよ。しかし、医学の方で伝染病の解決や治療が出来なくなってきた原因はそこにあるのじゃ。言ったように、まったく視点が逆だったからじゃ。おなじ自然現象なのにまったく解釈が違うとすれば、その対応策もまったく逆になる。自然界の法則と医学の対処方法が真逆になれば、結果として成績が悪くなるい。成績が悪いと言うことはその学理が間違っているからに過ぎない。

himaari:なるほど、たしかに現代医学は感染症部門では、だいぶ追い込まれてきていますね。相手が自然界の微生物として、その対応する薬剤が次々と微生物群に打ち負かされて来ています。病原菌に対しての薬剤がどんどん効かなくなってしまい、しかの院内感染とか言われ「病院内で強い薬剤耐性菌」が頻繁に発生しているとか聞きました。

  伝染病は自然の法則に適っている

おじいさん:それは単純な自然界の法則に過ぎない。毒が強まればそれを上回る微生物が発生するだけのことじゃ。永遠にそれは続くのだから、最後にはお手上げというわけじゃな。「きれいなものは育てる」が「汚いものは片づける」原則が微生物の役目だから仕方が無いね。

himaari:自然界は厳しいですね。だけど有り難いのかも知れません。人間の都合のようには行かないわけか。で、微生物が働いて毒素を食い、分解してくれるという事ですが。

医学では白血球の食菌作用とか言うようで、病原菌を退治してくれるのが白血球とかなんでしょうね。しかし、おじいさんの説によると「バイ菌の食毒作用であって、白血球に含まれている毒素を食べる」という事になりますね?細菌が体内の毒素を食べるのだから「菌の食毒作用」か・・・理解しにくいですねえ。

おじいさん:先ほど話しただろう。人体と微生物との共同で掃除をすると。人体の方では毒素を出来るだけ多く、しかも迅速に片付けたいわけじゃ。だから、当然手助けに来てくれた微生物に協力して働く。引っ越しに手伝いに来た若い衆にうんと働いて貰うためにどうするね?掃除のお手伝いならどうする?

himaari:そうですねえ。きっと荷物をいっぱい持って貰いたいから、どんどんその人たちに渡しますよ。掃除して貰うなら、その人にゴミをたくさん、どんどん渡して捨てて貰いますね。

おじいさん:伝染病は大掃除のようなものだから、お手伝いを頼んで早くゴミを始末してしまおうというものじゃ。免疫力がつくというのは、結果からみて医学は抵抗力発生の為と言うようだが、わしは「食べる毒素が無くなった」から免疫と言う。「汚いものにはウジがわく」というとおり、そこに汚いものがあればウジという虫が汚物を分解してくれるのと同様じゃ。体の中であっても細かい虫が汚物から湧いて食べてくれる。そして、食い尽くしたとき自ら死滅する。ウジ虫は汚物が無ければ死んでしまうじゃろうが?

himaari:そうか、バイ菌のえさが無ければ細菌感染しても繁殖できないし、浄化の必要がないわけですね。だから発症もしないというわけか。そのエサになるのがまさか体内の汚物、毒素とはおどろきましたね。医学の方で「白血球の食菌作用」というのは、「菌が毒を発生して細胞に害を与えるので、免疫機能が働き、白血球などの免疫細胞が出動して菌を囲んで殺してしまう」なのかな?それとはまったく逆の見方をするのですね。

おじいさん:ひとつの物事を見ても視点が違うから正反対に見えるのだろう。視点の違いとは「最初に思いがある」から起こるだろう?その「思い」とは、「微生物が病原である」だから、「病原菌を殺すのが免疫力」「体の中には病原は無い」・・ゆえに、病原菌をやっつけるのが免疫細胞の役割だということになるんじゃろうな。

himaari:なるほど、最初から「思い」というものがあって、それが同じ現象をみても異なって見えるという訳か。しかし、白血球などが菌に寄ってきて、その結果菌が死滅してゆくというのも事実なんでしょう?その辺がどうも納得できませんね。

  毒のあるところに菌が寄ってくる

おじいさん:確かに観察の結果は「菌のところに毒が寄って来る」のだろう。そして「菌は死滅してゆく」という観察も正しいだろう。事実はそうだろうが、その経過途中が不明なのじゃないか。つまり目的とする「考え方」があくまで、「体の中はきれいなのに、菌が悪さをする」という思いから来る視点の違いじゃよ。わしの方では「体の中に汚いもの(毒素)が含まれている」のを前提としている。

himaari:そうか、「体内は綺麗だ」と、「体内には汚いものがある」のちがいですか。「自分は絶対正しい」と「自分は幾分間違っている」のようなものかな。身体的なので的外れなのかもしれないけど、たしかに「外にある悪い奴が侵入してきて毒をまき散らす」かのように細菌類を悪玉にするから「バイ菌」と言われて嫌うんですね。

おじいさん:そうじゃ、完全無欠に自分の身体は綺麗だという思い込みから始まったのが病原外因説、それが昔は悪霊、今はバイ菌とかウイルスというわけじゃな。そこから、悪い菌が入ってきたので免疫細胞とやらが食い尽くしてくれる。それを免疫と呼んでいるのじゃろう。だが、食ってくれているのは実は細菌の方だったというのがわしの見方じゃ。

したがって、白血球に毒素が含まれている。いや、白血球が毒素を含んでバイ菌のところに運んでくれる。バイ菌はそれを食ってくれる。毒素が含まれている分は食べて繁殖すると同時に十分食った菌から順に死滅してゆく。それが分解毒素とともに体外に排泄されてゆく。

himaari:視点の違いというのは微妙ながらも、大きな食い違いになるものですね。どちらが食い違いをしているのかは僕には証明もできませんが。それにしても、おじいさんの話は単純ながら明快ですね。世界中の医学研究者が聞いたらびっくりするでしょう。いや、しないかな。相手にしないかも。

おじいさん:世界中の医学者たちははじめから「バイ菌は病原だ」とか「バイ菌が毒を持ってくる」という思いで研究を始めるのからだね。すると同じものを見ても正反対に見えてしまうものじゃ。

himaari:そうか、最初に思いがあるか。最初から「菌は悪だ」とか「病原だ」という思い込みがあるから、細菌がそこに居れば、すべてが身体に悪さをしているように見えるのでしょうね。それを、おじいさんの方では最初に「菌は味方として働く毒の掃除役」と思って見るから、まったく逆さに見えるのですね。それにしても、身体の方が菌の居る方に運んでくれることと、菌の方が寄ってくるのと、どちらにしても菌と毒素は密接不離な関係にあるのかな。

おじいさん:そうじゃな、そこには必ず毒素が繋がってくるじゃろう。ただ、違うのは、医学では菌が毒素を作り出して病気を引き起こすと言うが、わしはもともと体内にある毒素を掃除するのが菌だという話だね。毒素が無ければ浄化作用の為の菌の活動も出来なくなる。後は身体の中の常在菌と仲良く健康を維持していただくということじゃ。

himaari:細菌が浄化作用に味方しているという考え方では、たしかに「バイ菌イコール悪者」という扱いが出来なくなりますね。むしろ「味方としてのバイ菌」か。微生物と体との自然界の共生関係になるのですね。いつも健康時に働いている常在菌も毒素の掃除役の細菌にはその場を明け渡すのかな?

  菌が介入した方が浄化が迅速

おじいさん:微生物なしでも体の浄化装置(自然良能力)が備わって働いているから無菌でも掃除できるが、細菌の助けを借りると大掃除が早くできる。そして、何よりも伝染病にかかった後が大事じゃ。治癒すると病気以前より例外なく健康を増すに事じゃ。この理が徹底的に判ったとしたら伝染病は何ら恐れるものでなく、それどころか、むしろ喜んでいい訳なのじゃよ。

himaari:では「重い伝染病にかかった後、まえより健康になる」と言う事でしょうか。体内の汚物毒素が排泄された分だけ健康が増すということですね。でも世界中で多くの人が伝染病で死んでいますよ。

おじいさん: 逆療法など反自然的なことをしなければ、ほとんどは治癒するものなんじゃが、あまりにも毒素の多い場合、大掃除に体が耐えられないこともあるじゃろう。それは致し方の無いことじゃ。先天的毒素の多少と生後入れた毒素の質と量の関係も個人で異なるからね。しかも、伝染病は概ね急激な浄化作用が多いから、一気に毒素の掃除が行われる。すると体力の消耗も激しいから、一面有り難いが厳しいこともある。したがって重度の伝染病ほど自然に任せないと、逆療法を続けると体力が持たない場合がある。

himaari:自然に任せると言っても放置は出来ませんよ。やはり医療にかかって治さないと思うでしょうね。それが逆療法であろうがなかろうが、ただ自然に放っておくなど出来ませんね。

  医学は生命力と反生命力の綱引き

おじいさん:それは選択の自由じゃが、一方は生命力が掃除(浄化作用)をする、一方はそれを邪魔(浄化停止)をする。しかも治療には薬という毒物を使うから、毒の性質は生命力を奪うものだあから、この綱引きを繰り返しているとついには生命力がもたないだろうね。

himaari:そうか、伝染病が恐れられる理由は急激な浄化作用だから症状も厳しい形になるのですね。浄化作用が急激であるため、それを邪魔する事は強い浄化停止だから、かえって危ないということでしょうか。昔のことですが、世界中の多くの人が亡くなったというスペイン風邪は、今になって治療薬が疑われて来ましたが、それによると無治療のグループの方がずっと成績がよかったという事のようでしたね。

おじいさん:個人ごとに毒素の質と量が異なるとはいえ、なかには耐えられないほどの症状を呈して死に至る者も居るだろうが、ほとんどは逆療法、生命力と反生命力の綱引きが体力消耗を引き起こすから、ついには斃れるのじゃろう。

himaari:人類は伝染病をやたらに恐ろしがっているけど、じつはその治療に問題があったとは驚きました。自然に起こるのだから自然に任せる方法をとらないと、結果が悪いということか。伝染病が怖いのはそういう理由もあったのでしょうか。

おじいさん:しかし、伝染病(感染症)と言っても軽いものもある。その代表として感冒だろうね。人類共通であり、世界中どこに居ても誰でもかかる感染症だろう。これほどありがたいものは無いのだが、世人はまさか自分の体内のお掃除だとは思わないから、出来るだけ風邪を引かない事を良しとしているがね。わしから見ればこれほど愚かなことは無いじゃろう。なぜならば、浄化作用の中でも一番安心で軽く済むものの代表選手のようなものだからね。

himaari:今はインフルエンザといって風邪と異なるように言われていますよ。ウイルスの種類が違うといって、風邪とインフルエンザは違うと。

おじいさん:なんども言うが、そのような微生物は真の原因では無い、体の中の毒素である。学者は微生物発見が目に見えないウイルスまで発見したは良いのだが、すべてそれが病原だと思い込んだのじゃろう。細菌からウイルスにとね。外からやってくる病原というわけじゃ。ところがそれを呼び寄せるのは自分の体の中にある汚物毒素というのが少しも分かっていないのじゃ。

himaari:やはり最初の思い込みが出発点となっているので、病菌が病ウイルスに替わっただけの事なんでしょうね。でもウイルスは毒素を食べるほど大きくないのですよ。

食毒作用は出来ないですよね。

おじいさん:なあに、原理は同じ事じゃよ。体内にある毒素を掃除してやる手助けとしてね。血液が汚れて細胞内も当然汚れているわけじゃから、それは汚れた細胞を壊す手助けじゃろうが。

himaari:そういえばそうですね。ある特定の細胞とウイルスは関係すると言いますから、その関係とは「汚れた細胞」つまり「細胞内に毒素がある」という事でしょうか。

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